読書ノート 2009-1『ローマ人の物語』T〜]X(新潮社 塩野七生)イタリアに在住しながら、大著「ローマ人の物語」全15巻(新潮社)を、年に1巻のペースで15年かけて完成させました。 したがって、ハードカバーで15冊ということになります。 偶然ながら、わが息子が文庫本で33冊(ほぼ12巻)まで持っていたので、それを貸してもらいながら、 (文庫本は未だ完了していないので、足りないところは)職場の図書室から借りて、ともかく読破しました。 昨年のことです。 都市国家ローマの誕生から2世紀のころまで、「すべての道はローマに通ず」(10巻)まではとてもよかったのです。 どちらかといえば、司馬遼太郎タッチの歴史小説であり、躍動感あり、詳しい解説がありで、 おかげでスルスルと楽しく読むことができました。 本当のところ、3世紀以降のローマ帝国の乱れと滅亡に至る道筋には辟易したというか、 読みづらくなってきましたが、最後は(根性だけで)(実は)斜め読みしました。 塩野さんの崇拝するカエサルについては4巻、5巻をあててあり、流石に読み応えがありました。
イタリアに行くことに決めてから、5巻(ルビコン川以後)、6巻(オクタビアヌス)を読み直しました。
彼らの残した建造物に焦点をあてて読んでおきました。フォロ・ロマーノとパンテオンがそれにあたります。
『ローマから日本が見える』(集英社文庫 塩野七生)塩野七生(しおの・ななみ)さんは、すでに数々の受賞をされている方です。 1970年 毎日出版文化賞
大著『ローマ人の物語』T〜]Xの簡略版が「ローマから日本が見える」(集英社)だと思います。
簡略しすぎて、これを読んだだけで済まそうなんてことは許せないのですが、よくわかると思います。
『イタリアからの手紙』(新潮社文庫 塩野七生)おかげで、ベネト通りとか、国立博物館だとか、骸骨寺なるものをチェックしていきましたが、 ガイドさんの話の中に出てきた程度で、損得はなしでした。 この本を読んだおかげで、ヴェネチア共和国のことが気になりました。
『風に舞い上がるビニールシート』(文春文庫 森絵都)なんだか切ない物語でした。風に舞い上がるビニールシートは、たとえばアフガン難民のそれでした。 だから、自分だけが幸福であってはならないと考えたのが UNHCR 職員のエド、少しばかりの安定とささやかな幸せを夢見たわたし、里佳の 織りなす物語でした。折り合わぬまま分かれてしまった後のエドの死をうまく受け入れることのできないわたし。 でも、そこから立ち直っていくのです。
エドが、うまくではなくて、その心のままに生きようとしたこと(それが彼の死を意味したのですが)がすべてでした。
こんな生き方があることを本当に理解できていたら、過ちをおかさずにすんだかもしれない。
悲しいことに、すべてが終わってから気がつくことが多いようです。
『孤独の作法』(中経文庫 下重暁子)「媚びず、甘えず、へつらわず‥‥‥私らしく。ひとりを愉しみつくすために」 つまり、大事なことは、要らないものをさっさと片付けろってことやな。大整理をしたつもりでいたが、まだまだ足りないらしい。
『バチカン』(中公新書 秦野るり子)世界一小さな国であるバチカンの内部を紹介する。
『フレンズ』(ハルキ文庫 高嶋哲夫)15歳から16歳になろうとする4人の少年少女たち。 共通の、同じ時期に引っ越してきた元同級生のうち、仲間のユキ一家が襲われた。植物人間となったユキに替わって 暴力団相手の敵討ちをはじめていくことになる。その現場を見ていた見知らぬおじさんが、訳ありのおじさんという設定だが、 その敵討ちに参加する。「君たちは高校生に戻りなさい」と言って、最後の実行をやり遂げることになる。 理解できないところがある。こうも簡単に敵討ちという名で、人を殺してしまうことが許されていいものかどうか。わたしには
わからない。
『ルネサンスは何だったのか』(新潮社文庫 塩野七生)「聖務禁止」 その地の司祭はあらゆる聖務執行を禁じられる。そうなると、生まれた子どもは洗礼を受けられなくなり、死んでいく人も 終油の秘蹟を受けられなくなる。 つまり、生まれる子も結婚する人も死んでいく者も、神の祝福を与えられないということになってしまう。 「破門」 キリスト教徒たる者、破門された者とは関係を持ってはならないということだから、商売も成立せず、領民の領主への服従義務も
失われるということになる。
