ミラノ 5月13日(水)


ミラノはイタリアではローマに次ぐ第2位の大都市(人口130万人)であり、北部イタリアのロンバルジア州の州都である。

古代ローマの時代にあっては、元々ケルト人が開いた町で、ルビコン川の北部にあって、のちにローマ領となるところである。キリスト教を公認したミラノ勅令が歴史的には有名である。313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世(当時は西方正帝)とリキニウス(同・東方正帝)が連名で発布した勅令で、全帝国民の信教の自由を保障した。

現在は、自動車とファッションの町、イタリア経済の中心として有名である。わたしにとっては、セリエA(サッカー)において、今年の優勝をかっさらったインテル、ライバルのACミランのホームとしての方がなじみがある。






バスを降りて、ブレラ美術館(絵画館)に向かう。どこの町でも旧市街の道路は、たいてい石畳である。

本来は、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で、レオナルド=ダ=ヴィンチの「最後の晩餐」を見る予定だったのだが、 予約が取れず、急遽、ブレラ美術館(絵画館)とスカラ座博物館に変更されたことが(実は)とても残念であったのだ。

ブレラ美術館(絵画館)は、15〜16世紀のロンバルディア派とヴェネチア派の作品を収めている。もちろん、館内は撮影禁止である。






スフォルツァ城。ミラノの実権を握ったヴィスコンティ家が建造した城である。






城壁に囲まれた中庭はかなり広い。






スカラ座の2階にある「スカラ座博物館」入口。 「Museo Teatrale」には、作曲家たちの肖像画や楽譜、舞台衣装が展示されている。






広場から見たスカラ座。バレーやオペラが上演される。






広場から「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア」に入る。 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世とは、イタリア王国の初代国王で1865年から12年をかけてこのガッレリアをつくった。






ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)がでかすぎて、全体を写せないので、広場の端っこから撮る。 幅93m、奥行き158m、総面積1万1,7000平方キロの大聖堂である。 1386年から約500年を費やして1813年に完成した。ゴシック建築の代表的な教会である。 135本の小さな尖塔と天井を飾るステンドグラスがゴシックの一大傑作といわれる。






ドゥオーモ広場の反対方向。






昼食のはじめのリゾット






ミラノ風カツレツ。薄い豚肉をカラリと揚げている。






パンとデザートのパンナコッタ。






昼食後、バスはロンバルジア平原をひたすら走り、ヴェネツィアにむかう。






夕食のフェットゥチーネ






サーモン、ちょっと半生状態。






アップルケーキ


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