のむのむの「西洋事情」part.3 2015. 5/18〜26

ドイツ・スイス・フランス紀行


5/26記


昨晩は2時間ばかり寝ただけで、そろそろ眠りたいところですが、いろいろと片づけるものがあり、なかなか眠ることができません。 今回の旅のこともちゃんとまとめたいのですが、早急にやるべきものを優先しようと思います。 とりあえず、デジカメの写真を片づけて、ひとまずのジ・エンドとします。一応、アップした写真には簡単な解説を加えました。

なお、無料のWiーHiが繋がるところがあれば、ネットはできますが、そうでなければ何もできないことが分かりました。 設定は簡単でもあり、難しいときは添乗員さんのお世話になったこともあります。 一部のホテル・空港・お店でせっせと繋いだつもりですが、時間切れも多かったようです。 なんせ、阪急トラピックスの旅は忙しいので、暇を見つけるのも難しかったのです。

5/27記


結局、次の日も初めてのUPを目指して、眠い目を擦りながら、まとめをしました。とりあえず、第1版としてアップロードしました。

6/1記


新たに「番外編」を加えて、第2版としてアップロードします。今後も、誤字脱字を含め記事のミスについては手直しして随時アップロードしますが、 大幅な変更はないものと思って下さいませ。


----------------------------------------------------------------


5月18日(月)空路フランクフルトへ→リューデスハイムの古城ホテル

・時計は飛行機に搭乗してすぐにヨーロッパ時間に

時計を7時間戻す。その方が体にはいいと考えたわけである。 実際には11時間もかかるのに、(7時間の時差のせいで)4時間で到着するという不思議さを体験する羽目になる。 その被害を最小限に抑えるための対策のつもりであるが、 眠くなることもなく、おかげで時間がなかなか過ぎることもなく、本「天皇の料理番(下)」を1冊読み上げてしまった。 本の内容について、パリに行ったら質問しようと思っていたのだが、ころっと失念した次第である。

・眠れなかった昼間のせい? 夜中の2時に目覚めることを繰り返す羽目に

日本にいたときと同様、寝つきは良かったが、夜中に目覚めてしまうということを繰り返すことになった。 それはそれで仕方なく流れに任せたわけだが、旅の最後になってようやく朝までぐっすり寝ることができた。 まあ、それまでよ‥ということで、帰りは帰りでまた眠れない夜をすごすことになった次第である。 良い子の皆さんは、寝ることが第一。まくらとか、目隠しとか、眠りを誘うグッズを持参されたし‥ということで、いかが?

・懐かしく、憧れの菩提樹はいずこに?

添乗員さんにお願いしておいたのだが、16年前にリューデスハイムの広場で出会った懐かしの菩提樹のことはご存じなかったようである。 気にはしておいてくれたが、ドイツで再び出会うこともなかったわけで、すっかり諦めていた。

ずっと後になって、パリの街を車窓見学した際に 日本語で案内してくれたフランス人ガイドさんが、あのシャンゼリゼ通りで、プラタナス(しきりに鈴懸けの木と言っていた)&マロニエのほかに、 角刈りをした街路樹を指して「菩提樹」と教えてくれました。小さく感動なり。 これには驚きましたが、あの「菩提樹」(ドイツ語で歌えます)を創った国ドイツとは違うので、目当ての菩提樹との対面は諦めてしまった。

・丘の上の古城ホテルに泊まる

正面に見える旧館の方が古城っぽいのだけど、われわれは新館に宿泊した。城というよりは、貴族の館が元らしい。 このお庭で、プラタナスの古木と対面できたのが嬉しい。



京都に4日間滞在したというドイツ人が話しかけてきた。 こちらも10日間ドイツに滞在したことを話せばよかったのだが、時間がなかった。なお、これは英語での会話である。 挨拶くらいならドイツ語でいいが、いざ喋るとなると(もちろん片言の)英語でなければ‥と悟っている。



5月19日(火)寒くなかったライン川とハイデルベルク再訪

・寒くなかったライン川

前回(16年前)訪れたのは8月末のこと。寒くて甲板に居づらく、船室に引っ込んだと思うが、 今回はまったく寒くなかった。 寒さ対策として、風を通さない(ある意味で日本では暑くなるので夏場には着れない)ジャンパーと その下に2枚の重ね着をして行ったが、夏に向かう季節だったので助かったようだ。 8月末は既に秋の訪れであったと結論付けることにしよう。



リューデスハイムの丘から眺めたライン川なり。今日はライン川下りから始まる。昨日はこの丘にある古城ホテルに宿泊したわけだ。



ライン川は「父なる川」と呼ばれるヨーロッパの大動脈であり、ひっきりなしに貨物船が行きかう川である。川沿いの町と古城がポイントで、ローレライの岩場も見逃すことはできない。 なんなら、「ローレライ」を歌ってもいいですが、日本語なり。「菩提樹」や「野ばら」ならドイツ語で歌えるはずですが、なにか?

