のむのむものあやまり

M E S S A G E 1 9 9 7 - 1 9 9 8


  1. 少年H
  2. コンピュータに負けた人間
  3. そして1年が過ぎた
  4. 3点とったら、こちらの勝ち
  5. なぜ?

  6. チュグワネ選手のこと
  7. ただ者ではない
  8. やがてボクも
  9. たくましくない日本人

  10. 100%の力
  11. 3年後
  12. 中田英寿の移籍

少年H


 多感な少年時代を戦前の神戸でおくった、少年Hのお話。作者は、1930年(昭和5年)生まれのペンネーム、妹尾河童さん。

 Hと年齢がほとんど重なる分、河童さんの少年時代を書いたものに違いない。戦争の時代にあって、Hの生き様はあまりにも人間的である。正直に生きることが大人にはできない。そのことが浮き彫りにされて、虚しい。

 震災後2年4ヶ月、神戸に行った。北野の「異人館」を見て、南京町で食事をした。どちらも初めてである。観光客気分が半分であったが、街のあちらこちらの瓦礫の跡や覆いを被せたままのビルの残骸が気になった。 外から来た者にとっては、外側しか見えない。震災がもたらした心の傷跡にまで思いが及ばない。そうだとしても、街のにぎわいと活気が復興のシンボルとすれば、神戸は確実に立ち直りの中にあると思った。 人間の生きるたくましさをいつも感じる。

 北野からどんどん坂を下っていった。歩きたかった。いつも海を感じることのできる都市。いいところだなと思った。

 少年Hの育ったところは、そこからはまだまだ遠い。



コンピューターに負けた人間


 ニューヨークで催されていたチェスの世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフさん(34)とコンピューターの6番勝負で、最終戦は人間の完敗だった。 5月11日のことである。1勝1敗3分けの後の最終戦だった。去年は3勝1敗2分けでカスパロフさんが勝ったのだが。コンピューターはチャンピオンにナイトの駒をとるようにし向け、それにのったチャンピオンがたちまち不利になったとのこと。 コンピューターは、1秒間に数億通りの差し手を読みとる能力と冷徹さを持ち合わせている。それに対して、人間の方は勝たねばならぬという重圧とも闘わねばならなかったようだ。どうも、自分を見失ってしまったようだ。 「自分の可能性と天分を、とことん信じるべきだった」とのこと。 

 何よりもいいのは、その自分を見失ってしまうのが人間的で、とてもいいと評した「天声人語」さんの感想だ。がんばることよりも、がんばらなくてもいいという方が難しい仕事に就いていると思う。でもやっぱり、自分のことを考えてみても、失敗してもいいという方が気楽でいい。 ひとまずサボルことはないと思うが、自分だけはごまかせないとわかっているから、心の余裕だけは持ちたいと思う。

 気がつけばもう5月、ボチボチ進もう!大阪人。



そして1年が過ぎた


 今をときめく小室哲哉さん。ついに、多額納税者番付でトータル部門で全国第4位となる。その額約10億円。こうなると、俳優・タレント部門の浜ちゃんや松ちゃんの連続1・2位などかすんでしまう。去年と変わったことは、浜ちゃんと松ちゃんの順位が入れ替わったことぐらい‥‥。それはそれで、すばらしいことなんだが、小室さんの存在が余りにも大きすぎたようだ。

 小室ファミリーの総帥として、自ら「globe」の一員として歌ってもいるが、何よりも作曲家としてしっかり儲かったようだ。しかし、そんなことはどうでもいい。むしろ、特筆すべきことは次のことだ。彼がYMOの坂本氏と同様、しっかりインターネットに興味があり、ホームページを作成したり、インターネットを通じた音楽活動なんてものを先進的に展開していることだ。コネット・プランへの協力はおまけのようなものといっていいかな?「PLANET TK」のページからファミリーのページへ、完全版ではないが音楽も楽しめる。

 「とにかく千円とか3千円のCDを買ってくださる皆さんに感謝します」なんてネ。‥‥‥この世界、栄枯盛衰の激しい世界。売れなくなっても、インターネットではいい仕事をしてほしい。

 


3点とったら、こちらの勝ち


「敵を知り己を知れば百戦あやうからず。負けるとわかって戦うバカはおらん、というイミだね。」

「でも、カントク、今日の相手はこのへんでいちばん強いチームだよ。」

「そうそう。」

「ははは。テストだっていつも満点でなくていいのさ。3点とったら、かってに、こちらの勝ちということにしておこう。」

「はーい!」 ??

 いしいひさいち「ののちゃん」73
   (朝日 1997.6.14)より。



なぜ?


