松山を歩く  2011年8月5日(金)〜 6日(土)

001

高速バスが松山市の中心部である「大街道」に着きましたが、そのままホテルに行くのも早過ぎると思い、 チンチン電車(路面電車)に乗って「道後温泉」駅に着きました。 左は古くからある車両で、右は新しい車両です。 広島の町では「トラム」などと呼ばれ、2両連結だったりして、路面電車の町であることを誇っているようでした。 松山ではこじんまりとした1両編成のようですが、いつから登場したのでしょうか?
002

道後温泉の入り口の広場にあるモニュメント「からくり時計」です。右手にあるのは「足湯」です。 まだ一度も入ったことはありません。 ここで、町の地図を見ていたら、なんとマドンナさんがやって来て「どこを探していらっしゃるんですか」などとのたまうので 「鷺谷(さぎたに)墓地」と答えると、地図とともに居場所を教えてくれました。 道後温泉本館から行く方が簡単だなと悟り、(迷うこともないと思って)地図を受け取らずにお礼を言って、その場を去りました。
003

道後温泉のお店が集まるアーケードの入り口に、大きな看板に書かれた「道後村」の地図がありました。 こんな名前の村は今はありませんが、道後温泉本館を中心とした町を親しみを込めて、そんな風に呼んでいるんだと思います。 中央上部に、目指す「鷺谷墓地」があります。
004

「千と千尋の神隠し」の建物のモデルにもなったという「道後温泉本館」です。 大学生の頃には、下宿先から洗面器を携えてここまで歩き、お湯に入ったものです。 今回は本館を利用することなく、別れを告げました。 ちなみに、この写真は「鷺谷墓地」からの帰りに撮ったものです。
005

「日の丸があるのですぐにわかりますよ」とはマドンナさんの言葉。この忠告がなければ墓地の中で迷っていたと思います。 その通り、全く迷うことなく、ここに至りました。「坂の上の雲」のおかげで全国的に有名になった秋山好古のお墓です。 わたしが学んだ県立松山北高校の前身に当たる北予中学校の校長となって赴任したのは大正時代のことです。高名な元陸軍大将が 無給で勤めたというわけで、しかも、型破りなところが目立った方でしたが、戦争の話などは一切しなかったそうです。
006

道後公園に沿って建っている、真新しい建物が「松山市立子規記念博物館」です。 「子規と鴎外」の特集をしていましたが、無料で入ることができた一階だけを覗いて、引き返しました。 「からくり時計」の写真を取って帰ろうと決めて、そこに向かったところ、 先ほどのマドンナさんと再び会えて「無事に見つかりましたか?」てな会話があって、 そのあと「からくり時計」をバックにわたしのスナップ写真を撮っていただきました。 わたしの写真を撮ることなど元々はないのですが、好意に甘えてしまいました。そのマドンナさんの写真も撮ろうと思ったのですが、 他の方の声がかかり、そちらに向かって行ってしまいました。それで、お別れです。




007

「松山市立子規記念博物館」内にあった「旅姿の子規」は、等身大です。 ちなみに、身長164cm、なでしこジャパンの沢選手と同じです。




008

いつ見てもハイカラな感じの「道後温泉」駅です。ここからチンチン電車に乗って、元の「大街道」に向かいます。
009

古い方の車体のチンチン電車に乗って「大街道」へ帰る途中、 すれ違う「坊ちゃん列車」(蒸気機関車風ですが、実は小型の電車です)を撮りました。
010

「大街道」駅を降りて、ホテルに向かう前に、すぐ近くにある愛媛県庁に向かいました。 勝山学校(後の番町小学校)跡、松山中学校跡を求めて行ったのですが、見つけられず、守衛さんに尋ねてみました。 さらには、県庁内に入って職員の方にも尋ねましたが、どうやら場所が間違っているようです。 初めに守衛さんが道路の反対側で見たことがあるような気がすると言っていたので、対岸(南)へ渡ると、NTTの建物沿いに その碑が建っていました。ユーカリの木が立っていたそうです。
011

夏目漱石が勤めた「松山中学校跡」です。現在の県立松山東高校は、ここからはずいぶん離れています。 ただし、小さな町ですから、この場所から歩いてもたいした距離ではありません。
012

ここからは2日目です。

あはは‥大街道のマクドで朝食をとったあと、朝の散歩をしました。 自分の下宿先や大学から普通に歩いてきた道(大街道 ロープウェイ前)です。すっかり感じが変わっていました。 おしゃれになったような気がします。その昔、よく仲間と行った喫茶店を探そうと思い、歩くことにしました。
013

城山をバックにしている東雲中学校・高校です。奥に見える門が古風でいいですね。 めざとく「サーカー全国ベスト16」というのを見つけました。 ちなみに、わたしは(思いがけないでしょうが)長らくサッカー部の顧問をしていて、ずっとセレッソ大阪のサポーターです。
014

ロープウェイ乗り場です。わたしどもは、(お金を出すのがもったいないので)普通に階段を登って、松山城に行きましたね。
015

「坂の上の雲」の3人も、漫画風にすれば、こうなるようです。
016

ロープウェイ乗り場の横に「加藤嘉明(よしあき)」像が建っていました。松山城を建てた殿様です。 賤ヶ岳の戦いで、福島正則、加藤清正らと共に活躍し、「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられた人物ですが、 跡継ぎの息子が暗愚だったため、会津藩40万石を失い、加藤家は近江水口藩2万石に厳封されてしまったとのことです。
017

この地図は上が松山城(西)です。地図の右(城山の北)文京町にある松山北高校及び愛媛大学が見えます。 懐かしさがこみ上げて来るのを抑えるのは無理でした。何度も松山に戻ってきたはずですが、 こんな風に歩いたのは初めてだったせいかもしれません。




HOME NEXT