あけおめ〜 2011年01月03日18:24



今年も宜しくお願いいたします!

ネットの上でも早く新年を迎えたくて 特に内容もないのに、日記を書くことにしました。

さほど寒くもなく 箱根駅伝にも触発されて 9区まで来たときに 初ウォークを敢行しました。

地元の神社まで軽く歩いて行ったのはいいのですが 普段はひっそりとしていて人影も見あたらないもので 万歩計とストップウォッチ以外は何も持たずに出かけたのですが さすが、正月三が日、お札やおみくじを売っていました。

あはは‥お賽銭もあげないまま お願い事だけはしっかりとしておきました。 往復2,779歩(22分42秒)‥足慣らしにもなったかどうか?

箱根駅伝の優勝が決まった時を見計らって 地下鉄の駅まで歩きました。 往復3,390歩(27分23秒)でした。

自転車で後からやってきた妻と連れだって 正月恒例の大阪八幡宮へ、初詣に行ってきました。 街中の神社に人が押し寄せたようで、入場制限をやっていました。 長い行列をつくってうねりまでつくるのは、遊園地みたいですね。 あは‥待つことには慣れたみたいです。

本日の収穫は すぐ傍の「繁昌亭」で、1か月後のチケットを購入したことなり。 いわゆる寄席で落語を聞くのは初めてのことで、楽しみです。

近所の歯医者さんや鉄道病院の予約を入れて ベトナム旅行の予定を入れて 街歩きの申し込みや歴史博物館の見学、新年会‥ だんだんと、新しい手帳の予定表が埋まってきます。

あはは‥新たな1年がこうして始まっていくようです。 今年もデジカメ片手に、しっかり歩こうと考えています。

どなた様も、本年も宜しくお願いいたします。




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ことよろ〜 2011年01月05日17:41



長居公園デビュー第1日目。

自宅から公園まで:3,107歩(24分43秒)
公園周回道路1周:3,481歩(27分10秒)2,832m
公園から自宅まで:2,989歩(24分38秒)

年の初めのウォークとしては、まずまずのタイムでした。

パン屋さんが開いているかどうかを横目で見ながらヨタヨタ歩いた のをカットすれば、もっと速く歩けたのですが‥。 葉が落ちたせいで、スケスケで、外の様子がよく見えたわけです。

最高9℃/最低3℃

マイクロフリースのおかげで、まったく寒くありませんでした。 余りにも寒いと嫌ですが 今日くらいの天気なら、次はもっと薄着で出かけようと思います。




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手作りパンの店「パリーネ」 2011年01月07日18:23



昨年は1月末から歩き始めたので‥ (整形外科通いが終わったときから) どうにも、いつから歩き始めていいものか、迷います。

あはは‥寒過ぎでなければ、いつから歩いてもいいわけで 今ごろの気候でも お日様さえ当たれば、結構暖かいことが分かってきました。

最高6℃/最低1℃

午前10時頃から歩き出しましたが、 その出だしは、とても冷たくて挫けそうになりました。 一度自宅へ戻ろうかとも思いましたが 歯医者さんからそのまま出発して 長居公園通りの人気のパン屋さんへ向かいました。

パン屋さんへは、歩いて33分30秒程度の距離です。 (あはは‥ふつうの人はバスに乗っていきます) わたしには距離が短すぎて物足りないのですが パンを持ったまま周回道路を歩くのもちょっと変だと思い 今日は、パン購入に絞って歩いてみました。

歯医者さんから公園:2,814歩(24分52秒)
パン屋さんへの往復:1,910歩(17分26秒)
公園からわが自宅へ:2,664歩(24分51秒)

公園と自宅の間‥時間はほとんど変わりませんが 歩数がどんどん減っています。

食パンが美味しいそうです。 食パン1斤とカレーパン、クリームパン、レーズンパンを買いました。

菓子パンよりも、食パンの味を確かめたいと思います。 カレーパンはおやつにします。




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ヌーベルマリー 2011年01月11日23:43



自宅から長居公園:3,248歩(25分56秒)
長居周回道路1周:3,501歩(27分10秒)
長居公園→パン屋:1,788歩(14分12秒)
パン屋から自宅へ:3,495歩(28分39秒)

クリームパンの美味しいパン屋さんへ向かうことになった。 ただその前に、いつもの勤めを果たそうと考えた。 ちょいと、周回道路を1周することにした。

近ごろは前半の調子がとても良くなったのに 後半のパワーが不足していることが分かった。

無難に歩いて、 目的のパン屋さんへ向かったはずなのだが パン屋「ヌーベルマリー NOUBELLE MARIEE」の中で たぶん‥クリームパンを探していたはずなのに いつの間にか、チーズパンに気をとられてしまった。

