読書ノート 1999-1

ヨーロッパ、心の旅


  1. 心がけてみるかな

  2. 「ドイツの実状」1997

  3. 高橋義人「ドイツ人の心」

  4. 岩村偉史「ドイツ感覚」

  5. ゲーテ「若きウェルテルの悩み」

  6. 葛野浩昭「サンタクロースの大旅行」



心がけてみるかな
  • ジャガイモを食べるときはナイフは使わず、フォークでつぶして食べる。
     
  • 相手の名前(名字)は忘れず。「こんにちは、シュミットさん」「それはですね、シュミットさん、こういうことなんですよ‥」「ありがとう、シュミットさん」という具合である。

  • あいさつは口に出して。商店や飲食店でも、無言で入って、無言で出ていくのはよくない。道を譲って欲しいときとか、ぶつかってしまったときは、即座にしかも相手に聞こえるようにはっきりと「すみません」などと声をかける。 
     Guten Morgen.(おはよう) Guten Tag.(こんにちは) 
     Guten Abend.(こんばんは) Guten Nacht.(おやすみなさい) 
     Auf Wiedersehen.(さようなら)  Entschuldigung.(すみません)
     Danke schon.(ありがとう)〈ドイツ語のフォントがないので失礼〉


「ドイツの実状」1997(連邦政府新聞情報庁)を手に入れました

 大阪・神戸ドイツ連邦総領事館のご好意により、お送りいただいた本があります。いつでも、どうぞ申し出て下さい。




高橋義人『ドイツ人の心』(岩波新書)



この夏が終わる頃、ドイツに行って来ます。

 これまで私は、ドイツ人とはメランコリックな人々であると説いてきました。しかしそう言っただけでは、ドイツ人の具体的なすがたは浮かんでこないであろう。日本人とは「みやび」や「さび」を愛する人々であると言っても、他国の人々にはおそらく何も分からないように。もしも他国の人々に日本人の心を深く知ってもらおうとするなら、日本人のこよなく愛する次の五点の理解が少なくとも必要だといえないであろうか。
  1. 東海道、とりわけ富士山
  2. 中国文化
  3. 正月
 先に、本書の意図はドイツ人の好むものを通して「ドイツ的」なものを浮かび上がらせることだと述べたが、ドイツ人の特に好むものとしては次の五点が挙げられよう。
  1. ライン河、とりわけローレライ
  2. 菩提樹
  3. 南国イタリア
  4. クリスマス
 ハイネの詩、ジルヒャーの作曲になる「ローレライ」の有名な調べが聞こえてくる。


なぜかは分からぬけれど 胸のうちに
もの悲しい思いがつのり
昔から言い伝えられてきた物語が
思い出されてきてならぬ―


それは 風の冷たい夕暮れのことだった
ライン河は静かに流れ
山の頂は 沈む夕陽に
あかあかと照り映えていた


ふと見ると 岩山の上に
眼もあやな美しい乙女が座っていた
金色の首飾りは夕日を受けて輝き
金色の櫛は彼女を梳(ス)いていた


金色の櫛で髪を梳きつつ
乙女は歌をうたっていた
こころを甘美にとろけさす
妙(タエ)なる調べをもって


小舟をあやつる舟人の
心を捉えるその調べ
舟人は迫りくる岩礁も眼に入らず
乙女のすがたを仰ぎ見るばかり―


ぼくは思う ついに舟人は小舟もろとも
波にのまれてしまったのだと
そしてそれらすべては 歌声も妖(アヤ)しい
ローレライのしわざだったのだ


 故郷を出奔したさすらい人の側から菩提樹を見た有名な詩、ドイツ人なら誰でも知っている詩がある。シューベルトの歌曲集「冬の旅」に収められている「菩提樹」(ヴィルヘルム・ミューラー詩)である。


