香港事情


D I A R Y 2 0 0 0

Special version


旅の終わりに:懐の深さに煽られて 8/21

 3時間あまりのフライトで行き来ができる、そんな時代の香港4日間の旅。盛りだくさんでありながら、食傷気味になることもなく過ごすことができた。

 一昔前なら旅の長さだけ得たものは多かったはずだが、私の旅は余りにも便利すぎたのかも知れない。コンビニエンス・ツアー、「便利蛮旅」ぐらいでどうかな?

 明日からは何事もなかったように仕事をして、整然と医者と整骨院へ行くことになる。もうしばらく、佇んでいたい。

 長いようで短かった私の夏は、確実に終わりに近づいている。癒えないままの体と妥協しながら進むよ‥いい意味でね。自分に、覚悟!

 以下は、この夏8/18〜21日に訪れた香港のことを、1日1記事のペースでまとめてみたものだ。日付を無視してテーマごとに綴ったものだから、そのつもりでお読みいただければと思う。在りし日の追憶も、できるだけ新鮮なうちに‥これがモットーである。ご覧下さい!


香港の夏は寒かった 8/22


 家族で行く2度目の海外旅行だった。妻と中3生の息子と一緒の、いわゆるツアーである。水泳部員で、受験生だから‥止めとくわ、と言えば連れて行かなかったはずだ。ただし、わがまま娘(念のため書いておくが、悪い意味じゃない)は初めから行かないと言った。いずれ、この秋には北京への修学旅行だから。ちなみに娘は大阪の公立高校に通うふつうの子である。なお、この記事はゆっくりと書き進めていきたい。忘れるほどのことなら、もともと大したものではないと思うことにする。居直るばかりか‥。

 モンゴル民族も嫌うショウレイの地。大阪と同じはずと覚悟して行った。さすがに、女人街や男人街は風も通らぬビルの谷間の人いきれで、汗をかいた。毎日が縁日と言ってよさそうな、露天のお店が延々と続く。庶民の街はバッタもんのお店の集まるところである。

 ただし、ビルの陰に入り、レパルス・ベイの浜辺に立てば、夏の暑さも吹っ飛んで湿度の高さも感じない。

 バスで目的地に着き、ビルの中のお店やレストランに入れば、いきなり冷気で汗がさっと引くばかりか、寒くて仕方なかった。長袖がいると瞬間的に感じた。バスの中も同じで、座席に吹き付ける冷気を止めた。新界地区にあるゴールドコーストのホテルも設定温度は5度である。肩こりと腕の痛みに悩む私にとって、冷気はこたえた。香港人はそれが普通だそうだ。ひたすら逞しい。

 ↑ 写真は、ホテルからみたリゾートマンションとヨットハーバー(新界:黄金海岸)



  

地下鉄には乗らなかったが 8/23

 さまざまな交通機関を利用した。道の狭さをものともせず、すれ違う車の運転技術は文句なしに世界一だろう。お互いに譲り合いながらも、流れはスムーズである。おまけに一度も耳障りなクラクションを聞かなかった。マナーの良さも世界一かも知れない。

 バス(巴士)をメインとしながら、市民の足となっているトラム(Tram、2階建て電車)、本来の汽車(火車)、さほどの意義を感じなかった世界一長いというエスカレーター(Hillside Escalator)、今や少数となった水上生活者の生活ぶりを間近に覗いたアバディーンの水上タクシー、夜景を眺めながらカオルン半島に渡ったスター・フェリー(Star ferry)などのすべてを体験した。ちなみに自動車(汽車)は日本製が多いが、タクシー(的士)だけはフォルクスワーゲン、赤とグレーのツートンカラーだった。暑さよけのため、屋根は二重構造になっていた。

 ↑ 写真は、香港島北部の中心街を走るトラム(Tram)

 中国領の経済特区で有名なシェンチェンへ行くオプションを選んだが、行政特別区にあたる香港から行くにもパスポートと出国・入国カードが必要で、行きはバスだったからましだったが、帰りは境界(?)を越える電車を利用するしかなかった。その混雑ぶりにはまいった、まいったである。シェンチェン側の2人のガイドさん(いずれも中国人男性)の苦労が身にしみた。(住民の平均年齢が28歳という急造大都市のイメージをくずすまいと思ったかどうだかわからないけれど、ガイドぶりに熱いものを感じたんだ。)憧れの香港への大移動をストップさせるにはこれしかないのかな。フリーパスは無理としても、他に方法はないのだろうか。香港返還3年目の夏である。国際センスと野趣味あふれる香港人の域に達するには時間がかかるはずだろうが。