・朝食は美味しい

パンが美味しい。牛乳が飲める。スクランブルエッグとベーコンやハムが主だが、毎日しっかりと食べた。生のオレンジも美味しく頂戴した。

・主食はじゃがいも

やっぱり、じゃがいもが主食だった。新じゃががそのまま出てくる場合はいいのですが、ボイルして裏ごしをして固めたものは意外に水っぽくて要らないです。

・ロールキャベツは硬い

日本に戻ったら、ロールキャベツのリベンジをするということが決まった。そのくらい、口に合わない(美味しくない)料理でした。


学生の町、ハイデルベルクを訪問した。写真は旧市街から眺めた丘の上のハイデルベルク城である。 16年前に行った際のある光景が焼きついているのだが、その場面に出くわすことはなかった。でも、なんとなく方角は分かる。



5月20日(水)ローテンブルク(ロマンチック街道)なう

追加すると‥ドイツのロマンチック街道の代表的な町。こんなところだけど、いかが\(^_^)/



古い城壁の中に町があり、その真ん中にマルクト広場がある。(なお、城壁に登り、その一部を歩いた‥) 実は、何処の町(都市)にもマルクト広場なるものがあり、そこには市庁舎やおみせが集まって、賑わうところである。

「マルクト」=マーケット(市場)の意味であることを初めて知った。添乗員の大橋さんに聴いて分かったことである。



市庁舎なり。広場にゴミが落ちていないのはドイツだからである。フランスはまだしも、イタリアなどは、こんなに綺麗ではない。 日本はドイツに近いと言っておこう。綺麗好きで、勤勉で、思索を好む森の民であるドイツ人は今もなお、われらの模範であるとわたしは思っている。



ローテンブルク城壁の鼻の部分(城塞公園)。見晴らしのよさがお気に入り。

・レストランで、Wi-Hiが繋がる

早速FACEBOOKを開き、写真を送ってみた。ここまで我慢してきただけに、貴重なものである。 なお、送るのはスマホで撮ったものなので、写真は半分はスマホで撮り、半分はデジカメで撮った。

恥ずかしながら、余分の記憶媒体(カード)を忘れたため、デジカメも8GBまでが限界だった。 綺麗に撮りたいと思っていたので、200枚(一枚あたり約5,000〜10,000KB‥計算が難しい!)くらいに設定していたのである。 デジカメでいっぱいまで撮り、要らないものを削除しては撮り続けたが、最終日まで持ちこたえることはできなかった。

残りをスマホでカバーしたわけである。限界がどこまでか知らないが、安心できた。 その昔、ドイツ・ロシアでデジカメの容量が足らずに困ったことを思い出した。それは、スマホがなかった時代である。

・サッカーユニフォームは郵便局で販売

何のことはない。息子への土産にサッカーチームのユニフォームを買おうと思いついてお店を探したが見当たらず、 片言の英語とやらでお店の人に尋ねてみたところ、次の角を右に曲がってまっすぐ進み、左側にスポーツのお店があると教えてくれた。

朝の散歩で一度通ったことのある道だし、尋ねてみたけれどそれらしき店が見当たらない。 引き返して次の道まで進んでみたが、それらしきものはない。 再度、元の道をきょろきょろしながら行くと、奥さんが立ち止まったのは郵便局のマークのついた店だった。

バイエルンミュンヘンらしきチームのユニフォームだったが、日本円で1万円を超す金額だったので、諦めた。 そのくらいの金額のものは日本でもあるが、イタリアで買ったときはもっと安いものがあったので、あわてて買うこともあるまいと考え、次を期待することにした。

本当に欲しかったのはドルトムントの黄色のユニフォームだったが、最後にフランクフルトで買ったのは、ただのドイツ柄のTシャツだった。 寝巻き代わりなので、これでいいのだと思った。



