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「坂の上の雲ミュージアム」です。 上から見ると三角形の、ユニークな建物は安藤忠雄が設計したもので、地下1階、地上4階建てです。
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西洋人ぽい風貌の秋山好古(信さん)1859〜1930

大阪と名古屋で小学校の先生をしていたという経歴があり、最後には松山の北予中学校の校長も勤めたあたりが とてもユニークです。決して、戦争の話などしなかったそうです。
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秋山真之(淳さん)1868〜1918

炒ったそら豆をぼりぼり食べていた人物です。
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正岡子規(常さん)1967〜1902

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藩校明教館のなかに勝山小学校も松山中学校もあったようです。
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二番町にあった北予英学校が城北に移り、私立北予中学となりました。現在の県立松山北高校です。
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「坂の上の雲ミュージアム」からなだらかな坂を登ったところにある「萬翠荘」です。 旧松山藩主の子孫である久松定謨が建てたフランス風建築の別邸です。 フランスに留学した際に、元家臣の秋山好古がお供しました。
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歩行町にある秋山兄弟生誕地のもっとも大きな建物は柔道場になっています。
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受付の門を入るとすぐに秋山好古の騎馬像が建っています。
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好古と向かい合う場所に秋山真之の胸像がありますが、 坊ちゃんとマドンナが待ち伏せをしています。




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いたるところに句碑があるまちですが、建物の壁にまで書いているのは珍しいです。
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上と同じく、ロープウェイ通りにあった古本屋さん。ずっと前(学生時代)からあったと思われますが その記憶に自信はありません。




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大街道は車の行き来が禁止され、アーケードのある商店街と化したようです。
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大街道商店街の入り口付近にある明屋書店。「はるや」と読めるのは、松山人の証拠だと思います。 1階は雑誌ばかりになってしまいましたが、よく見れば5階まであることがわかりました。
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「ぐだぶつあん」跡を発見しました。もちろん、こちらに来てから町の地図を元に探し当てました。
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このあたりに「丸三書店」があったはずで、毎月発行される「世界歴史講座」や「日本歴史講座」を 苦労して購入しました。(すでに廃棄処分になってしまいました)
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この「坊ちゃん書房」には見覚えがあります。 こんなことをしながら、待ち合わせ場所の松山市駅にむかったので、一番遅くなってしまったようです。




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