  

香港の日本語に感激 8/24


 今日は旅行の話を一休みして、他のことを書こうと思っていたが、特別サービスで再挑戦だよ〜ん。読んでいただけるお方がいれば、ボクちゃん、がんばちゃう‥これは本来のボクのスタイルではなく、こんなときは原田宗典流しかあるまいと勝手に思っちゃうわけでして。(なんせ、彼の詩集まで買ったんだ。)(今にしても悔しい!)早く読まないと、消しちゃう〜。(ちょっと気持ち悪くなってきた。難しい本も読むんだよ‥もちろん、言い訳だ。)

 香港でのメインのガイドさんは、エンジェルさん。香港人は本来の中国名に必ず英国風の名前も入れるそうで、英国領であったことを思い知らされた。(強制でなければ、このセンスはいいかも知れない。)ガイド補佐兼カメラマンの兄ちゃん(親しみを込めて。キミの撮った妙におかしなアングルの写真を買ってあげたよ。ホンマヤデー、モウ‥)も、マックさんという名前を持っていた。ところで、そのエンジェルさんのことなんだけれど、空港に着いたときになかなかツアーの仲間が集まらず、大丈夫かいな?とも思ったが、いつの間にか、素敵な笑顔と軽いジョークと細やかな心遣いに触れて、ボクは「天使さん」にポッ!になってしまった。(ボクは惚れっぽいタイプなんだ。)何度か日本にも来たことがあるというほどの日本通で、一生懸命、話を聞いたわけだ。バスでの移動のときはしっかり睡眠をとったけれど、肝心な所は聞き逃さなかったはずだ。

 ↑ 写真は、自由市場の2楼(2階)にある超級市場の看板と「Marlboro」の文字の入った日除け傘 (香港に隣接する経済特区:シェンチェン) なお、最も一般的な煙草「Marlboro」の箱には「吸煙引致呼吸系統疾病」(特区政府忠告市民)とある。

 そのエンジェルさんが、ようやく広東語なるものを教えてくれたわけだ。「チョウサン」「トーツェ」‥なんだか、すぐに「カトチャン」「ペッ」を連想してしまう私は、毎度とんでもないわけだが、ちゃんと覚えた言葉は必ず使うんだ。(お調子者でもある。)エンジェルさんに次の朝「チョウサン」と言うと、日本語で「よく覚えていましたね」と答えてくれたんだ。幸せいっぱい、胸一杯かな。「チョウサン」は「おはよう」で、「トーツェ」は「ありがとう」なんだ。「トーツェ」は、最後の空港でのお別れのときの言葉になったんだ。

 「ペンティ」は「まけて!」(安くしてよ)だから、「ペンティ、ペンティ」なんだけれど、どうにも効き目はなかったみたいで、安くならないうちに買わされてしまったこともある。頭の中で日本円に換算しながらがんばろうとしていたんだけれど、商売上手な中国人にはやはり、かなわないや‥ぐらいで済ませたようだ。

 そのエンジェルさんが、突然「シッコ」「ウンコ」なんだから、まいった、まいったである。今にして思うと、ちょっと違う発音だったかも知れないけれど、「シッコ」「ウンコ」としか聞こえなかった。「アイスクリーム」「5個」ということだそうだ。ビクトリア・ピークで、ハーゲンダーツのアイスクリームを食べたあとだったから、忘れもしなかったわけだ。

 ↑ 写真は、ホテルの窓に貼ってあったシール(新界:黄金海岸飲店)

 看板や標識などについては、同じ漢字の国だから何とか意味だけは分かりそうな気がする。英語を併記しているから、なるほどと思う。「手紙」や「超級市場」は知っていた。「からおけ」は(フォントにないから)ここでは書けないが、有名だ。中国領のシェンチェンでは略字が目立った。ただし、香港側ではほとんどなかったような気がする。日本語を見ることは少ないが、たまにある。以下はホテルでのできごとだ。さすが香港人、「ト」にも「す」にも小さな丸を打つ。つまり、半濁音の「ト」や半濁音の「す」である。わざとやったに違いないと思っている。香港人のつっこみである。(ボクは必死で読もうとするわけで)こんなことに感激して、写真まで撮るのはボク以外にはなさそうだ‥。