 スペインのバルセロナ市にある「サダコ学園」。日本風の学園名をつけたのは、なぜ? 

 1958年広島市の平和公園内に建てられた「原爆の子の像」。いつも折りづるが絶えないという。 

 広島で被爆してその10年後に亡くなった少女、佐々木禎子さんの話。2歳で被爆したときにはかすり傷一つなかったが、10年後に突然白血病で入院。鶴を千羽折れば病気が治ると信じ、病院のベッドで毎日鶴を折りながら、8ヵ月後、643羽折ったところで亡くなった。12歳だった。 

 「サダコ学園」はスペインがまだフランコ独裁下にあった1968年、女子の中学校として創設された。創立者のカルマ・ルポンさんには「民主主義の精神を理解し、平和を願う子どもを育てたい」という熱意があった。ルポンさんは、学園の名をその目標に近い人物から取ろうと考え、禎子を選んだとのこと。 

 この6月、学園の子どもたちは、バルセロナで開かれている「ヒロシマ」展にも参加し、「折りづる教室」の指導役に参加するとのこと。

 「サダコ」は、私たちにとっては、平和と子どもたちの尊厳のシンボルなのです‥‥学園長のローサ・アングレィ・カペリアさんの声が、海を越えて私たちのもとに届くとき、ただ反省するばかり。平和を、「ヒロシマ」を語ることはわれわれとわれわれの子どもたちの使命である。

 すぐに52年目の夏がやってくる。



チュグワネ選手のこと


 「虹の国」南アフリカが今輝いている。今年の福岡国際マラソンで優勝したのは、南アフリカのチュグワネ選手だ。喜びのゴールであった。ゴールの前で右に左にスラロームして見せたのである。

 優勝インタビューは英語であった。昨年夏のアトランタで優勝したときは、読み書きのできない鉱山労働者だったそうだ。オリンピックが知識とチャンスの新世界を切り開いたとのこと。 

 「世界の大会に出て、自分の気持ちを自分の言葉で伝えたい。」9月から英会話の練習も始めた。3ヶ月後の今、まだ、たどたどしさの残る英語で語る彼の「志を伴った集中力」のすばらしさに圧倒される。この国のチャンスを奪われた若者のために彼は走る。 



ただ者ではない


 15の春、長野で冬期オリンピックがあった。卒業アルバムの「この1年」を飾るに違いない。わが家の子どもたちをみる限り、「札幌」に浮かれたわれらが世代ほどではなさそうだが。 

 国威発揚の感が強かった「札幌」に比べ、個人として競技者を見つめることが出来たかもしれない。メダルラッシュに日本中が沸いたが、だからといってメダリストが特別の存在というわけでもなくて、ふつうの若者という感じがして、それでいいような気がする。何も彼らほど強くなくても、自分たちは自分たちの生き方があると冷静に考えられる方がいい。   

 だけど、結果がはっきりと現れるスポーツの世界でメダルを取ったが故にあれこれと紹介されたそれぞれの生き様をみる限り、だれもがただ者ではないとわかった。才能と努力、家族と仲間の支援、そして自分らしさを見失わないことが何よりもすばらしいと思った。これで終わりではない。挑戦は続く。  

 子どもたちの進路が決まっていくときの感激や涙をみて、はっとさせられる。ひとりひとりの大切な挑戦の始まりに居合わせたことの感激と責任を思う。いつも、われらは取り残されていく。これは大変だ。



やがてボクも


 きみは ボクのあげた翼をつけて 
 とび立っていった 
 何も言わずに‥‥

 きみは ひとりで 心を閉ざして  
 ボクらは きみのために がんばってみたけれど
 きみは きみの力で
 見つけたんだね‥‥

 だけど 少しだけ 思い出しておくれ 
 過去に起こった あらゆるやさしいことを
 きみと共にあった ボクらの青春の日々を

 さよなら ボクも行くよ‥‥行くよ
 やがて ボクも とび立って行くよ



たくましくない日本人


 去年の秋だった。「学校の勉強って役に立つのかなあ」と中学校の同級生に聞くと、「僕らは勉強が仕事やから、それだけしていればええねん」といわれた。 ベトナムから来たディン・ティ・ニャチャンさん(14)は信じられない答えに驚いた。

「勉強は仕事と違う。勉強だけしていればいいなんておかしい」と思ったが、特に反論はしなかった。

 ‥‥‥‥   

 しつけについて母親(35)は「ベトナムでは、子どもが家事を分担するのは当たり前。勉強も大切だが、生活できる力を身につけてほしい」と話す。

 聞いたことのない武将の名前を覚える歴史、「故に合同である」など普段使わない言葉を使う幾何の証明問題。個別に教わる国語や、英語は好きだが、それ以外の授業でわからないことがあると、すぐ、「役に立つのだろうか」と考えてしまう。

