読書ノート 2011
『誰にも書かれたくなかった戦後史』上下(集英社文庫 佐野眞一)』「怨」と「反ヤマト」の沖縄列島 「やはり、基地は迷惑施設に変わりはないと思いますよ。できればないに越したことはない。 ただ、普天間の危険性除去という観点からも、日本の国防という意味でも、どこかに置かなければいけないものです。」 「基地を受け入れることが、地元にとって苦渋の選択であることを鳩山総理は理解していません」(島袋吉和・名護市長 2006-2010) 尖閣諸島、波高し 中国と台湾が領土問題を主張している尖閣諸島は、その領有権を裏づける登記簿は日本が領有権を主張している限り、
那覇市の法務局で簡単にとれる。石垣島など八重山諸島北方約170キロの東シナ海上に浮かぶ尖閣諸島は、九場島、魚釣島、
北小島、南小島、大正島など5つの島と3つの岩礁からなっている。このうち、魚釣島と北小島には右翼団体が建てた灯台がある。
いずれの所在地とも石垣市で、地目は原野である。それぞれの所有権者は次のようになっている。
『一冊でつかむ古代日本』(平凡社新書 武光誠)島根県出雲市砂原遺跡:12万年前から7万年前のもの(日本列島最古の人類の生活の場 平成21年8月) 時期区分
『決断できない日本』(文春新書 ケビン・メア 国務省元日本部長)北朝鮮とは交渉してはいけない 教訓は明白です。北朝鮮とは交渉してはならない。交渉すれば、騙される。 ましてや、北朝鮮との交渉が進展するかもしれないという危うい 希望の下で、もっとも大切な同盟国・日本を犠牲にしてはならないということです。 被害者意識を乗り越えて 在沖縄米軍基地再編計画を実施すれば、沖縄本島の19%を占める米軍基地の面積は12%まで削減されます。 米軍基地再編問題と言うと、普天間基地移設問題ばかりが論じられ、全体像が見えにくくなっていますが、 沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の合意と併せ、米軍基地は劇的に縮小するのです。例えば最も広い北部訓練場の 半分はヘリパッドの移設などを条件に返還されますし、キャンプ桑江も全面返還の対象になっています。 キャンプ瑞慶覧(ずけらん)は部分返還ですが、残余の施設・インフラとの可能な限りの統合が進められます。 牧港(まきみなと)補給地区も全面返還され、那覇軍港も返還されます。陸軍貯油施設第一桑江タンクファームも 全面返還される。 普通の国 尖閣事件の後、2010年12月にワシントンで開催した日米韓三カ国外相会議は、中国および北朝鮮への抑止力としての
意味もありました。この三カ国は結束していかなければなりません。
尖閣事件で、菅政権は拘束した中国人の漁船船長を釈放しましたが、その後、中国はレアアースの輸出禁止などの恫喝を
繰り広げた。この結果、世界は中国がいかに危険な国であるかをはっきりと認識しました。尖閣問題では、日本との間で
竹島の領有を争っている韓国でさえ、日本を支持する態度を取りました。結果論ですが、菅政権は尖閣問題で中国の圧力
に屈したものの、世界の同情を呼び込んだという意味で逆に成功したとも言えるのです。中国はいささかやりすぎました。
『ドラゴン・ティアーズ龍涙 池袋ウェストゲートパーク\』(文芸春秋 石田衣良)相変わらず、池袋の街路樹はけやきだった。
『流星の絆』(講談社文庫 東野圭吾)どんでん返しは並大抵のものではなかった。まさかねぇ。。
『海の鼠』(ちくま文庫 吉村昭)鼠の恐怖よりも、本当に怖いのは蝸牛(カタツムリ)なのかもしれない。
『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP新書 竹田恒泰)日本人が初めて蒸気機関車(国産初の試作車)を走らせるのに成功したのは安政2(1855)年のことである。 ペリーの来航(1953年6月)から2年、佐賀藩が取り組んだことであるが、日本人の技術力の高さを誇っていい話である。 ただし、1953年8月に長崎に来航したロシアのプチャーチン提督率いる艦隊が艦上で蒸気機関車を走行させたとき、 藩主鍋島直正の命を受けて派遣された佐賀藩士が目の当たりにしていた。 1954年1月に再来航してからのことであるが、ペリー艦隊も横浜応接所裏で公開運転を行なっている。 日本語源の英語として、harakiri(腹切り)、karoshi(過労死)、otaku(おたく)、hentai(変態)がすでにあるが、mottainai(もったいない)が新たに追加された。ノーベル平和賞受賞者でケニア環境副大臣のワンガイ・マータイ氏が環境保全の合言葉として紹介したのがきっかけであった。 「いただきます」とは「あなたの命をいただきます」という意味であり、食材そのものに対する感謝の気持ちを表す言葉である。 日本語は主要言語の中で最も語彙の多い言語である。(日本語最大の辞書『日本国語大辞典』には50万項目の語彙が収録されている)日本は幕末から明治期にかけて、西洋文化を輸入するため、西洋の書物を翻訳するにあたり、おびただしい数の和製漢語を作った。そして、それらは中国の留学生により中国に持ち帰られ、そのまま中国語として使われるようになったのである。 イラン・イラク戦争のとき、トルコ航空の飛行機2機がテヘランに派遣され、215人の日本人は全員救出、トルコ経由で日本に帰国できた。エルトゥール号遭難事件への恩返しということだ。 明治天皇の玄孫にあたる竹田恒康氏の著作である。
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