この町に特有のお菓子である。パサパサしているが、ゆるやかに甘さが広がる。小さいのを1個だけ買って、奥さんと分けて食べた。1個が0.9ユーロなり。 最後の最後には1ユーロまで使い切ったので、お安い買い物も当たり前である。

・雨のヴィース教会では傘を差さない

イギリス人は少々の雨では傘を差さない。せっかく固く締まるように閉じた傘を開きたくないとのことだ。 フランス人も、傘を差すと危ないから子どもに傘を差さないように教えるそうである。 ドイツ人がどうなのかはどこにも書いていなかったから分からないが、たぶん似たようなものだろうと思う。

「郷に入りては郷に従え」なので、わたしもたいていは差さない。いざというときには奥さんの傘に入れてもらうので、面倒くさいだけかもしれない。 でも、雨がしっかり降り出したときは差すことにした。いつも持参しているので臨機応変である。 びしょびしょになるまで開きたくないとも思うが、それでは困るので致し方ないと思った次第である。



外観はシンプルだけど、内部は華やかな装飾に満ちていている。ドイツ・ロココ建築というそうだ。「世界遺産」に 登録され、年間100万もの人が訪れる観光スポットになっているという。


主祭壇の「鞭打たれるキリスト像」は少々見づらい。




壮大な天界を描いた天井のフレスコ画は、穏やかな感じがする。 ハデハデよりも、こちらの方が好きだ。元々、宗教心はないので、単なる感想に過ぎない。

・水は運転手から買うと安い

レストランで食事をするたびに、ワインやビールやソフトドリンクを頼むのだが、 水=ミネラルウォーター(もちろんノンガス)も同じように高い。3ユーロとか、ひどい場合は5ユーロで、ワインやビールとほとんど変わらない。 一番安いのは、バスの運転手から買う水=ミネラルウォーター(もちろんノンガス)で、これが最も安い。 500mlで1ユーロ(140円)であり、いつもここで買うことにした。



5月21日(木)ここもロマンチック街道ですけど、いかが\(^_^)/



丘の上に建つ、雨に煙るノイシュヴァンシュタイン城。第4代バイエルン国王ルードヴィヒ2世が建て、孤独に住んだ城である。 往きはバスで、帰りは歩いた。馬車も昇り降りしている。



手前にあるのは、ホーエンシュヴァンガウ城。第4代バイエルン国王ルードヴィヒ2世が少年時代をこの城で過ごした。



ドイツから(なんと!)オーストリアを経由して、スイスに向かった。ここは、トイレ休憩をしたところにあった湖(スイス)。PILATUS−BAHNのすぐ近くである。

・眼鏡が故障

この日の朝、突然、眼鏡のねじが緩んで外れてしまった。サングラスであり、遠視&乱視対策の大事な眼鏡なので、困った。 添乗員さんに、ドイツでもスイスでもいいから、眼鏡屋さんあるいは時計屋さんを見つけたら修理して欲しいとお願いした。 ミニドライバーがあれば、わたしでも修理できる簡単なことだったが、菩提樹探しの願いはここまで叶えられなかったので、期待せずに待つことにした。 よく考えてみれば、(雪山に上るので)普通のサングラスさえあれば大丈夫だったのだが、眼鏡の修理にこだわってしまった。

この話にこだわったのには訳がある。 この後のできごとだが、度の入っていない、安くてぴったりの、わたし好みのサングラスをフランスのお店で見つけたのである。 18ユーロで高くはないサングラスだったから、買っても良かったが、アルプスに登った後だから結局無駄使いになると思って止めた次第だ。 またまた、その昔(16年前)、ロシア(サンクト・ペテルブルク)でサングラスを買ったことを思い出したわけでもある。

・ホルン吹きの社長さん

この日のうちに、スイスの町までたどり着いた。やたら長い道のりは仕方ないことである。ホテルのあるグリンデルワルトのレストランに違いない。 ミートフォンデュの夕食なり。

やたら陽気なおにいちゃんがいて、コミカルで楽しく、最後にはアルプス関連でよく登場する長い長いアルプス・ホルンを見せるために われわれの座っている奥の席までやってきた。見せて終わりかいな‥と思っていたところ、突然吹き始めた。拍手喝采なり。 実はこのお店の社長さん、ということでした。