 年に一回、ベトナムに帰省する。オートバイや電化製品を自分で直したり、豚を解体したりする親せきたちを見ていると、「たくましい」と思う。日本の同級生や大人たちを物知りとか聞き分けがいいと感じたことはあるが、「たくましい」と感じたことはない。

―朝日新聞「アジアからの隣人たち」1998.2.28より―

 



100%の力


 今日は、サッカーの話から始めてみたいと思う。ワールドカップといえば、4年に1回開かれるサッカー世界一を決める大会のことである。この10日からフランスで始まった。わが日本が初出場し、4年後には日韓共催で開かれることが決定したので、いつも以上に盛り上がっている。1サポーターとして当分寝不足が続きそうで困ったものである。  

 「サッカーで急に強くなることはない。日本の力が一歩、一歩上がってきていても世界のトップクラスに突然なることはない。百%以上の力は出ない。」岡田監督の言葉だ。あくまでも冷静である。大事なのは次の言葉である。「だからこそ、今持っている百%の力を出し切って戦うつもりです。」 大それたことを言うのではなく、1試合、1試合を精一杯戦うこと、これが日本の課題だと思う。結果は後からついてくるものだ。

 話は変わって、きみたちの日頃の生活を考えてみて欲しいと思う。いつも百%の力を出しているかな?‥‥無理な話である。それでは疲れてしまう。いざというときに出せばいい。ここぞというときの集中力が肝心なのだ。たとえば、試合に臨むとき、たとえばテストを受けるとき、たとえば先生の話を聞くとき。4月以来新鮮な気持ちでがんばってきたと思うが、6月半ばまでこぎつけた今、中だるみになっていないかな。

 一番気になるのは、集中力そのものよりも集中力を発揮するための心の準備のことである。チャイムが鳴っても教室に入らない。席に着いていない。教科書やノートの準備ができていない。「お願いします」の挨拶が終わっても、ぺちゃくちゃしゃべってなかなか授業に入れない。「お願いします」の挨拶に気持ちを込めるということは、「今からだね。さあ勉強するよ。」の合図なのだ。そのことを忘れてはいないだろうか。

 一歩一歩の積み重ねが、やがていざというときの集中力を生み出す。自分を見つめ、まわりを見つめていって欲しいと思う。   



3年後


 今日は大変嬉しいことがあった。久しぶりにわがクラスの卒業生がたずねてくれた。3年前に久しぶりに持った、本物のわがクラスの卒業生である。その後しばらく担任を持っていないから、なおさらである。  

 あれから3年である。もう高校3年生になり、次の進路を考えるときである。「18の春」なんて言葉があるようだ。悩みながらも、現実味のある希望に向かって現在奮闘中。「もう18だよ。」「もうすぐ大人だよ。」すっかり成長していく姿はいつもまぶしい。  

 難しい話よりは、ぐずぐずと世間話をしているうちに、あっという間に1時間が経ってしまったようだ。クラスの仲間もなかなかお互いに会えないままでいるようだ。でも、いつも心はつながっている‥‥それが勝手な思いでなければいいと思う。 

 ともあれ、6月半ば、気分は上々である。 



中田英寿の移籍


 それはまったく突然のことではない。イタリアのセリエAに昇格したばかりのチーム、ペルージャに移籍することが決まり、もう出発してしまった。元々本人が希望していたことだ。ファッションもイタリアスタイルで、イタめしが好物のようだ。たぶん、イタリア語の勉強もしてきたと思う。準備は万端、誰もが祝福する形でうまく移籍できたと思う。活躍できるかどうかは本人次第だが、もちろんがんばってきて欲しい。 

 セリエAには、世界の一流選手が集まっている。ジダンも、ロナウドも、バティストゥータも、レオナルドもいる。エムボマも移籍した。イタリアにはそれだけの魅力がある。最高の環境でプレーできるのは素晴らしいことだ。

 多くは語るまい。我々がとやかく言う以上に、彼は考えているはずだから。セリエA情報はこれまで以上に入ってくるだろう。それが楽しみだ。心配なのはむしろJリーグの方だ。あっと驚くようなW杯クラスの選手を呼んで欲しいと思うのは私だけではないだろう。

 ペルージャは、イタリア半島のちょうど真ん中あたりにある小さな都市のようだ。ぜひ、地図帳で確かめておいて欲しいと思う。


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