買って帰る途中の「みどりばし」の辺りで、ミスに気がついた。 あはは‥仕方なく、そのまま帰宅したという話。

記憶の回線が(突然)ぷつんと切れてしまったのか‥ 全く笑えない話である。

次の機会に再挑戦することにした。 「クリームパン」と書いて、行くことにしよう。




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最後のウォーク 2011年01月13日23:54

自宅からバス停:1,151歩(09分23秒)

 ついに乗ってしまった。ピッタリの時間だったから。
 1時間に2,3本しか来ないバスだから貴重である。

長居周回道路1周:3,496歩(26分19秒)

 この前と比べると5歩だけ少ない。
 目標タイムは27分を切ることだったから、とりあえず、よかった。
 ピッチが速くなったということらしい。

長居公園から自宅:2,987歩(23分39秒)

 バスが出たあとだったので、歩いて帰った。
 20分も待っている間に、自宅にかなり近づいているわけである。

今週の「最後のウォーク」のつもり。
どうしても歩きたいときは歩く‥てなことで。

来週は(ベトナムにて)のんびりと歩きます。




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1/16 ホーチミン(旧サイゴン) 2011年01月24日22:15

ベトナムは南北に細長い国で、その距離は約1,650kmになる。 日本で言えば、鹿児島から青森くらいのものであろうか。 それだけ南北の気温の差も激しい。

南のホーチミンは熱帯で、北のハノイは温帯である。 ホーチミンが一年中夏であるのに対して、1月のハノイは寒い冬である。 セーターやジャケットが必要です、などという説明は受けてたが、その程度では間に合わない。

ハノイの1月の最高気温(平均)19.3℃、最低気温(平均)13.7℃‥ 冬だな、とは思いましたが、実際はダウンが必要なくらいの寒さでした。 日本での(冬の)格好のまま出発すればいい、というのが教訓でござる。

人口は約8,500万人と多い。数は力である。 ベトナム戦争で大国アメリカを破ったことも自信になっているように思う。 カンボジア侵攻、中越戦争と戦い続けて、今ようやく平和が訪れたわけで 1986年のドイモイ政策より、改革、開放路線をとって、国は大きく変わろうとしている。

通貨はドン(VND)である。100円が20,000ドンと桁が多すぎる。 0を2つ除いて、2で割れば日本円になる。 実際は米ドルが使えるので、1米ドルあたり85円で計算すれば何とかなる。

この国はどんな風に変わろうとしているのだろうか?

ホイアンには日本の朱印船が立ち寄ったところで、 その郊外のミーソンにはチャンパ王国の聖域があり、 フエにはベトナム最後の王朝の王宮が残っている‥ 中部ベトナムも面白そうだ。

ホーチミンは(かつて)南ベトナム民主共和国の首都サイゴンとして栄えたが、ベトナム戦争後にホーチミンと名を変えた。首都はハノイに譲ったが、ベトナム最大の都市であり、現在はベトナム経済の中心地として首都ハノイ以上に活気に満ちあふれているという。
14:20 タンソンニャット空港着。関空から約5時間40分のフライトである。専用バスで、ホーチミン市内観光が始まる。ロンさんが現地のガイドである。この日のホーチミンは曇り。30℃には満たないが、唯一、半袖で過ごした南(北緯10度より少し北)の大都会である。なお、いまでもこの都市をサイゴンと呼ぶ人も多いとのことである。



噂(本で読んだ)通りのバイク天国である。ホンダが圧倒的で、スズキもヤマハも(みんな)バイクは「ホンダ」と呼ばれている。大人の二人乗りはOKで、子どもを追加しても違反にはならない。従って、4人乗りもしばしば見かけたし、5人乗りもいた。バイクの運転は、ひたすら強気である。むしろ、自動車やバスの運転の方が難しそうだが、決してぶつかったりはしない。ちなみに、自動車ではしばしばTOYOTAを見かけたが、バスはみな HYUNDAI(現代)である。

「統一会堂」(南ベトナム大統領官邸、元フランスの官僚が住んでいた)に向かった。

かつて南ベトナムの首相、副大統領だったグエン・カオ・キ氏のことをガイドのロンさんが話していて、妙に懐かしく思ったのはわたしだけだったのだろうか?サイゴン陥落の直前に、アメリカ大使館からヘリコプターで飛び立っていった最後の人であり、アメリカで事業に成功して、2004年には故国の地を踏んだとのことである。