いちいち尋ねはしなかったが、ドイツ系ではなく、フランス系ではないか‥と思ったのは当然でしょ? いえ、まだここはドイツ系の町であるので、お尋ねするのは遠慮したのである。



・眼鏡を時計屋で修理

実はこの店に入る前に、バスが止まったところに眼鏡屋、時計屋を発見した。レストランで、添乗員さんにお願いして同行していただくことになった。 眼鏡屋は閉店らしく、時計屋さんへ入り、修理をお願いした。ミニドライバーさえあれば簡単に直るので、さらにお願いすると簡単に引き受けてくれた。 チップもなしだった。わたしはそのとき10スイスフラン札しか持っていなかったので、チップも渡せない事態だったが、結構ですということで、実は助かったわけだ。

何事もなかったようにお店に帰って食事をし、ホルンの演奏にも出会った次第である。食事の後は急いでホテルに向かったわけで、早々に修理をして良かったという話である。



5月22日(金)ユングフラウヨッホ駅はヨーロッパのトップ

朝からユングフラウ鉄道に乗った。その終点 3,454mは、ヨーロッパで最も最高地点にある鉄道駅なり。駅名がユングフラウヨッホである。 最後に乗り換えた鉄道は、アイガーを貫いて造られたトンネルの多い鉄道なり。トンネルを抜けた、見晴らしのいいところで、5分間の停車が2度もあるのが嬉しい。

・麓は雨でも山の上は晴れ

朝起きて窓から外を眺めるとアイガーが聳え立っているのだが、麓の稜線らしきものがわずかに見えるだけである。 慰めとしては、山の上は雲の上だから晴れているに違いないという希望的観測だけである。 そういえば、ドイツで出会った日本人旅行客は、アルプスはいい天気だったと言っていたらしい。



謎の数字だった3571mは、どうやらスフィンクス展望台の標高のようである。展望台は2つあり、氷の宮殿も見てまわった。 高所で動き回ると良くないと言われていたのであるが、どうやら辛抱できない性分のようだ。 わたしどもは、展望台から外に出て、さらに登るつもりだったが、ほんのちょっとだけで控えた次第である。

どこかの神様が見落とすことがなかったようで、妙な感じで、微妙に軽い高山病に罹ったようである。ふらっとして、倒れそうな気配だった。



左側の尖った方が有名なユングフラウ山、標高4,158mなり。マッターホルン、モンブランとともにアルプスの「3名峰」と呼ばれている。 ユングフラウのすぐそばに並んでいるのが、メンヒ4,107m・アイガー3,970mである。



冬の王ヶ頭よりも少々軽い目のスタイルである。ウルトラライトダウンの上着と下は普通のジーバンだったが、これで大丈夫だった。

・ジュネーヴからパリに移動

TGVでジュネーヴからパリに移動した。ここで「幕の内弁当」は嬉しかった。 素材の一つ一つに丁寧に味付けがされており、日本料理って美味しいなと感じたときである。もちろん、フランス料理の素晴らしさを疑うものではない。

なお、パリには日本料理店がたくさんあるが、多くは中国人の経営によるという。 ちゃんと日本の味が守られているのだろうかと心配したが、よく考えてみれば、日本人だって中華料理を作るのだと悟った。



・パリのホテル到着は、ほぼ24時

ホテルでの打ち合わせ、荷物の整理、お風呂などで少なくとも午前2時になるのは仕方ない。 こんなときに限って、次の朝は早い。



5月23日(土)華の都パリ三昧

パリの朝は爽やかなり。散歩にでかけた。プラタナスの街路樹が嬉しい。 今日はルーブル美術館、ベルサイユ宮殿、セーヌ川クルーズと盛りだくさんだったが、全てパリ近辺だったので楽ちんだった。 土曜日なので街に人が溢れていた。シヤンゼリゼ通りのブラタナスはとても、とても見事なり\(^_^)/

早く帰宅したので、写真の整理もできた。時差は日本−7なので、真夜中のアプロードとなる。お許しを?