『一日一生』(朝日新書 天台宗・大アジャリ 酒井雄哉)40歳で得度。約7年かけて約4万キロを歩くなどの荒行「千日廻峰行」を80年、87年と2度も達成する。 その割りにとっても気さくなお方のようだ。
『鬼平犯科帳』1〜24(文春文庫 池波正太郎)どちらかというと、経営に携わる人たちに人気があるようだ。火消・盗賊改の長官として配下の与力・同心ばかりではなく、 元盗賊までを手先をして使いこなす操縦術は、なかなか真似のできるものではない。ときには緩く、ときには厳しくしながら、 いざというときには長官のためなら命を投げ出す覚悟ができている、そんな部下を持つだけの魅力が備わっているのだ。 「遠山の金さん」との違いはわからないが、40代の中間管理職として、身体の衰えをぼやきながらも、 数々の事件に際し、眼力に衰え知らずの痛快な時代小説である。 その度量の一部でも吸収したいものだと思ってしまう。
『街道をゆく9(高野山みち)』(朝日文庫 司馬遼太郎)空海がらみのこと。真言密教を取り入れた人で、それだけでもう悟りを開いたようなものです。 できあがってしまったものですから、誰も真似ができないようです。 われわれには、大師信仰しか残されていないではないですか。 この道をマイカーで上り、奥の院だけ覗かせていただきました。 多くの歴史的な人物のお墓をみて、権力とのつながりが感じられました。
『街道をゆく16(叡山の諸道)』(朝日文庫 司馬遼太郎)最澄がらみのこと。奈良仏教から離れ、天台宗を確立させるために尽力した苦労人という感じですね。 最後まで、学究肌の人であったように思います。 この道を観光バスで上りました。
『鬼平犯科帳の世界』(文春文庫 池波正太郎)決定版「鬼平事典」である。書いた本人がまとめているところが凄い。絵地図もついている。
江戸(東京)には不慣れな分、珍重したいと思う。
『海の都の物語(ヴェネツィア共和国の1千年)』1〜3(新潮文庫 塩野七生)
全巻にわたる目次を書くことは整理の第一歩です。
『つむじ風食堂の夜』(ちくま文庫 吉田篤弘)懐かしい町「月見町」の十字路の角にある、ちょっと風変わりな「つむじ風食堂」のものがたり。ちょっと前に映画化された、群ようこさんの「かもめ食堂」のことを思い出しました。 そちらの方が、よかったかな。 「万歩計」の話である。 『つむじ風食堂の夜』(吉田篤弘)のなかで「二重空間移動装置」などと言っている代物である。工夫した割りには、「どこでもドア」みたいで、ピンとこない。 しばしば運動不足が気になるようになって、万歩計を買った。ところが、イタリアのミラノで無くしてしまったようだ。ホテルでチップを残すことを忘れたので、その代わりになってくれたらいいが、たぶん、歩いているときに、どこかの道で落としてしまったかと思う。イタリアには「万歩計」があるのだろうか。(お役に立っているのだろうか?)帰国してしばらくして、またも、買ってしまった。運動不足が解消されていないからである。 今日の歩数は10,921歩。計り始めてからの最高記録である。長居公園まで歩いて、周回コースを1周して、さらに、自宅まで歩いて帰った次第である。周回コースは1周が2.8キロ、ここだけで34分かかった。実際はこのあと、整骨院へ行ったり、たばこ屋さんへ行ったり、家の中をウロウロしているので、もっと数字は増えるはずだが、それは数には入れない。 次の目標となる数字だから、余り多くない方がいいわけだ。
『フォーティ 40 翼ふたたび』(講談社文庫 石田衣良)「なるべく早く頼みます。人間年をとると不思議にせっかちになるものでね」
どちらも、40代の発言である。『4TEEN 』で直木賞をとった石田氏の、同年代を描いた作品である。 昨今は、「アラフォー」なんて言葉まで出てきて、その苦労と奮闘ぶりが注目されているのだろう。 わたしの場合は、そのとき、バリバリに働いていて、充実していたときだった。
むしろ、その時期を過ぎてしまった今の方が、この本を違和感なく受け入れられるような気がする。
我慢強くなくなったし、結構独り言も多いらしい。
