関西国際空港発10:30(ベトナム時間で8:30) 総勢19名、添乗員の李さんと共に旅は始まる。
VN-941便で空路、ホーチミンへ。機内食は、最後の和食。
メインは右下のすき焼きとごはんなり。「日本茶」を注文すると、出てきたのは「ウーロン茶」だった。
ホーチミンの夕食で「紅茶」を注文すると、「japanese tea(日本茶)」が出てきた。 はす茶、ベトナム茶、ジンジャーティー、緑茶も含めると、「茶」もいろいろである。 |
14:20 タンソンニャット空港着。約5時間40分のフライトである。
専用バスで、ホーチミン市内観光が始まる。ロンさんが現地のガイドである。
この日のホーチミンは曇り。30℃に満たないが、唯一、半袖で過ごした南(北緯10度より少し北)の大都会である。
なお、いまでもこの都市をサイゴンと呼ぶ人も多いとのことである。
噂(本で読んだ)通りのバイク天国である。ホンダが圧倒的で、スズキもヤマハも(みんな)バイクは「ホンダ」と呼ばれている。 大人の二人乗りはOKで、子どもを追加しても違反にはならない。従って、4人乗りもしばしば見かけたし、5人乗りもいた。 バイクの運転は、ひたすら強気である。むしろ、車の運転の方が難しそうだが、決してぶつかったりしていない。 ホーチミンは(かつて)南ベトナム民主共和国の首都サイゴンとして栄えたが、ベトナム戦争後にホーチミンと名を変えた。 首都はハノイに譲ったが、ベトナム最大の都市であり、現在はベトナム経済の中心地として首都ハノイ以上に活気に満ちあふれている という。 |
まず、統一会堂に行く。南ベトナム政権時代の大統領官邸を博物館にしたもの。元は、フランス人官僚のためにつくられたものである。 |
2階(あるいは3階)から外を眺めたもの。 |
屋上から外を眺めたもの。 |
前庭の一方に戦車(390)が展示してある。 1975年4月30日、この南ベトナム大統領官邸に正面から突入した(人民解放軍の)戦車である。 その日が、サイゴン陥落の日となった。 |
全部で100以上の部屋がある。内閣会議室らしき部屋である。 |
全部で100以上の部屋がある。大統領の部屋あるいは副大統領の部屋である。 かつて南ベトナムの首相、副大統領だったグエン・カオ・キ氏のことをガイドのロンさんが話していて、 妙に懐かしく思ったのはわたしだけだったのだろうか?サイゴン陥落の直前に、アメリカ大使館からヘリコプターで 飛び立っていった最後の人であり、アメリカで事業に成功して、2004年には故国の地を踏んだとのことである。 |
全部で100以上の部屋がある。国書提出室である。 |
地下室で、ホーチミンルートの説明をするロンさん。 |
中国との国境線を指さすロンさん。中越戦争の説明だったかも? |
地下室に戦車(390)の写真が展示してあった。この写真には見覚えがあるような気がする。 |
再びバスに乗って、すぐ隣のサイゴン大教会へ移動する。 バイクが庶民の足となっている風景こそ、近ごろのホーチミンのものである。 |
煉瓦色の建物が見えてきた。サイゴン大教会(聖マリア教会)である。 |
ドン・コイ通りの北端、19世紀に建てられた赤レンガ造りの建物である。 |
普段は閉鎖されているそうだが、今日は日曜日、ミサの午後は一般にも開かれていた。 |
壁に貼られた板の説明をしている。 |
サイゴン大教会のすぐ横にある中央郵便局。 19世紀(1886〜1891)のフランス統治時代に建てられた、ヨーロッパの駅に似た建物である。重要な建築文化財になっている。 |
郵便局らしく、記念切手も売っている。残念ながら、切手収集の趣味はない。 偉大なるホーチミンの像が正面に見える。どこかの国と違って、彼の人柄なのか、威圧感は感じられない。 |