再びバスに乗って、すぐ隣の「サイゴン大教会」へ移動する。バイクが庶民の足となっている風景こそ、近ごろのホーチミンのものである。

「中央郵便局」も省略して、 ベトナム料理も省略して、 四つ星ホテルのシャワールームもカットして、 朝が来て‥

朝食後、空港へ向かう。出勤の月曜日、バイクの嵐はさらに勢いを増した。他の都市ではどうなんだろうか? 以上、バイクで溢れたホーチミンの街を紹介してみた。




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1/17 港町ホイアン 2011年01月25日22:09

16世紀、ベトナム最後の王朝(グエン朝)の首都はフエで、その外港がホイアンだった。だから、日本の朱印船がやって来たのも当然、ホイアンということになる。

18世紀には、河口に位置するホイアン港が砂の堆積によって次第に使えなくなり、それまでは小さな漁村に過ぎなかったダナンが、新たに国際的な貿易港となった。(勅令である)

それでも、中学校の教科書で見れば、中部ベトナムにおける朱印船貿易の港はツーラン(ダナン)とフェフォ(ホイアン)となっている。秀吉、家康がらみの貿易だったので、時代は16世紀末から17世紀初めに限定されるはずだ。

その頃、ツーラン(ダナン)がどの程度使われていたのかは不明だ。本来、フェフォ(ホイアン)が中心であり、ここに1000人規模の日本人町が造られたのも納得できる話である。

18世紀以降、ホイアンは歴史の表舞台から姿を消し、近代化からも立ち後れてしまったらしい。ダナンが、フランス植民地時代を含めて、ベトナム中部最大の港として発展し、太平洋戦争後に大規模な米軍基地が置かれたのに対して、ホイアンはベトナム戦争の戦火からも逃れることが出来た。

ホイアンの古い町並みが残ったのは、そういう理由からである。ただし、日本の鎖国政策のせいで、この町から日本人は姿を消し、代わりにやって来たのが華僑(中国人)であった。いわゆるチャイナタウンとして生まれ変わることになったようである。

あはは‥前置きが長すぎるのが、わたしの欠点である。

写真1


トゥボン川に繋がる、小さな水路に架かる来遠橋(日本橋)である。日本人が造ったと言うが、7回も修理を重ねて、どちらかというと中国風の外観をしている。 ホイアンは16〜17世紀に栄えた国際的な貿易港である。その時期には中部ベトナムで栄えていたチャンパ王国は滅び、ベトナム人(キン族)が旧チャンパ王国人(チャム族)を率いてこの貿易を仕切っていたという。海洋民族であったチャム族なしにはこの貿易もあり得なかったはずである。

写真2


シクロ(ベトナムの人力車)に乗って、「海のシルクロード博物館」へやって来た。「Museum of Trade Ceramics」という方が一般的なようだが、日本人観光客向けには「海のシルクロード博物館」と紹介されている。実際に使われていた中国人の旧家を利用しており、日本の朱印船貿易のことも詳しく説明してある。 博物館に展示してある資料は、どうやら日本から持ち込んだようである。ところで、この町には(山田長政や三浦安針がこの町に立ち寄った記録もある。)

写真3


そもそも16日出発便に固執したのは、17日(旧暦14日)満月の夜に ホイアンの町でランタン祭があるからだ。ランタン(提灯)を川に流すという、とても日本的でもある儀式(フル・ムーン・フェスティバル)が毎月行われて、観光客を集めているとのことだ。 よく分からないが、日本人の他に欧米人も多いようだ。

世界にはばたく日本人の夢が、時の権力によって摘み取られていった無念さを思うと悲しくなる。望郷の思いを抱きながら、この地で骨を埋めた人も多かったではないだろうか。日本人のお墓はあるはずだが、その場所は確認されていない。




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1/18 ミーソン聖域 2011年01月26日16:32

3日目の朝、ホイアンの南西約50kmにあるチャンパ王国の聖地に向かう。その入口には、世界遺産「ミーソン聖域」案内の看板がある。かつて中部ベトナムで栄えたチャンバ王国の聖域には、ヒンズー教の寺院が集まっている。アンコールワットの小型版である。グループB,C,Dは概ね無事だが、他のグループA〜Hはベトナム戦争で破壊されてしまった。

雨の降る中、バス停から500mほど歩いて、遺跡までやって来た。日本人の他のグループもいくつかあったが、欧米人の観光客も多かった。

草木に埋もれ、苔むした建物は(直前に読んだ本では)「祠堂」と紹介されている。帽子を被ったような屋根が特徴的である。ここではないが、いくつかの建物には入ることもできた。首のない人物(神様?)のレリーフや彫刻が目立つ。まことにまことにギリシャ的な彫刻もある。

