読書ノート 2004


昨年の夏以来、一年ぶりにまとめてみようと考えた。 全く暇だからというわけではなくて、本来の形に戻って、言葉の響きが気に入ったものを残してみたいと思ったのだ。 読みたいものが見つかるかどうかだが、無理はしないでおこうと思う。


血の騒ぎを聴け

口笛吹いて

ホームラン術

海岸列車

一行だけのコメント集

ミステリー・ブーム

四十回のまばたき

ポリティカにっぽん


宮本輝『血の騒ぎを聴け』

「能く忍ぶ」より

<能忍>という言葉が仏典の中にあって、それは仏の数ある別号の中のひとつなのだと、ある人から教わった。 耐えなければならぬことが人生にはいくつもあるのを、人は幼くして知るはずだが、それがどうしても出来ないまま失敗を繰り返してしまう。
どうしてあのとき癇癪をおこしてケンカをしてしまったのか。 どうしてあの時、この長い人生の中のたった二年や三年という時を無限のごとく錯覚し、焦って物事を途中で投げ出してしまったのか。 耐えることの出来なかった自分を思い起すと、漸愧の念にひたるばかりである。
芥川賞を受賞してすぐに、私は肺結核で入院した。悶々とベッドに臥していたとき、私の尊敬する方から励ましのはがきを頂戴した。
−長き将来にあっては、今の御供養が、即ち偉大なる作品の源泉になりゆくであろうと私は思っています。−
としたためられていた。
私はその一枚の葉書を何度読み返したかしれない。 一年や二年の闘病生活が何だ。自分は必ず元気になって、すばらしい小説を書いてみせるぞ、と己に固く誓った。
私はいまもってすばらしい小説を書けずにいるが、一枚の葉書の文章とともに、<能く忍ぶ>という言葉を絶えず自分に言い聞かせている。


「ハンガリー紀行」より

私たちがジャンケンをしていると、近くの席にいたドイツ人たちが、珍しそうに見ている。ドイツには、ジャンケンはないのかなと思いながら、 私は彼らに日本のジャンケンのやり方を教えた。
「はい、ご一緒に。ジャンケン・ポン」
いくら教えても、彼らは「ジャンケン・ポン」を正確に発音できない。グーやチョキを出す手ももどかしい。
「発音の悪いやつらや。グーやチョキぐらい、覚えられへんのかいな」

いつもの宮本輝節である。悪意はない。
あとがきで、もうエッセイを書くのはやめると言っていますが、時期を置いて再度挑戦して欲しいものです。




重松清『口笛吹いて』

所収の「タンタン」「かたつむり疾走」が好きである。まことに、まことに、微妙なんだけれど‥

「体さえ健康だったら、人生どうにでもなるんだから」
それが最近の口癖。シンプルで前向きでたくましい言葉だから、そのぶん、ちょっとうっとうしくもある。

親父がリストラされてからオフクロが明るくなった、に続くオフクロの言葉なんだけれど
息子からすれば、納得できないものが残るというわけだ。




鷲田康『ホームラン術』

500ホーマー・クラブ
755ハンク・アーロン23年('54〜'76)
714ベーブ・ルース22年('14〜'35)
660ウイリー・メイズ22年('51〜'73)
658バリー・ボンズ('86〜)
586フランク・ロビンソン21年('56〜'76)
583マーク・マグワイア16年('86〜'2001)
573ハーモン・キルブリュー22年('54〜'75)
563レジー・ジャクソン21年('67〜'87)
548マイク・シュミット18年('72〜'89)
539サミー・ソーサ('89〜)
536ミッキー・マントル18年('51〜'68)
534ジミー・フォックス20年('25〜'45)
528ラファエル・パルメイロ('86〜)
521ウイリー・マッコヴィー22年('59〜'80)
521テッド・ウイリアムス19年('39〜'60)
512アーニー・バンクス19年('53〜'71)
512エディー・マシューズ17年('52〜'68)
511メル・オットー22年('26〜'47)
504エディー・マレー21年('77〜'97)

松井秀喜の場合 日本通算:332本('93〜2002)
米国通算:34本(2003〜2004.7.20現在)←誰でも、始まりはこんなものだった。

バリー・ボンズはとんでもなく凄いやつ。あと2年で大記録を打ち立てるだろう。



宮本輝『海岸列車』

山陰の鎧駅を検索してみました。すぐそばを車で通ったことがあります。
香住駅と余部駅の間にありましたが、どちらに向かってもトンネルでした。
ルーツを探ることは、新たな出発を意味しているようですね。



一行だけのコメント集

小栗左多里『ダーリンは外国人』 絵ではなく、文字を読むのに時間がかかりました。
小関順二『プロ野球のサムライたち』 日本にもすごいやつがいるわけです。
『世界なるほど地図』 地図をながめるのが元々好きです。
池上彰『ニュースのことば』 気になったのは初めだけでした。
三田誠広『団塊老人』 彼独特の心地よい文章です。
蟹瀬誠一『最新時事キーワード』 本来、どんどん読み進めるものではないのですが。




