読書ノート 1999-3


  1. わたしのグランパ

  2. いちずに一本道 いちずに一ッ事

  3. よりかからず

  4. それでいいんだよ

  5. ゾマホンのほん

  6. ドイツ連邦の各州

  7. ドイツ的とは何か

  8. ミュンヘンの小学生

「わたしのグランパ」(筒井康隆)

 筒井康隆「わたしのグランパ」を読む。グランパとはムショ帰りのおじいちゃんのこと。孫の珠子のために、いじめや校内暴力の撲滅を図り、地上げの暴力団とも一戦を交える。その偉大なるグランパが溺れている子どもを救うために川に飛び込み、亡くなってしまう。もちろん、子どもを救った後で、力尽きてね。

 珠子の悲しみを別にすれば、痛快そのものである。男なら誰だって(?)、そんな風に生きてみたいと思う。本当に困ったものだね、男って。ボクも結構困った人間だが、グランパとは器が違う。もちろん、孫のことなど考えられる年歳でもない。

 結局、夜中に全部読み切ってしまって、少々寝不足だ。しかし、気持が高揚しているときに疲れはない。
  


「いちずに一本道 いちずに一ッ事」(相田みつを)

 ドイツ・ロシア連邦の旅の中で、訪問先5校と1市教委にお渡ししたものが、相田みつをの詩を載せた額縁だった。詩は見ていないが、独特のあの文字だけは強く覚えている。

 そういえば、以前にもその書体を見た記憶がある。妻からは「えー、知らなかったの?有名やで。」って聞いた。知らなかったのはボクばかりなり、ということみたいだ。

 角川文庫「いちずに一本道 いちずに一ッ事」を買った。詩と自伝風の文章とからなる本である。気に入ったものは、

 せのびする じぶん 卑下する じぶん どっちも やだけど どっちも じぶん

 つまづいたって いいじゃ ない にんげんだ もの

  


「よりかからず」(茨木のり子)


 もはや 
 できあいの思想にはよりかかりたくない
 もはや 
 できあいの宗教にはよりかかりたくない
 もはや
 できあいの学問にはよりかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にもよりかかりたくない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 よりかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ


 ご存じ、茨木のり子さんの詩集より。評者、河崎史夫氏の言葉(朝日新聞1999.11.14)が説得的だ。「人間という字を見てごらん。ひとのあいだに、人間は生きているのだ。人という字を見てごらん。寄っかかりあって人は生きているのだと、そんなことを、いつかだれかに聞かされたことはなかったか。だれもが肩書により、地位により、財産により、親の七光りにより、学歴により、子により、他人の思想により、人生観まで人のものによりかかって生きていて何らあやしまない。そんな、うじゃけた生き方でほんとうにいいとおもうているのかと、詩人は言う。どやしつけられたようだ。人が生きるとは自分の足で立ち、自分の耳目を酷使することだと、詩人は言い放ち、昂然としている。」

 日々煩悩のままに生きている自分としては、ドキッとしてしまう。迷いの中で生き、強くなろうと思いながら、後悔ばかりしている。でもね、決して悲しいことばかりではなく、嬉しいこともあることを書いておかなければ嘘になってしまう。

  


それでいいんだよ


 そう
 そうだよ
 それでいいんだよ
 それでいいんだ
 それでいいんだと
 何遍もなんべんも
 自分で自分に
 言いきかせないことには
 僕はそれでいいと
 思えなくなってしまった
 本当に
 世話が焼けるよ
 この僕は
 そうそう
 それでいいんだ
 それでいいんだよ

 この詩が欲しくて、つい買ってしまった。1,200円もする原田宗典の「青空について」と題する第一詩集である。何でこんなヤツ(親しみを込めて言っている)の本を買ったのだ。おまけに、後で気がついたことだけれど、「すべての 疲れた 大人たちへ」とある。こんなのを買うヤツの気が知れない。ボク以外にね。 

  


「ゾマホンのほん」

 もう一つ。ジャスコの本屋で「ゾマホンのほん」を見つけて、一気に読んでしまった。本物のアフリカ人の心に触れることができた。これ以上は何も語らず、この本の「はじめに」を紹介するだけに留める。ベナンはギニア湾岸の国だから、地図で確かめて欲しい。上智大学大学院で学ぶゾマホンはもう35歳。夢の実現のためにもう少し体に気をつけて、長生きして欲しいと思う。「人生甘くない」から‥‥。

 「わたしの夢は学校をつくること。それの実現のためにわたしはこの本を出します。この本で得たお金は一円もわたしのものにするつもりはありません。すべてが学校をつくるためのものとなります。この学校は日本とベナンの友好を深めるためにたてられます。そしてやがてはベナンの初等教育の普及のために地方に学校をつくっていきたい。ベナンの人々に愛の手をさしのべるために。ベナンと日本の架け橋となるために。」

 できるだけ多くの人に読んでもらいたいと思う。よろしくお願いします!と言っていいでしょうか? ちょっと有名になりすぎた分、お薦めするほどでもなくなったかな。

  


ドイツ連邦の各州

 1990年10月3日旧東独のドイツ連邦共和国加盟が実現し、16州となった。バーデン=ヴュルテンブルク州・ハンブルク州・ヘッセン州・ノルトライン=ヴェストファーレン州・ラインラント=プファルツ州を訪れ、ニーダーザクセン州を通過した。 ハンブルク州・ニーダーザクセン州以外はいずれも、ライン河とその支流であるマイン川、ネッカー川と関わる州である。

