ローマ 01(ヴァチカン市国) 5月17日(日)


ローマはイタリアの首都であり、ラティオ州の州都であって、人口270万人の大都市である。 「永遠の都」と呼ばれるが、古代ローマ帝国の栄光はいまだ消えることがないというのが、実際に行ってみた中での印象である。 中心部では、どこを掘っても遺跡だらけということであるが、ようやくフォロ・ロマーノなどの発掘と保存が行われたばかりである。 (フォロ・ロマーノについては、1803年に調査が始まり、1902年に発掘作業が終了した。)

世界一小さなヴァチカン市国はこのローマ市内にある。 ヴァチカン市国にはローマ=カトリック教会の総本山であるサンピエトロ寺院があり、ローマ教皇庁が治める国でもある。 人口約500人の小さな国であり、ローマ教皇や枢機卿、その配下の聖職者の国である。 それ以外のここに勤める者はローマ市内から通っているようである。基本的にローマ市内との行き来は自由である。 一切の軍事力は保持していない。警察力もスイスからの傭兵である「市国警備員(スイス人衛兵)」がいるものの、 基本的にイタリアの警察に依存しているとのことだ。

「ローマの休日」の影響力は(今もなお)強いようで、それに纏わる名所は観光客であふれていた。 わたしの場合は、古代ローマ関連の遺跡の方に関心があった。 残念ながら、フォロ・ロマーノそのものの観光はできなかったが、カエサルやオクタヴィアヌス、アグリッパ、ティベリウスがらみの 遺跡やその古いものとの共存の中にいる人々の息吹を感じとることができたように思う。

ローマには、ASローマ、ラティオの2チームがある。 ASローマのセリエA優勝のときには、30万人収容のチルコ・マッシモ(大競技場)だけでは収まりきれないサポーターで あふれたそうである。このとき、ヒデもこのチームにいた。 ただし、地元出身の「王子様」と呼ばれるフランチェスコ・トッティとポジションが重なっていて、思うような活躍はできず、 やがてヒデは別のチームに移籍せざるをえなかった。 ところで、ASローマのユニフォーム(10番、トッティ)のレプリカが息子へのお土産になった。 正式版(オリジナル)を買い損ねたわけである。 




 

いよいよヴァチカンに到着する。入国審査などはない。サンピエトロ広場に入る。




 

正面に見えるのがサンピエトロ寺院である。 324年にコンスタンティヌス帝が聖ペテロ(サン・ピエトロ)の墓の上に25年をかけてバロック様式でたてたもので、 ユリウス2世が1506年から120年かけて再建したものである。 この間、ラファエロやミケランジェロも設計や監督として参加したそうだ。もちろん、世界一の大聖堂である。




 

広場を囲む回廊の向こうに、ヴァチカン宮殿が見える。




 

この寺院を改築した人の名がずらりと並んでいる。




 

寺院の中に入る。大きくて、立派な天井と円蓋を見上げる。




 

寺院の中央から祭壇を見る。






談笑するスイス人傭兵。直接写すのはよくないが、風景の一部としてなら写してもよいとか。




 

集合場所に指定した噴水




 

ようやくヴァチカン市国とおさらばして、共和国広場に近い建物に入っているローマ三越へ移動した。 わたし用のお土産を買った。 ユベントスの帽子(キャップ)とTシャツ、ACミランのTシャツである。 嬉しいことにTシャツは40%割引きだった。




 

昼食は、ピザ食べ放題のお店。1枚+αをいただいた。 昼食の中では一番の満腹感があった。


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