『スプートニクの恋人』(講談社 村上春樹)少なくとも、この本を読むのは3回目である。たぶん、ピンとくるところは毎回違っているような気がする。 ミュウは穏やかな声で続けた。 「強くなることじたいは悪いことじゃないわね。もちろん。でも今にして思えば、わたしは自分が強いことに慣れすぎていて、 弱い人々について理解しようとしなかった。幸運であることに慣れすぎていて、たまたま幸運じゃない人たちについて 理解しようとしなかった。健康であることに慣れすぎていて、たまたま健康でない人たちの痛みについて理解しようとしなかった。 わたしは、いろんなことがうまくいかなくて困ったり、立ちすくんでいる人たちを見ると、それは本人の努力が足りないだけだと 考えた。不平をよく口にする人たちを、基本的には怠けものだと考えた。当時のわたしの人生観は確固として実際的なもので あったけれど、温かい心の広がりを欠いていた。そしてそれについて注意してくれるような人は、回りには一人いもいなかった。」
万引きをして捕まったにんじんを前にしてぼくが口に出したこと。何か話を始めようと思ったわけではなく、それは 心の中から自然に出てきた言葉だった。 「ぼくは子どもの頃からずっと一人で生きてきたようなものだった。家には両親とお姉さんがいたけど、誰のことも 好きになれなかった。家族の誰とも気持ちが通じ合わなかったんだ。だからよく自分のことをもらい子じゃないかと想像したものだった。 事情があって、どこか遠くの親戚からもらわれてきたんじゃないかって。あるいは孤児院からもらわれてきたんじゃないかって。 でも今にして思えば、それはまあないだろうな。どう考えたって、身寄りのない孤児を引き取るようなタイプの両親じゃなかったからね。 いずれにせよ、ぼくは自分がその家族たちと血が繋がっているということが、うまくのみこめなかったんだ。それよりはむしろこの人たちは まったく赤の他人だと思った方がぼくにとってはらくだったな。ぼくは遠くにあるどこかの町をよく想像したものだ。そこには一軒の家が あって、その家にはぼくの本物の家族が住んでいた。小さくて質素だけれど、心が安らぐ家だった。そこではみんなが自然に心を通い合わ せることができたし、感じたことをなんでもそのまま口にすることができた。夕方になると母親が台所でご飯を作る音が聞こえ、温かい おいしそうな匂いがした。それが本来のぼくのいるべき場所だった。ぼくはいつもその場所のことを頭の中で思い描き、その中に自分を とけ込ませた。 現実のぼくの家には犬が一匹いて、家族の中でその犬のことだけはすごく好きだったよ。雑種だったけれど、とても頭のよい犬でね、 何かを教えれば、いつまでも覚えていた。毎日散歩に連れていって、二人で公園に行って、ベンチに座っていろいろな話をした。 ぼくらは気持ちを伝え合うことができた。それが子供時代のぼくにとっていちばん楽しい時間だった。でも、その犬は、ぼくが小学校5年 生のときに、家の近くでトラックにはねられて死んでしまった。それからあとは犬はもう飼ってもらえなかった。犬はうるさくて汚くて、 手間がかかるからってね。 犬が死んでからというもの、ぼくは部屋に一人でこもって本ばかりを読むようになった。まわりの世界よりも、本の中の世界の方がずっと 生き生きとしたものに感じられた。そこにはぼくが見たこともない景色が広がっていた。本や音楽がぼくのいちばん大事な友だちになった。 学校でも親しい友だちは何人かいたけれど、心を開いて話をできる相手にはめぐり会えなかった。毎日顔を合わせれば適当に話をして、 いっしょにサッカーをやっていただけだ。なにか困ったことがあって、誰かに相談なんかしなかった。一人で考えて、結論を出して、一人 で行動した。でもとくにさびしいとも思わなかった。そういうのが当たり前だと思っていたんだ。人間というのは、結局のところ一人で生 きていくしかないものなんだって。 しかし大学生のときに、ぼくはその友だちと出会って、それからは少し違う考え方をするようになった。長いあいだ一人でものを考えてい ると、結局のところ一人分の考え方しかできなくなるんだということが、ぼくにもわかってきた。ひとりぼっちであるというのは、 ときとして、ものすごくさびしいことなんだって思うようになった。 ひとりぼっちであるというのは、雨降りの夕方に、大きな河の河口に立って、たくさんの水が海に流れ込んでいくのをいつまでも眺めている ときのような気持ちだ。雨降りの夕方に、大きな河の河口に立って、水が海に流れ込んでいくのを眺めたことはある?」
にんじんは答えなかった。「ぼくはある」とぼくは言った。にんじんはきちんと目を開けてぼくの顔を見ていた。
「たくさんの河の水がたくさんの海の水と混じり合っていくのを見ているのが、どうしてそんなにさびしいのか、ぼくにはよくわからない。
でも、本当にそうなんだ。君も一度見てみるといいよ」
