フィレンツェ 5月15日(金)


フィレンツェは「花の都」と呼ばれている。元々「花の女神フローラの町」という意味を持つ。ルネサンス文化が華やかに開花した中心の町であり、それを支えたのが豪商メジチ家である。中世にはイタリア随一の商業都市として栄えた。トスカーナ州の州都であり、40万人の人々が住む。アルノ川の中流にある山間の町である。

紀元前59年に、カエサルが退役軍人に土地を与え、城壁をめぐらせて整然とした町を造ったことが起源となった。

ヒデ(中田英寿)が「フィオレンティーナ」に所属していたことを知っているとなると、かなりのセリエA(サッカー)通ということになる。今でも、「フィオレンティーナ」のユニフォームのメインスポンサーは「トヨタ」である。






街全体を見下ろすことができるミケランジェロ広場に着く。目印になるダビデ像はもちろん、レプリカである。






アルノ川の対岸にドゥオーモ(大聖堂)が見える。






シニョリーア広場に入る。銅像はメジチ家のコジモ1世である。「シニョリーア」は政庁の意味でかつて、ここでメジチ家の式典や処刑が行われた。






シニョリーア広場にあるヴェッキオ宮殿。1314年に完成したゴシック様式の政庁舎で、メジチ家の宮殿だったこともある。現在は市役所として使われている。






シニョリーア広場のカドにあるウフィッツィ美術館。 ボッティチェリの「春」「ヴィーナスの誕生」やラファエロ、レオナルド=ダ=ヴィンチの絵も展示されている。






ウフィッツィ美術館からヴェッキオ橋が見える。






ドゥオーモ(大聖堂)。1296年から建設が始まり、現在の形になるまで約600年を要した。巨大な円蓋(クーポラ)の大きさは世界第3位という。正式な名前は「サンタマリア・デル・フォーレ(花の聖母)教会」。大きすぎて、近くからは全体を写せない。






目当ての革製品のお店に、地図を片手に歩いて、無事たどり着いた。細い路地に面していた。 「イル・ビゾンテ」本店で、お土産のバッグを買う。






添乗員さんから教わった美味しいジェラートのお店には、日本語の紹介文があった。 このお店の名は「GROM」。本当に美味しかった。






無料のトイレがあると聞いたデパートで、買い物と喫茶。喫茶店は屋上にあり、ドゥオーモの撮影には最適だった。






デパートの屋上から撮った共和国広場。






シニョリーア広場に近い果物屋さん。お店の名は「MAURO Frutta」という。ここで、さくらんぼを買って食べる。 もちろん、日本の「佐藤錦」の上品な味にはかなわない。






フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅(中央駅)へ。






駅の風景。ここからユーロスターに乗り、ナポリをめざす。 ローマ経由で約3時間半、とりあえず、快適な列車旅であった。






夕食の日本食弁当。隣に座った(たぶん)イタリア人が興味深そうに見ていた。


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