読書ノート 2005-2
2005年夏 『教科書が教えられない政治学』(土屋彰久 自由国民社)1964年生まれ。中央大学、早稲田大学にて非常任講師。2005年6月25日発行。 肝心なのは、この本をもとにして年表作成をおこなったことです。
『BC級戦犯裁判』(林博史 岩波新書)1955年生まれ。関東学院大学教授。2005年6月21日発行。 東京裁判=極東国際軍事裁判 A級戦犯裁判(被告28人 死刑確認7人)
GHQ裁判 準A級戦犯裁判(被告2人) BC級戦犯裁判(被告7か国約5700人 死刑確認938人)
ドイツを中心とするヨーロッパの戦犯裁判で裁かれた人数は約9万人にのぼる。 一方、日本の場合、後に詳しく述べるように、ソ連裁判を含めて9千人足らずであった。 すでに独立国であった被害国多数が自ら戦犯裁判をおこなったドイツのケースと、 被害地の多くが欧米植民地であり自ら戦犯裁判をおこなえず、 また最大の被害国中国が内戦のために対日宥和的だった日本のケースとの状況の違いが現れているように思われる。 国際軍事裁判所条例 1945.8.8
A 平和に対する罪、すなわち、侵略戦争若しくは国際条約、協定若しくは制約に違反する戦争の計画、準備、 開始若しくは遂行又はこれらの各行為のいずれかの達成を目的とする共通の計画若しくは共同謀議への参加 総力戦により民間人に多大の犠牲を出した第一次世界大戦への反省から、戦争に訴えること自体を禁止しようとするものであった。 B 戦争犯罪、すなわち、戦争の法規又は慣例の違反。 この違反は、占領地内の一般人民の殺人、虐待、若しくは奴隷労働若しくはその他の目的のための追放、 俘虜若しくは海上における人民の殺人若しくは虐待、人民の殺害、公私の財産の略奪、都市町村の恣意的な破壊又は 軍事的必要により正当化されない荒廃化を包含する。ただし、これらに限定されない。 非人道的兵器の禁止や捕虜・傷病者の保護などを取り決めた1899年と1907年の「陸戦の法規慣例に関する条約」と その付属書である「陸戦の法規慣例に関する規約」(通称「ハーグ陸戦法規」)、捕虜の人道的扱いを定めた1929年のジュネーブ条約など。 C 人道に対する罪、すなわち、戦前若しくは戦時中にすべての一般人民に対して行われた殺人、殲滅、奴隷化、 追放及びその他の非人道的行為又は犯行地の国内法の違反であると否とを問わず、本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として、 若しくはこれに関連して行われた政治的、人種的若しくは宗教的理由に基づく迫害行為。 陸軍省内では、連合国戦争犯罪委員会の議論を受け継ぎ、個々の将兵による犯罪を想定していた旧来の戦争犯罪概念では とらえられない、枢軸国による組織的系統的な残虐行為、後に「人道に対する罪」として定式化されるような残虐行為を 戦争犯罪として裁くべきであること、そして、こうした犯罪を犯すような戦争をおこなった最高指導者や各級レベルの 指導者・実行者を裁くことが提案された。そうした者を裁く方法として共同謀議論が提起され、また国際条約に基づく 国際法廷によって裁く案が作成された。 1946 第1回国連総会「ニュルンベルグ裁判所条例によって認められた国際法の諸原則」を確認する決議
9.11以降の世界を見ると、戦争を規制し、戦争をなくそうとしてきた100年以上にわたる人類の努力を否定しようとするもので
しかない。勝てば何をやっても許されるような風潮、それを肯定する意識の広がり、暴力には暴力で対抗する悪循環など。
イラクでの米軍による住民殺害や刑務所での虐待事件など戦争犯罪が頻発しているにもかかわらず、
アメリカは末端のものをいく人か処罰するだけで処理し、国際刑事裁判所を徹底して無視している。
法による支配とは、原理的には強者による横暴を正当化するためのものではなく、一般の人々の自由と権利を守るためのもので
あるはずである。法はすべてのものに平等に適用されなければならない。
『男たちの大和』(辺見じゅん ハルキ文庫)作家・歌人。2004年8月18日発行。 堅忍不抜
四字熟語が並びますね。 乗組員3333名。 沈没地点は北緯30度43分07秒、東経128度04分25秒。
地図帳で確かめてみます。
解説(富岡幸一郎) 戦艦大和は日本海軍の近代化の機構と技術力が生み出したものであり、その意味では近代という「神話」であった。
そして、その特攻攻撃による必敗を覚悟しての最期は、日本人の死の美学という古い徳目が生んだもうひとつの「神話」であった。
戦後すでに60年近い年月が過ぎ、今日そのいずれの日本人の「神話」も潰え去ったかに見える。
そのような今日にあって、『男たちの大和』を改めて読むことは、ただ戦争の記憶を風化させないとか、戦争の悲劇を知るべきである、
といったことだけではなく、むしろあの未曾有の大戦争をなし、戦後はそれをひたすら忘却するように、経済的な繁栄を求めて走った
この国とは何であったのか、そも日本人とは何か、という根源的な問いかけをなすことになるだろう。