『フィルム』(講談社文庫 小山薫堂)「セレンディップの奇跡」を読み終えて、急に感想なるものを書いてみました。 作品からは離れてしまったことに気づいてしまうでしょうか。 大好きだった人と別れてしまった後、申し訳ないという気持ちがありながら、どうすることもできませんでした。 幸せであって欲しいと思うだけで、こちらの思いが届くことはなく、現実的に遠ざかってしまっていました。 結婚したらしいことは人づてに知り得たのですが、どこに住んでいるのかさえ知らないままでした。 ただ諦めの境地に陥っていたはずなんですが、物語はその愛すべき人のシナリオから動き始めたようです。 実家が引っ越しすることになって、古いものを処分するということになったとき、どうやらわたしの出した手紙が見つかったのです。 23年前に出したわたしの手紙の中身については、全く記憶にないのですが、どう考えてみても気まずいものに違いありません。 古いものがよみがえり、彼女は何度となく、涙を流したそうです。 突然、電話がかかってきました。彼女の友人はわたしの教え子でもあったので、そこから電話番号を知ったようです。 わたしはびっくりもし、警戒しました。「悪い話ではないやろな」などと言いつつ、会うことに決めました。 わたしたちの久しぶりの再会が実現したのです。 案の定、わたしは散々な目に遭いました。「なぜ、わたしのような子どもを好きになったのか」 そんな風に思われていたことに驚きもし、反論のしようもありませんでした。 互いの無事を願いつつ、せっかくの再会は短く、終わりを告げました。 思い出の写真を捨てることと、このとき知り得た連絡のための電話番号も抹消することになってしまいました。 こんな風な出会いしか残されていなかったことに愕然とし、これはよくないと思いましたが、後のまつりです。 すべての繋がりが消えてしまって、参ってしまったのです。 迷いながらも、共通の友人に頼ることにしました。 わたしの気持ちを知って欲しいことから始まり、結局彼女の電話番号を教えてもらい、わたしから電話をすることになりました。 ここに至るまでほぼ3週間、辛い日々でしたが、彼女の痛みに比べれば、たいしたことはありません。 嬉しいことに、すべての誤解が解けました。 わたしを好きでいてくれたこと、わたしに会いたかったことがわかりました。 わたしも正直に、彼女を好きになったことはいつまでも消すことのできないものであることを話しました。 私たちを繋いでいたものが蘇ることになり、とても幸せな気持ちになりました。 もし、彼女の方から会いたいと言ってこなければ、私たちの気持ちはすれ違ったままでいたと思います。 わたしの方から呼びかける勇気はありませんでしたから、彼女の行為に感謝です。 もし、わたしが友人に連絡をしなければ、何も始まりませんでした。 同じときに、同じように思い切った行動に出たことがよかったと思います。 今はただゆったりとした気分で、次の出会いを待つばかりです。
「さよなら」だけはやめて、「またね」といって、電話を切ったことが救いです。
具体的なことについては何の約束もしないまま、わたしたちは繋がりだけを信じて、日々を過ごしています。
心は晴れやかです。会いたい気持ちを抑えつつ、少々さび付いてしまって故障続きの体のメンテナンスに心がけています。
『アフターダーク』(講談社文庫 村上春樹)いつもの春樹節が出ていて、よかったですね。 村上春樹の長編小説を整理しておきます。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
風の歌を聴け (1979年『群像』6月号)
『桜さがし』(集英社文庫 柴田よしき)解説(野間美由紀):大人とはどういうものでしょう。 私はこれを物事の推測が出来ることと考えています。 これは、相手に対して何かを行ったとき、その言葉がどういう影響を及ぼすか、 あるいは自分のとった行動がどういう結果を招くか、 という未来の予測ができるかどうかという意味です。 歌義とまり恵の思いとすれ違いが最後まで気になりました。
紆余曲折があって、10年では終わりきれないということを痛切に感じました。
「まり恵が飛ぶのを、待っててやる番やないか」
『アンダーグラウンド』(講談社文庫 村上春樹)アンダーグラウンド=「地下」の意味である。地下鉄サリン事件を追っかけて、計62人の被害者からインタビューしたものである。 最終的に60人の記事をまとめた。 突然の圧倒的な暴力に出くわしたとき、人は何を思い、何をなし得るのか‥特別のことではないような気がした。 それにしても、東京の地下鉄の混み具合の凄さも圧倒的である。ここで生きていくだけで、命が縮まるような気がした。 中田幹三さんの項で:サリンの被害者の方にも同じようなこと<フラッシュバック>がいつか起こるかもしれませんね。