市門の外の泉のそばに
一本の菩提樹が立っている
ぼくはその樹陰で かずかずの
甘い夢にふけったものだ


ぼくはこの菩提樹の幹に
かずかずの言葉を刻みつけた
うれしい時も悲しいときも
ぼくはいつもこの樹に惹(ヒ)かれたものだった


今日もぼくは深い夜のなか
さすらいの旅をつづけなければならなかった
暗闇のなか
ぼくはふと眼をとじた


すると あの菩提樹の梢のそよぐ音
まるでぼくによびかけるかのようだ
「友よ ここへおいで
ここにこそお前の安らぎがある」と


冷たい風が真向から
ぼくの顔に吹きつけ
帽子が頭から吹きとんだが
ぼくは振り向こうともしなかった


ぼくは今あの場所から
とても遠く離れたところにいる
それなのにいまでも聞こえてくる
「ここにこそお前の安らぎがある」と梢のささやく声が


 モミの樹に対するこうした畏敬の念は、クリスマスには必ずうたわれる歌「モミの樹」に端的に表現されている。


おお モミの樹よ おお モミの樹よ
お前の葉は何と誠実なのだろう
お前が緑の葉をつけているのは夏ばかりではない
雪の降る冬にも緑の葉をつけている
おお モミの樹よ おお モミの樹よ
お前の葉は何と誠実なのだろう


おお モミの樹よ おお モミの樹よ
ぼくはお前がとっても好きだ
クリスマスになると お前は何回となく
ぼくの心を楽しませてくれた
おお モミの樹よ おお モミの樹よ
ぼくはお前がとっても好きだ


おお モミの樹よ おお モミの樹よ
お前の装いはぼくに教えてくれる
希望と永続性こそが
慰めと力を与えてくれるということを
おお モミの樹よ おお モミの樹よ
お前の装いはぼくに教えてくれる


森の枯死とエコロジー

 ドイツでは、つくりすぎたアウトバーンと酸性雨のために多くの森が枯死しつつある。 酸性雨による森の死を、ドイツ人は中世のペストになぞらえて「緑の黒死病」と呼んでいる。 1991年の調査では、東西ドイツの何と64%がこの病に冒されている。

 日本では想像もつくまいが、冬のドイツでは昼間でもライトをつけて車を運転しなければならないほど汚染した灰色の大気がたちこめている日がよくある。 ドイツ国内の火力発電所や工場の煤煙、車の排気ガスのためばかりではない。ドイツはヨーロッパの十字路に位置し、それだけに隣接する国々から大量に流入してくる汚染物質の影響は深刻な問題である。 東西ドイツが統一される前、主に東ベルリンから流れ込んでくる大気汚染のために、西ベルリンでは車の運転や工場の操業が自粛を求められたり禁じられたりしていたが、 そのニュースを聞きながらも、東ベルリンの人々は有毒な排気ガスをまきちらしながらトラバント(東ドイツの大衆車)を走らせつづけていた。 また、ライン河は数ヵ国にまたがって流れているが、ライン河に入りこんでくる工場排水についてドイツ国内の規制をいかに厳しくしても、他国の規制が緩やかなら、ライン河の汚染を抜本的に解決することはできない。 島国である日本ではまだ十分に理解されていないが、環境問題は他国との強調なしにはとうてい解決できないのである。



岩村偉史「ドイツ感覚」(三修社)



日本より北にある

 ドイツは日本よりだいぶ北に位置している。ドイツ中部の国際金融都市フランクフルトが北緯50度、南部にあるバイエルン州の首都ミュンヘンが北緯48度にあるのに対し、日本の最北端でさえ北緯45度にすぎない。それで夏は日本より日が長く、冬は日が短い。そうかといって、ドイツは酷寒の地ではなく、大西洋気候の影響を受けて気候は比較的穏やかである。年間を通じて降水があり、日本と同様に四季の区別がある。
 日本との時差は8時間である。日本の方が8時間早い。ドイツでは3月下旬から10月下旬にかけて夏時間が採用され、時計を1時間進めるので、この期間中は7時間の時差となる。

