お宿→久慈駅=<三陸鉄道・絶景の海岸列車>=普代駅→北山崎展望台→つなぎ温泉<泊> |
さらば下北半島。ここは、幕末に、新政府に逆らった会津藩が配置換えになった斗南藩、不毛の土地であったところです。当然のごとく、この斗南(会津)から、優秀な人物が何人も現れます。会津魂というわけです。 |
道の駅「よこはま」で手に入れた旅の友、もっぱらバスの中で食べた駄菓子は100円だったと思いますが、定かではありません。ちなみに、男鹿半島で手に入れたかりんとうは126円でした。なにぃ、100円菓子の安さと少量であることを称えているだけです。 |
六ケ所村を通過しました。ここにも解決を先送りにした放射性廃棄物が集まっているはずです。人間どもがつくった不毛の土地は、こんな北の果てに閉じ込められています。 |
「三陸鉄道北リアス線」の久慈駅に着きました。ここまで約4時間、いつも挨拶を欠かさないドライバーさんの運転のおかげで、無事に辿り着く事ができました。おかげさまで、少し前に復興したばかりの三陸鉄道にわれわれは乗ることができました。 |
発車まで時間があったので、まちなか水族館「もぐらんぴあ」へ行きました。久地駅の間近に、震災後にできたばかりの水族館のようです。全国的に有名なさかなクンの協力によってできたものですが、来年の3月末までの期間限定の水族館のようです。 観光客よりも、地元の子どもたちのために造られたもので、もう2年目を迎えたわけです。 |
今や大学の先生でもあるさかなクンの自宅のフィッシュハウスで育てた魚たちやイラストなどの支援がありました。 |
このイラストも見覚えがあるような気がします。さかなクンのタッチです。 |
棘もかわいい小さなふぐが岩の間に隠れています。この魚はさかなクンが持ち込んだものではなく、久慈で採れたものだったと思います。 |
久慈駅から宮古駅まで繋がっているのが北リアス線ですが、われわれは途中の普代駅で降りました。宮古あたりまで行きたかったというのが本音です。 |
われわれが乗った北リアス線の「うみねこ」号です。 |
車両の左側の席は海側に向けることができます。右側は基本的に空席のままでした。 |
わたしのショルダーバックに「LUCKY DOLFHINS MUTSU BAY」の黄色いバッジをつけました。手前は、まちなか水族館「もぐらんぴあ」のシールです。 |
本日の昼食は、(この旅で初めての)お弁当です。何を隠そう、わたしはぷちぷち(いくら)が好きではないので、ツレにプレゼントしました。ほたては我慢して食べました。 |
津波の影響でしょう。海岸部の松は、低い部分の葉っぱをもぎ取られています。(窓の雨粒が撮影を邪魔していますが、まるで気になりません。海は濃霧がかかっていますが、これはきっと「やませ」のせいでしょう。) |
津波で破壊された岸壁です。ここの修理までは手が回っていないようです。 |
瓦礫の山です。全国の自治体が協力して、手早く処理すべきだと思います。 |
われわれは(現在の北リアス線の)終点の一つ手前の駅である「普代」で降りました。再びバスに乗り、陸中海外国立公園の北山崎展望台に向かいました。 |
北山崎展望台に着きましたが、予想通り、濃霧のため何も見えませんでした。これも、勉強の一つだと思いました。夏場、東北で最も気温が低いのは三陸海岸に決まっています。 寒流である親潮(千島海流)の上を吹く冷たい風「やませ」が、 東北地方の暖かい空気に触れて、霧や雲を発生させます。おかげで、米が成長すべき夏場に気温が上がらず、その結果として、実を結ばない。これが冷害の原因です。宮沢賢治が「サムサノナツハ オロオロアルキ‥」と書いたものです。 |
盛岡の奥座敷という繋(つなぎ)温泉のホテルです。翌日の朝に撮影しました。久しぶりに青空と出会いました。 |
ダム湖のあたりまで、朝の散歩をしました。出発がいつもより遅かったおかげでした。(わたしの記憶が正しければ、出発は 8:40 だったと思います。) |