 連邦政府新聞情報庁「ドイツの実状」1997(ドイツ連邦共和国神戸大阪領事館提供)より作成した。いつ手放してもいいようにね。

 州 名  州 都  人 口  面 積  所 属 
バーデン=ヴュルテンブルク州シュツットガルト1,030万人35,751ku  *  
バイエルン州ミュンヘン1,200万人70,554ku  *  
ベルリン州ベルリン 350万人  889ku東西統合
ブランデンブルク州ポツダム 250万人29,479ku旧東ドイツ
ブレーメン州ブレーメン  68万人  404ku  *  
ハンブルク州ハンブルク 170万人  755ku  *  
ヘッセン州ヴィースバーデン 600万人21,114ku  *  
メクレンブルク=フォアポンメルン州シュヴェリーン 180万人23,170ku旧東ドイツ
ニーダーザクセン州ハノーファー 780万人47,338ku  *  
ノルトライン=ヴェストファーレン州デュッセルドルフ1,800万人34,078ku  *  
ラインラント=プファルツ州マインツ 400万人19,849ku  *  
ザールラント州ザールブリュッケン 110万人 2,570ku  *  
ザクセン州ドレスデン 460万人18,337ku旧東ドイツ
ザクセン=アンハルト州マクデブルク 275万人20,445ku旧東ドイツ
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール 270万人15,729ku  *  
テューリンゲン州エアフルト 250万人16,171ku旧東ドイツ


  

ドイツ的とは何か

 阿部謹也「物語ドイツの歴史」を読む。何度か読んで、結局、「はじめに」に戻る。

 「個人が複雑な社会と向き合ったとき、そこで求められているものと自分が大切にしようと思っているものとの乖離に悩まされることはどこの国でもあるだろう。ドイツの場合はその悩みが何歳になっても問題として認められているのである。」「日本においては若いころの悩みや煩悶は年とともに忘れ去られ、忘れられない人の場合でも周囲からは理解されない。そのような悩みは若い時代特有のものとして『世間』を知った大人にはすでに過ぎ去ってしまった過去の出来事として位置づけられているのである。ドイツにおいてはそのような悩みはいつになっても誰でも悩むことが当然と理解され、それを位置づける芸術が存在しているのである。」

 「ドイツの都市住民は中世末から領邦権力の谷間で息を潜めて暮らし、国家とも深い関係をもたず、狭い都市の範囲の中で宇宙に思いを寄せて暮らしてきたのである。音楽こそ天上と人間界、地上の秩序として人がこの世に生きる上でのハーモニーの表現だからである。その意味でも音楽もドイツの観念論哲学と深い関係をもっているといえよう。そしてその都市はかつてドイツを覆っていた深い森から切り離されたところに成立している。森と泉こそドイツの中世の象徴であったが、それはもはや都市には見られない。」「そのよう嘆きが音楽にも哲学にも反映しているのである。いわば呪術的なものを多く抱え込んだ国が近代化に直面し、特異な能力を発揮して近代化路線でも勝利を収めたかに見えたが、かつての生活を支えた呪術的なものに対する憧憬は抑え難く、あらゆる機会にあらゆるところで吹き出してくるとでもいえようか。私はナチスの動向にもそのようなものが否定できないようにも思うのである。」

 ドイツの個人主義の行き着くところが森と呪術的なるものへの憧憬とメランコリーだとすれば、とても辛いね。現実感から離れたところに生まれる宇宙(世界)観なるもの、それは果てしないあこがれと深い悲しみをもたらすに違いない。人間の飽くことなき挑戦は続く。 

  


「ミュンヘンの小学生」(子安美智子)

 また寝不足になってしまった。読み進んで深夜になってしまい、読後の感動!とやらで、寝付けなかった。久しぶりにとても良い本に出会った。これは自分だけに留めるのは惜しい。と思っていたら、早速、職場でシュタイナー教育のことについて話ができて、最高だった。こんな時は嬉しいね。

 子安美智子「ミュンヘンの小学生」を読んだ。娘の文(ふみ)ちゃんがいきなりミュンヘンの小学校に入学することになった。あっと言う間に適応するかと思ったら、全く違っていた。どんどん理解し、ドイツ語も十分わかるようになっているはずなのに、学校では寡黙のままである。間違ったら恥ずかしいから、という気持があって、しゃべることができない。すごいプレッシャーである。でも、両親も、先生も、怒ったりはしない。じっくり待つのである。先生は心配していない。しゃべるようになる機会をさりげなくつくっていくのである。ついにしゃべりだした。とめどなくしゃべり、おしゃべりが過ぎってしまうまでになる。すごいね。 

 シュタイナー学校である。ボクたちが訪れた「フライエ ヴァルドルフ シューレ」である。日本の学校の閉塞状況を突き破るヒントがいっぱいである。国は違っても、子どもの感性やその成長ぶりは同じである。

  • 「エポック授業」 ― コマ切れの時間割はよくない。シュタイナー学校では、3〜4週間ごとのエポック制にして、国語なら毎日国語ばかり、算数のエポックにうつったら算数ばかりを集中的に勉強する。
  • クラス担任は8年間もちあがり ― この学校は12年制の一貫教育をおこなうが、入学してからの8年間は、同じクラス担任の先生に受け持たれる。
  • 点数のつかない通信簿 ― 低学年ではテストをいっさいやらない。学年末の通信簿には、子どもの学校生活の現状と、教師の意見で文章が表記される。

 モミの木、アドヴェント・クランツ、12月6日のサンタクロースの日、アドヴェント・カレンダー、そして本物のクリスマス。バイエルン・ミュンヘンはドイツ南部の都市だからか、ボクたちは憧れのもみの木の群れ(森)を見ることができなかったのだが、クリスマスともなるとしっかり登場するのだね。続編の「わたしのミュンヘン日記」を読む楽しみができた。子安 文著である。波瀾万丈が予測され、心配でもある。 

  


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