国土と自然

 ドイツの人口は約8,200万人で、ロシアに次いでヨーロッパ第2位である。国土の広さはフランス、スペインよりも小さく、35万7,200平方キロである。日本の37万7,000平方キロよりやや小さい。人口密度は1平方キロあたり約230人で、ベルギー、イギリス、オランダに次いでヨーロッパでは第4位である。日本は約330人である。
 日本の地形は山がちであるのに対して、ドイツでは平野と丘陵地が主体で、自然が豊かだ。農地が約55%、森林が約29%、住宅地が6%弱で、実質的に利用できる国土はドイツの方がはるかに広い。
 北部は北海とバルト海沿岸に散らばる多数の島々に始まり、平坦で湖沼に富んだ地形が広がる。中部で小高い丘陵地帯や森林地帯に変わり、南部では起伏ある風景を展開して、アルプスに連なる国境の山岳地帯で終わっている。バイエルン・アルプスにはドイツの最高峰ツークシュピツェ(2,962b)がそびえ立っている。最も標高の高い町でも1,008bで、ほとんどの町はなだらかな丘や平地に位置している。
 日本でもよく知られているライン川は「父なる川」と呼ばれ、ドイツを南から北に流れる。総延長865キロに及ぶドイツ最大の河川であり、その大部分は船の航行が可能である。ライン川流域は気候が温暖で、ブドウの栽培がさかんだ。

教育システム

 ドイツでも子どもたちは満6歳で入学し、義務教育は9年間続く。子どもたちはまず基礎学校に入学し、4年生で自分の将来の進路、つまり、どの上級学校へ進学し、どのような資格を取得するのかを決めなくてはならない。ドイツでは卒業資格と職種が緊密に結びついているので、これは同時に職業の選択をも意味している。
 上級学校には次の3種類がある。職人や工場労働者をめざす基幹学校、主に民間企業の一般事務職や下級・中級公務員になるための実科学校、大学に進学するためのギムナジウムである。例えば家具職人になろうとする人は、基幹学校を卒業した後、職業学校に1週間のうち何日か通いながら同時に家具製作所で職業研修を受ける。理論と実地を組み合わせたこの研修形態をドイツでは二元的職業教育と呼んでいる。 
 以上が一般的な形態ではあるが、連邦制の国であるドイツでは文化・教育行政は各州に任されているので、就学年限や学校の形態などは州によって多少の差がある。

10歳で進路を決める

 10歳で将来の進路を決めなければならないと聞くと、私たち日本人は子どもにとって過酷な選択であるかのように考えてしまう。しかし、ここでは特定の職業を決めてしまうではなく、自分の人生をどの方向に向けるかという大まかな将来設計を立てることなのである。日本のように学校を出てから職業を決めるのではなく、将来の職種を見据えてこれに適した教育を選択するのだ。一度選択したらもう変えられないというのでなく、将来計画を変更しようと思ったら学校に入り直して必要とする単位を取ればよい。この点ドイツの大学のシステムは柔軟にできている。授業料も入試もないから、必要と感じたらいつでも入学して卒業資格を取ることができる。

教室では

 学校は一般的に午前中だけで終わる。そのため日本のような給食はない。子どもたちは簡単なサンドイッチや菓子類を持ってゆき、お腹がすいたら休み時間に食べる。放課後は教室を掃除することもなく、昼にはもう家に帰ってくる。教室の掃除は清掃会社に委託してある。学校でのクラブ活動も日本ほどにはさかんではない。放課後のクラブ活動で帰宅が遅くなることもない。 
 また、日本の子どもたちにとって羨ましい点は、ドイツには大学受験がないので受験勉強も塾もないこと、夏休みなど長期の休みには宿題がないこと、制服も生徒の行動やヘアスタイルまでこと細かく決めた校則もないことなどである。ちなみに、ドイツでは私立の学校は少なく、あったとしてもたいていは寄宿制の学校である。

教会と学校教育

 ドイツの学校では、教室に十字架がかけられていることが多い。この当たり前の慣習に異議を唱える人たちが裁判所の判断を求めたことがあり、教室に十字架は必要不可欠なものではないとする判決が出された。これに対し、カトリック信者の多いバイエルン州では大きな反発が巻き起こった。
 ドイツの学校には「宗教」の時間がある。宗教と言ってもキリスト教のことで、このときはプロテスタントとカトリックに分かれて授業がある。この宗教の時間の廃止を主張する意見が最近出されている。特に旧東ドイツでは共産主義体制下で宗教が疎まれていたため無宗教の人々の割合が非常に高い。これに加えて、イスラム教などキリスト教以外を信仰する外国人子弟の割合が増加している。そこで、キリスト教を教える従来の宗教の時間に代えて、宗教一般や倫理・道徳も履修できるようになっている。 