写真1


全て煉瓦造りの建物(祠, ほこら)である。黒っぽい煉瓦の部分は、コンクリートを詰めて修復したもので、黒ずんでしまったものである。この遺跡の保存には、かつてこの国を支配したフランスとチャム(人)の学者さんが関わっているようだ。

写真2


どう見てもヒンズー教の彫刻である。比較的綺麗に残っているグループB,C,Dであっても、ナパーム弾が開けた大きな穴があったり、建物や彫刻のかけらが丸ごと転がっていたりする。とても見苦しいが、これもまた、原爆ドームと同様に「マイナスの文化遺産」として残しておきたいものである。

最後には、チャム人(チャンバ王国の人であった)による民俗舞踊を見て、この地を去ることになった。ちなみに、北のベトナム人(キン族)が南のチャンパ王国を滅ぼし、チャム人はベトナム、カンボジアなどに離散して、それぞれにおいて、少数民族となってしまった。

港町ホイアンだけではなく、ベトナム最後の王朝の都となったフエも、中部の中心都市となったダナンも(元を正せば‥)みな、チャンパの領土であったのだ。

午後には、バスでフエに向かった。




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1/19 古都フエ 2011年01月27日11:07

世界遺産フエの建造物群と市内観光

フエはベトナム最後の王朝、グエン朝(1802−1945)の都が置かれた、(さほど古いものではないが)いわゆる古都である。王宮の対岸のグリーンホテルに泊まった。ベッドも、グリーン(色)が基調である。朝食では、洋(西洋風)のものを選ぶことが多い。あはは‥スクランブルエッグよりも目玉焼きである。旧正月(テト)前であり、Happy New Year の飾りがあちこちにある。とりあえず、グリーン(色)が多い。

写真1


ホテルから歩いてすぐのところにある、フエの名門校「クォック ホック」(Quoc Hoc 国学)である。王宮の官吏となった父親とともにこの町に移ったホーチミンが通った高校である。元は男子校だったが、現在は共学とのことである。門から学校の内部を覗いてみた。これから先には、関係者以外は入れない。(そりゃそうだろう‥)学校の反対側、フォン川のあるところには、王宮が見えないように、屏風(壁)のようなものが建てられている。

バスに乗り、王宮に向かう。駐車場からは、傘を差して王宮まで歩いた。初めに、旧市街のシンボルとなっているフラッグタワーが見えた。ベトナム戦争や天災により何度か崩壊したそうで、1969年に再建されたものである。堀に架かる橋を渡って、王宮に向かう。写真2は、王宮の入口にある「午門」である。正午(午の刻)になると建物の上に太陽が昇ることに由来している。「午門」の中央は、皇帝しか使うことができない。男は右側、女は左側を使うことが義務づけられていたそうだ。今もなお、中央は閉じられている。

写真2


「太和殿」は、中国の紫禁城を模したものである。お茶目なガイドの玉(たま)ちゃんによると、「紫禁城」だけでは、今どきの若い日本人観光客には通じないそうだ。日本に行ったことがないという玉ちゃんのニュースソースは、NHKの海外放送らしい。ちなみに、われわれがテレビを見るときは、英語で放送されているNHK海外番組か、スポーツ番組くらいなものである。おかげで、サッカー・アジア杯のカタール戦をみることができた次第である。

このあと、中国風のティエンムー寺とドンバ市場を訪ねたが、ドンバ市場の人込みには参ってしまった。迷い込んで入ったところには、ひたすら靴ばかりのお店が集まっていた。結局市場の隣のスーパーマーケッで、お菓子などを買い込むことになってしまった。

フエ料理をいただいたあと、フエ空港から(ベトナム航空で)首都ハノイに向かった。空港内で夕食をいただき、専用バスでハロン湾まで急いだが、ホテルに着いたときには既に翌14日になっていた。救いは、シャワーのお湯がしっかり出たことである。




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1/20 ハロン湾 2011年01月28日18:41

昨晩の寝不足もなんのその、8:00にはバスに乗って、バイチャイの港に着いた。約350隻、山ほどのジャンク船が待機している。ピーク時には他港からの助けも得て、約500隻になるという。

いよいよハロン湾クルーズ(3時間コース)に出発だ。「海の桂林」と呼ばれる景観が見事だと言うが、桂林を知らないので、ただ「ふ〜ん」と頷くだけである。大小3,000もの奇岩・島々が存在する。残念ながら、尖った島影が霞んでいる姿を遠くから眺めた程度で終わったようだ。