必死で意識の底に抑え込んでいても、いつか、思いもかけないときにぱっと表面に出てくるかもしれません。 明石志津子さんの項で:だから、本来なら「ああ、最後の一人が捕まってよかった」と思わなくてはならないのだろうが、 そう思えなかった。実際には何か身体から力がふうっと抜けたような、はかない気がしただけだった。あるいは逆にそこには、 「今からまた、別の新しい戦いが始まるのだな」という、一種切ない思いさえあった。たぶんこの取材を長く続けているうちに、 被害者の方々の視点からものを見ようとする「試み」の習慣が、私なりにいくらか身についてしまったのかもしれない。 喜びのようなものは、身のうちにほとんどわいてこなかった。名付けようのない虚しさやつらさが、苦い胃液の前触れみたいに、 かすかにこみあげてきただけだった。 和田嘉子さんの項で:別れ際に何か言おうと思ったのだけれど、「元気で幸せに生きてください」としか言えなかった。
たぶんそう言ったような気がする。でも言葉というのは無力なんだなとふとそのときに思った。
でも作家である私は、それをたよってなんとか仕事を進めていくしかない。帰りの電車の中で一人でいろんなことを考えた。
『1Q84』(新潮社 村上春樹)いつものパラレルワールドがいきなり始まる。天吾と青豆の物語である。あるとき、青豆が語った言葉が気になった。 相手をしたあゆみの台詞をカットして書いてみた。まだ読んでいる途中なんだけれど、こんな場面が本当に来るのだろうか。 現実の世界でも起きて欲しいことであるから、物語の上ではもちろん、それを強く願っている。 「好きになった人は一人だけいる」「十歳のときにその人が好きになって、手を握った」 「それだけ」 「わからない。千葉の市川で小学校三年生と四年生のときに同じクラスだったけど、私は五年生のときに都内の小学校に転校して、 それ以来一度も会っていない。話も聞かない。彼についてわかっているのは、生きていれば今では二十九歳になっているだろうという ことだけ。たぶん、秋には三十歳になるはず」 「自分から調べる気にはなれなかった」 「そういうことはしたくないの」「わたしが求めるているのは、ある日どこかで偶然彼と出会うこと。 たとえば道ですれ違うとか、同じバスに乗り合わせるとか」 「まあ、そんなところ」「そのとき、彼にはっきり打ち明けるの。私がこの人生で愛した相手はあなた一人しかいないって」 「いくら顔形が変わっていても、一目見れば私にはわかるの。間違えようがない」 「そんなものなの」
再会なんてしない方がいいかもしれない。実際に会ってみたらがっかりするかもしれないじゃないか、と天吾は 思う。‥‥そうなったら、天吾は心に抱き続けてきた貴重なものをひとつ、永遠に失ってしまうことになる。しかしそうではないだろうと いう確信のようなものが、天吾にはあった。その十歳の少女の何かを決意した目と、意志の強そうな横顔には、時による 風化を簡単には許さないという決然たる思いがうかがえた。 「でもやっとわかってきたんだ。彼女は概念でもないし、象徴でもないし、喩えでもない。温もりのある肉体 と、動きのある魂をもった現実の存在なんだ。そしてその温もりや動きは、僕が見失ってはならないはずのものなんだ。そんな当たり前 のことを理解するのに二十年もかかった。僕はものを考えるのにずいぶん時間がかかる方だけれど、それにしてもいささかかかり過ぎだ な。あるいはもう遅すぎるかもしれない。でもなんとかしてでも彼女を捜し出したいんだ。もし仮に手遅れであったとしても」 店の中には天吾のほかには、大学生風の若いカップルがカウンター席に隣り合って座り、顔を寄せ合うように して何ごとかを熱心に親密に語り合っているだけだった。その二人を見ていると、天吾は久しぶりに深い淋しさを 感じた。この世界で自分は孤独なのだと思った。おれは誰にも結びついていない。 「それはともかく、その女の子のことはもっと早いうちに探し始めるべきだった。ずいぶん回り道をした。
でも僕にはなかなか腰を上げることができなかった。僕は、なんと言えばいいんだろう、心の問題についてはとても
臆病なんだ。それが致命的な問題点だ」
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