余暇活動の拠点ークラブ

 ドイツ人は余暇時間を利用して住まいの補修、室内の模様替え、庭仕事などに精を出すが、家の外での余暇活動の拠点となるのは「クラブ」である。クラブは同好の士が集まってつくるもので、スポーツ、合唱、乗馬、切手収集クラブなどさまざまである。その主流となっているのがスポーツクラブで、ドイツ人の4人に1人がこれに所属していると言われている。
 人気スポーツは何といってもサッカーである。続いて、水泳、陸上競技、スキー、テニスの順になっている。いずれの種目にも世界のトップクラスの選手がおり、オリンピックや世界大会で優勝している。興味深いことにサッカー以外は個人競技である。団体種目が主体の日本とは好対照である。 




ゲーテ「若きウェルテルの悩み」



1771年5月4日から始まり、舞台はドイツ。初めは取っつきが悪いが、途中から一気に進む。菩提樹、散歩、森が出てくる。「ドイツの心」そのものだ。

「たった1つだけいわせてもらえればだね、世の中ではあれかこれかで片のつくようなものはそうめったにあるもんじゃないってことだ。ぼくらの気持ちや行動の仕方は実に複雑なのだ。鷲鼻と団子鼻との間に無数の変化があるようにね。」(8月8日 ウィルヘルムへの手紙)

ロシア人もドイツ人も、何でこんなにおしゃべりで、うるさいのだ。村上春樹ほどの自制心はないのだろうか。




葛野浩昭『サンタクロースの大旅行』(岩波新書)



クリスマスが近づくと、日本でもさまざまな雑誌でサンタクロースの住所が紹介されます。

  • ヨウル・プッキ
     Mr.Joulu Pukki,Joulupukkin Pajakyla,96930 Rovaniemi,Finland
  • ユール・トムテ
     Mr.Jul Tomte,Tomteland,Gesundaberget 790 43 Solleron,Sweden
  • ユール・ニッセ
     Mr.Jul Nisse,Nissehuset,1440 Drobak,Norway

 現在、ここへ直接に手紙を送っても、必ずサンタクロースからの手紙(返事)が返ってくるわけではありません。 世界中から届く手紙が爆発的に増加し、すべてに無料で返事を送ることが財政的に困難になったからです。 ロヴァニエミのサンタクロース村にあるサンタクロース中央郵便局は、フィンランド郵政省が管轄してきた正式な郵便局です。 1997年に世界中から届いた「サンタクロースへの手紙」は合計で約70万通、ここから世界中へと発送された「サンタクロースからの手紙」も約16万通に及びます。
  
サンタクロースへの手紙 サンタクロースからの手紙 
 イギリス     128,500通  日本      56,369通 
 日本       102,500通  フィンランド    47,035通 
 ポーランド   97,250通  ドイツ    7,400通 
 フィンランド   96,300通  ラトヴィア    5,625通 
 エストニア   35,635通  イギリス    5,511通 
 イタリア   34,500通  エストニア    5,399通 
 ラトヴィア   26,100通  イタリア    4,569通 
 フランス   25,600通  アメリカ合衆国    4,416通 
 ロシア   22,100通  スペイン    2,908通 
 ドイツ   18,750通  フランス    2,851通 

 1927年、フィンランドのラジオのクリスマス番組で、マルクスという名の男性が「サンタクロースはラップランドの奥深く、コルヴァ・トゥントゥリにこびとさんたちと一緒に住んでいます。」と語りました。「ラップ人」は「北極圏でサンタクロースの橇をひくトナカイと仲良く暮らしてきた人々」ですから、観光用の「サンタクロース村」をつくるにあたって、トナカイと彼らの遊牧用円錐形テントがつけ加えらています。

 「ラップ人」は北欧諸国の北極圏に住む少数民族で、フィンランドには5,700人が住んでいます。ただし、「ラップ人」とは辺境民というニュアンスを持つ蔑称で、彼らは自分たちのことをサーミ人と呼びます。今日、北欧諸国で「ラップ人」という呼び名が公的に使われることはありません。

 サーミ人はノルウェーに4万5,000人、スウェーデンに2万5,000人、フィンランドに5,700人、ロシアに2,000人が住んでいますが、いずれの国でも少数民族の立場にあります。



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