ミステリー・ブーム

宮部みゆき『パーフェクトブルー』

柴田よしき『フォー・ディア・ライフ』
柴田よしき『フォー・ユア・プレジャー』

乃南アサ『鍵』
乃南アサ『窓』
乃南アサ『不発弾』

中嶋博行『検察捜査』
中嶋博行『違法弁護』
中嶋博行『司法戦争』
中嶋博行『第一級殺人弁護』

桐野夏生『天使に見捨てられた夜』

渡辺容子『左手に告げるなかれ』
渡辺容子『無制限』



『四十回のまばたき』

すごいね、あんたは。
ポストに向けてつぶやいた。
誰かが誰かになにかを伝える郵便物を飲み込みつづけ、巡回する郵便局の収集係がやってくると吐き出していく。ポストは毎日毎日それを繰り返している。街じゅうの伝えたいことがこのポストに集められ、それぞれの目的地へ散っていく。けれど、ポストはなにも代弁してはいない。もちろん、演出も、だ。

できるなら、ぼくは、ポストのような存在でありたい。
またまた、重松清氏の作品です。
この本は、欠落感を抱いて生きるすべての人へ贈る‥などと書いています。
感じるものがあると思う分、わたしもそうなんでしょうか?
あはは‥30個目のビー玉を手に入れるために、「昔なつかしい」ラムネを飲んでいます。
ちょっと失敗して、座布団とカーペットを濡らしてしまいました。




ポリティカにっぽん

 「コイズミという時代」がひとつはブームとバッシングで揺れる世論、もう一つ「改革」と「戦争」のアンサンブルという2点で特徴づけられるとすれば、今年出たもう一つの「昭和史」(平凡社)の著者半藤一利さんの話にも耳を傾けなければならない。彼は「日本人はなぜ戦争をするのか」という答えを歴史に求めてこう言っている。

 「第一に国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてはいけない。ひとことでいえば時の勢いに駆り立てられてはいけない」

 「二番目は、日本人は抽象的な観念論を好み、具体的理性的な方法論を検討しようとしない」……。

 戦前、日本の新聞がにわかに「戦争」に加担していったのは、31(昭和6)年の満州事変がきっかけだった。これが日本軍の陰謀であることはうすうす感じていたのに、わが生命線「満蒙」の権益が侵犯され、忍べるだけ忍んできた日本の我慢も限度があると「戦争」の熱狂を盛り上げた。各新聞はそれぞれ多数の特派員を派遣して部数の拡大を競ったのだった。

 くどいようだけれど、そんな戦前の愚を二度と繰り返してはいけない、どうもへたをすると繰り返しそうだ、それが「ポリティカにっぽん」で心配してきたことである。

 くどいついでに今年出たもう一つの本に触れたい。「りぼん・ぷろじぇくと」という仲間たちがつくった絵本「戦争のつくりかた」(マガジンハウス)である。かいつまんでいうと。

 わたしたちの国は60年ちかく前、「戦争しない」と決めました。しかしわたしたちの国を守るだけだった自衛隊が武器をもってよその国にでかけるようになる。攻められそうだったら、先にこっちから攻めるというようになる。

 戦争のことはほんの何人かの政府の人たちで決めていいというきまりをつくる。テレビや新聞は政府が発表した通りのことを言うようになる。学校では、いい国民はなにをしなければならないかを教わります。だれかのことをいい国民ではない人かもと思ったら、おまわりさんに知らせます。おまわりさんは、いい国民でないかもしれない人をつかまえます……。

 最近、反戦ビラを配った人が捕まったりするのを見ていると、どうも本の通りに進んでいるなと思わざるをえない。で、本は結び近くにこう書いている。

 人のいのちが世の中で一番たいせつだと、今まで教わってきたのは間違いになりました。一番たいせつなのは、「国」になったのです。

 そんなことにならないように祈ってペンを置きたい。

 早野透氏のコラム 『ポリティカにっぽん』 から抜粋してみた。タイトルは「改革の灯 戦争の影」である。これをもって、9年も続けたこのコラムが終わることを知った。真面目な読者ではなかったが、年の初めの指針を考える際には、いつもここから始めてきたわけだから、消えるのはまことに寂しい限りである。

 これからは自分の頭で考えていくしかない。この「国」のためにではなくて、自分たちのためにである。大切なのは、わたしと家族とわたしとつながる仲間たちのためである。この「国」に何もかも任せてしまわず、自分たちでやっていく力と希望があると信じている。あはは‥いつまでたっても未熟者ですが、とりあえず、やってみるしかないですね。



戻る