世界遺産ホイヤン市内観光

1月17日(月)

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ホーチミンから空路、国内線(VNー324便 09:30-10:40)にてダナンへ。到着後、専用バスで一路ホイアンへ。 ガイドは妙に明るい玉(たま)ちゃんである。しきりにギャグをとばしていた日本通のガイドさんである。 日本に行ったことはないが、NHKワールドニュースで情報を手に入れたという物知りである。

ホイアン郷土料理を食べたあと、シルクの店に立ち寄った。



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シクロ(ベトナム風人力車)に乗って、市内観光が始まる。 お店の前にシクロがずらりと勢揃いをしている。



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いざ出発。一人1台で、全員が乗車した。



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来遠橋(日本橋)を過ぎたトゥボン川のほとりでシクロは待機している。橋と黄色い建物が絵になりそうな風景である。



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トゥボン川に繋がる、小さな水路に架かる来遠橋(日本橋)である。 日本人が造ったと言うが、7回も修理を重ねて、どちらかというと中国風の外観をしている。

ホイアンは16〜17世紀には(日本から)朱印船が渡り、1000人規模の日本人町も誕生した国際的な貿易港である。 その時期には中部ベトナムで栄えていたチャンパ王国は滅び、ベトナム人(キン族)が旧チャンパ王国人(チャム族)を率いて この貿易を仕切っていたという。 海洋民族であったチャム族なしにはこの貿易もあり得なかったはずである。

中学校の教科書によると、中部ベトナムに、朱印船貿易の寄港地としてツーランとフェフォが登場する。 このうち、ツーランが現在のダナンで、フェフォがホイアンに当たる。トゥボン川が上流から流れてくる土砂のために浅くなり、 貿易港はダナンに変更されたようである。

そのおかげで、ホイアンは歴史から取り残されてしまい、ベトナム戦争の惨禍とも無縁であり、17〜18世紀の旧市街が残されたわけだ。



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中央部が盛り上がった、屋根付きの橋である。お祭りに備えて、ランタン(提灯)が用意されている。

毎月、旧暦14日の夜に、ランタンを川に流すという「ランタン祭(フル・ムーン・フェスティバル)」に合わせて 16日出発のツアーを選んだので、この日の夜が楽しみである。



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「来遠橋」の文字がはっきりと残っている。「はるばる遠くからやって来た」というような意味だろうか?



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橋を渡ったところにある「フンフンの家」である。 「約200年前に貿易商人の家として建てられたベトナム、中国、日本の建築様式が混然とした木造家屋」という説明がある。



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屋根まで届く吹き抜けが見事である。どこか、日本的な趣きが感じられる。



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縦長の写真の方がよさそうである。



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海のシルクロード博物館へやって来た。 「Museum of Trade Ceramics」という方が一般的なようだが、日本人観光客向けには「海のシルクロード博物館」と紹介されている。 実際に使われていた中国人の旧家を利用しており、日本の朱印船のことも詳しく説明してある。



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日本のceramics(陶器)である。



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Dish, Hizen ceramic(Japan)とある。「肥前」のものらしい。



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「17世紀のホイアンにおける日本人町」と説明してある。

(山田長政や三浦安針がこの町に立ち寄った記録もあるそうだ。)



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