『戦後史』(中村政則 岩波新書)1935年生まれ。一橋大学名誉教授。2005年7月20日発行。 「「大東亜共栄圏」などとは、むろん美名です。 自国を滅ぼす可能性の高い賭けを、アジア諸国のために行うという−つまり身を殺して仁をなすような−酔狂な国家思想は、 日本をふくめて過去においてどの国ももったことがありません」 「南方進出作戦−大東亜戦争の作戦構想−の真の目的は、戦争継続のために不可欠な石油を得るためでした。 蘭領インドネシアのボルネオやスマトラなどの油田をおさえることにありました」 「あの戦争は、多くの他民族に禍害を与えました。領地をとるつもりはなかったとはいえ、‥‥‥侵略戦争でした」。 米英と対決して、植民地を解放するというのなら、「まず朝鮮・台湾を解放していなければならないのです」(『この国のかたち』四) 太平洋戦争に対する司馬遼太郎氏の批判を引用しています。すかっとして、わかりやすいものです。
『子どもたちの8月15日』(岩波新書編集部編 岩波新書)2005年7月20日発行。 「はじめに」↓ 1945年8月15日の敗戦から今年で60年になります。 未曾有の悲惨な戦争を体験した子供たちは、この日をどのように迎えたのでしょうか。 当時4歳から12歳だった国民学校世代33名の方々に、60年前という遠い日の記憶をたどりながら、ご執筆いただきました。 「食」への関心、慣れない疎開先での生活、肉親を失った深い悲しみ、異国で迎えた敗戦、アメリカによってもたらされた異文化など、 8月15日前後の日々のことが生き生きと綴られていて、貴重な記録になっていると感じられました。 ちょうど、学童疎開の世代と一致するようです。
縁故疎開と集団疎開、いずれにせよ親元から離れての心細い生活だったようです。
「玉音放送」はたいていの人が聞いていたようですが、子どもたちには難しい言葉だったようです。
でも、まわりの大人たちの雰囲気で敗戦を悟ったようです。
『戦場体験−「声」が語り継ぐ昭和』(朝日新聞社編 朝日文庫)2005年7月30日発行。 出陣学徒が受けた昭和18年までの主な高等教育(標準の修業年数の場合) 国 → 職業・技能教育コース
学徒出陣・学徒動員関係の略年表 昭和16年 10/16 大学・専門学校の修業年限3か月短縮、12月卒業へ
その他 ○学徒出陣‥医学部と、農学部の一部を除く理系の入隊延期は終戦まで行われた
ノルマはロシア語だそうです。
『神風特攻の記録』(金子敏夫 光人社NF文庫)1921年生まれ。元土浦海軍航空隊甲種飛行予科練習生教官。東京工科大学教授。2005年8月9日発行。
1944年10月25日に、フィリピンで、第一神風特別攻撃隊の初攻撃が行われた。 菊水・朝日・山桜隊。
敷島隊。
1944年10月20日に発足してから79日。特攻隊員405名が犠牲となる。(フィリピン) 1945年沖縄が全滅し、「天」号作戦が中止となるまでの間に、沖縄に突入した海軍特攻出撃機は1,637機、陸軍特攻出撃機は931機に達した。 「特攻作戦それ自身、用兵の邪道に相違なく、作戦として自慢できるものではない」のなら、「尊い犠牲」とか「殉国の英霊」とかの言葉も虚しいものでしかない。
『昭和の世相』(『昭和の歴史』別巻 原田勝正 小学館)1930年生まれ。和光大学講師。1983年9月25日発行。 1941(昭和16)年
1942(昭和17)年
1943(昭和18)年
1944(昭和19)年
1945(昭和20)年
『日米戦争と戦後日本』(五百旗頭真 講談社学術文庫)1943年生まれ。神戸大学法学研究科教授。2005年5月10日発行。 帯より(概略) 真珠湾から半年余、わが国が緒戦の戦勝気分に酔っていた頃、米国ではすでに対日占領政策の検討に着手していた。 そして、終戦。3年の年月を要した米国による戦後日本の見取り図はどう描かれ、それを日本はどう受け止めたか。 また、それを通じ、どう変わっていったか。米国の占領政策が戦後日本の歴史に占める意味を鳥瞰する。吉田茂賞受賞作。 日米戦争が終わろうとする決定的局面において、 知日派の頭目がアメリカ外交の実質的な最高責任者となったのは、 わが国にとって幸運というほかない。 グルー(国務次官、元駐日大使)とスティムソン(陸軍長官、元国務長官)のことである。 ・占領軍による直接統治に最後まで抵抗した。
・硫黄島、沖縄はアメリカ軍部にとって失敗した作戦、もしくは苦すぎる勝利である。
原本あとがき 足りないのは、軍事力というハードではない。
尾根筋に立ったものに求められる大局的展望能力と、それに基づいて決断する者にただよう風格とでもいうべきものであろうか。
身をひそめて経済の実を手にする慣性のなかで、われわれは、他国民と世界の運命に共感を持って行動する苦痛と誇りを、
見失いすぎたのではなかろうか。
『靖国問題』(高橋哲哉 ちくま新書)1956年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。2005年4月10日発行。
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