・フランス語の勉強はしてこなかった

いくつかの挨拶だけではなく、できるなら文字を読めるようにしておきたかったが、今回はやる気にもならなかった。 ちょっとだけ、残念に思う。(実は、以前ロシア語の読みだけを勉強して行き、看板を読んで悦に入ったのである。)

・乾燥しており、鼻が乾く

暑さ対策にはなったが、鼻が乾き、鼻が詰まるのは堪忍して欲しいものである。 かといって、鼻をほじくって(2度も)鼻血を出してしまったことは、恥ずかしい話である。たいてい、失敗談は人の心を動かすものと心得ている。

・マロニエよりもプラタナスが好き

ドイツにいたときから、しばしば「マロニエ」が登場して、大阪でも見たことがあると納得していたのだ。 さらに、パリのフランス人ガイドさんは(日本語で)プラタナスのことを「鈴懸け」と連発していたが、わたしは「プラタナス」の方が馴染んでいるのだ。



シャンゼリ通りは、御堂筋より少し幅が広いだけ。ビルの高さ制限の分、並木の高さもビルの高さまで認められている。

・角刈りの菩提樹

低い生垣なら分かるが、街路樹の剪定としてはなかなか理解しにくいものである。しかも、広場に似合う大樹のはずである。

どうやら、懐かしの「リューデスハイムの菩提樹」の下で撮った集合写真を探さざるを得ないところまで来たようだ。 その写真が見つかったときは、「第2版」で紹介しようと思う。



・ニセアカシアも登場

街の中というよりも、郊外に至る高速道路沿いにこの木が使われていて、今の時期は花盛りである。 わたしには、故郷の小中学校校庭のニセアカシアがいつまでも印象に残っている。


ミロのビーナス(ルーブル美術館)



ビーナスのお尻(ルーブル美術館)



モナ=リザ(ルーブル美術館)




昼食場所の前にもプラタナスの並木




しばしば歴史の舞台として登場するベルサイユ宮殿・鏡の間



エッフェル塔は流石に美しいパリのランドマーク




セーヌ川沿いに人が溢れている土曜日




5月24日(日)世界遺産「モン・サン・ミッシェル」

きちんと計算していないが、少なくとも片道4時間はかかっている。延々の長旅だが、しまなみ海道ウォークで鍛えられたから大丈夫だった。

初めての大西洋岸、ノルマンジー地方である。 添乗員の大橋さんが長い長いノルマン人の歴史を語ってくれたが、大体知っていたことである。 高校時代に西洋史を選択したし、おまけに大学の卒業論文は「フランス革命とその思想」である。さらに、「ベルサイユのバラ」だって愛読している。

モン・サン・ミッシェル近くのレストランの名は「ルレサンミッシェル」。無料Wi-Hiのあったレストランなり。

・ノルマンジーとブルターニュの間

ケルト系ブリトン人が住んだブリタニアとノルマン人の住んだノルマンジーは、どうやら隣り合わせである。 小さい川が境界線となっているという。モン・サン・ミッシェルの島が、その川の河口にある。

大西洋があり、干潮時には大きな干潟が現れる。その干潟を歩くというイベントが丁度行われていた。参加してみたいものだが、そんな余裕などないので諦めるほかない。



窓からモン・サン・ミッシェルが見える最高のお店




お店の庭に咲いていたハマナスの花




特大のふわふわオムレツが名物




サケは臭みがなく、美味しく戴きました。




ラストは洋ナシのタルト




専用のリムジンバスに乗り、島の山上に建つモン・サン・ミッシェル(修道院)へ向かいました。帰りは約1.5kmをほぼ20分で歩きました。

















モン・サン・ミッシェルがノルマンジーなのか、ブルターニュなのかという論議があるそうですが、(わたしには)ノルマンジーで間違いなしです。 綺麗な遊歩道です。往復とも歩く人もいると思います。



5月25日(月)フランクフルト国際空港から帰国の途へ

パリ(シャルル・ド・ゴール空港)からフランクフルトに移動しました。まもなく、最後のフライトで灼熱の国、日本に帰ります。



5月26日(火)関西国際空港着

おはようごさいます。まもなく、朝食のようです。でも、なかなかアツプロードできませんでした。食べたのは午前5:30過ぎです。

フランクフルトを出発したときから、わたしの時計は日本時間です。心置きなく、おはようございます\(^_^)/ あはは・・とても眠いです。 着いたのは、午前7時過ぎなり。行きは11時間、帰りは10時間でした。北半球の中緯度に吹く偏西風のおかげなり。お分かり? 今後しばらくは、時差はありません。



番外編 ← クリックすると進みます。