観光船は一つの大きな島に立ち寄り、「ティエンクン」鍾乳洞 (DONG THIEN CUNG)に入る。「ティエンクン」は、漢字で表せば「天空」に当たるようで、天に向かって開かれたその穴は、天国に繋がっていると信じられていたことから名付けられたそうである。青や緑、ピンクなどにライトアップして、鍾乳洞の神秘を引き立てている。しかし、秋芳洞や沖縄その他の鍾乳洞を見慣れた者には物足りなさがあり、ライトアップは余計なものと思われた。

次に、いわゆる船上生活者の筏に近づいた。どうやら、その筏に乗り込むらしい。ご迷惑じゃないかと心配したが、その生活ぶりを訪ねるわけではなくて、生け簀いっぱいのクエやエビ、蟹などを見学しただけである。それを買い込む余裕はない。

写真1


1ランク上の観光船(1〜2泊のクル−ズを楽しめるように、立派な個室もある‥)のようである。お気に入りで、わがPCの壁紙に使っている。

写真2


「夫婦岩」(闘鶏島とも呼ばれる)という。ただし、日本のように綱は張っていない。このような奇岩がかなりたくさんあるらしい。

このあと、海鮮料理の昼食を食べながらハロン湾を巡った。船室は両サイドに分かれて4人掛けのテ−ブルが配置され、ゆったりと食事タイムを楽しむことができた。しかし、いわゆる絶景コースを辿りはしなかったようで、さほど感激もしないままでハロン湾を去ることになったのが悔しいと(今更ながら)思う。

陶器の村バッチャンに立ち寄り、やがて首都ハノイに入る。5つめの世界遺産であるタンロン城址公園へ着いたときには最高に冷え切っていた。(バスには暖房はない‥)ハロン湾は全く寒さを感じないままであったのに比べると、ダウンを着てこなかったことを悔やんだ次第である。ホーチミンと同様にバイクが溢れ、ハノイの中心部は凄い渋滞だった。しばしばバイクは歩道を走っているし、道の真ん中で立ち往生している人も見かけた。総合民芸店、北ベトナム料理の店、食後にまたも総合民芸店、と時間をつぶしながら、やがて空港に向かった。

できれば、ホーチミン廟やホアンキエム湖辺りの旧市街を散策してみたかった。国家主席であったホーチミンは火葬を望んだし、どこかの国のように個人崇拝を求めたわけではない。だが、彼の後継者たちは、彼の遺志に反して遺体の永久保存を行い、国民をまとめる手段として利用したようだ。それでも、「ホーおじさん」として親しみと尊敬を集める彼の偉大さには全く頭が下がる思いだ。ハノイの市内散策は次の機会にしろ、ということらしいが、そのときが再びやってくるという保障はない。好奇心だけで、物見遊山の旅しかしていない、ただのよそ者としては贅沢は言えないものである。

ハノイ発は、翌21日の午前0:30だった。なかなか眠ることもできないまま、真夜中の機内食(朝食)をいただいたと思ったら、あっという間に、飛行機は関空への着陸態勢に入ったようだ。約3時間50分で着いたが、時計を2時間足すと、日本時間で午前6時20分となる。ほぼ徹夜であったので、さすがに自宅に戻ると、お昼過ぎには眠りに入っていった。

とりあえず、ベトナムに関するものを5冊ほど読んで出かけたが、消化不良につき、もう少しだけおさらいをしておこうと思う。




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サムライ日本、アジア杯優勝! 2011年01月30日11:12

ほとんど負けているはずの試合(オーストラリア戦)をモノにする勢いを感じた。深夜の試合を最後までみたのは久しぶりである。 どこぞの解説者が語っていた言葉がお気に入りである。「柔よく豪を制する‥」なんてね。

気がかりなのは、骨折した香川のことである。余りにも早すぎる大ブレイクはお預けにして、慌てずに進化続けて欲しい。




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大阪歴史博物館 2011年01月31日21:22



最高4℃/最低−1℃

お日様が出ることを祈って自宅を出ました。 自宅に戻るまで13,425歩でした。

歴史博物館の「特別展」をみて そのまま大阪城公園を1周しました。 昨日の大阪女子マラソンの新コースを歩いてみました。

確かに 梅林横の坂を下りていく急なコースを避けて 思いっきり平坦なコースになりましたね。

実際には寒くて風が強かったため いい記録は出なかったようですが いずれ、新記録が出ると思います。

あはは‥時間は測っていませんが、 なかなか歩くのにもいいコースだと思いました。

地図の左下の森ノ宮駅あたりから左上の歴史博物館に向かう道が 日陰で寒かったのが嫌でしたが、それさえなければよかったです。 いつの日か、あの道を避けて歩く新たなコースを探しますとも‥。




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