  

香港は食のデパート 8/25

 食は広州にあり、とは聞いたが、「香港:黄金海岸 4日間の旅」のスケジュールによると、ありとあらゆる中華料理にありつけそうだ。本場の味を楽しむのだと喜んだはずである。 

 麺類大好き人間としては、実は、最も期待したのは本場の香港ラーメンだったりした。シェンチェンへのオプションを選んだから、四川料理にはありつけなかったが、北京・上海・広東料理には事欠かなかった。ホテルから遠いレパルス・ベイでの鮑入りの中国粥まであったから、世界に冠たる中華料理をしっかり堪能したわけである。元々油濃い料理に合うのは熱い中国茶で、プーアル茶が一番多かったようだ。なるほど、脂を溶かして、口を濯いで、次の料理へと食欲をそそるわけだ。

 中華そばなるものがあって、北京楼では麺打ちのパフォーマンスまであったが、出てきたものは、まるで焼きうどんだった。これが結構よく出てきたわけで、店ごとに味の変化がしっかりあった。北京ダック、ショウロンポウ、飲茶、麻婆豆腐などにでくわしたが、(あとは、名前がわからない)やはり、あっさり目の上海料理あたりが日本人には合っているようだ。鮑のステーキやフカヒレの姿煮などにはありつけなかったが、蛇や猫の料理にも出くわさなかったから、良しとするかな。

 せめて最後は‥というか、4日目の昼食は、期待の香港ラーメンだった。しかし、がっかりした。これなら、即席のチキンラーメンの方がましだと思ったが、おいしいという方もいるから、黙っていた。きっと日本の人には北京あたりの味が合っている、との解説つきだったから、ボクの味見も狂ってはいなかったようだ。

 やはり、日本の醤油の味が懐かしかった。機内食(夕食)もあったが、家に着いて最初に食べたものは、なんとなく即席のカレーライスだった。それ以来、まだ好物のうどんを食べていない。塩分のとりすぎは高血圧の元でもあるんだけれどね。やっぱり、あのお店の「ごまざる」かな?

 ↑ 写真は、言わずと知れた北京ダック。(九龍:北京楼) 
  食べる前にまずは撮影を、と促されて撮ったものだ。


  

買い物ツアーはお好き? 8/26

 だんだんと記憶が薄れていく。小さなメモをぎっしりと手帳に書き込んでおいて、1年後にそれを再現してみせるといったような芸当は、私にはできっこない。それができる方が本当にいるんだから、限りなく天才的だと、どこかに書いたことがある。 

 一昔前なら買い物ツアーも人気があって、エコノミックアニマルはお金も持っていたんだろう。念のために言っておくが、私はお金持ちではなくてただの一介のサラリーマンでしかない。家族で行くとなると、一馬力の身としては、結構出費がかさむことになるんだ。好奇心に煽られてつい手を出して買ってしまうのは仕方ないにしても、それほどの買い物を期待されても無理だし、しばしば買い物ツアーの設定に閉口なんてこともあるわけだ。

 いかにも日本人観光客を目当てのお店に寄ってしまうと嫌になってしまう。お金持ちじゃないんだってば。たとえば、いきなり宝石店とか、シルクのお店とか、漢方薬のお店とか、3つも行った市場とか‥いいんだよね(もういやなんだよねという意味)。むしろ、どこかでバスから降ろしてもらって、どうぞご自由に、という方が自分で選べるから嬉しいんだ。免税店はひとまず欠かせないし、アウトレット街や女人街、男人街とか、シェンチェンの民俗村の露店通りとか、冷やかして歩くのは無理としても、「シェン円、シェン円」という呼び込みの声を振り切りながら「ペンティ、ペンティ」で対抗できるところって、どうみても庶民的でいいんじゃない? 私だって、大阪人。売値で買うなんてことは大阪人の名に掛けて‥できっこない。

 誰かのお土産に、というのも少しは挑戦してみたいし、悩みながらも喜んでもらえるかな?と吟味していくのは楽しみだ。ただし、自分用もあっていいし、目立たぬ程度におしゃれもしてみたいとも思うから、少しの大盤振る舞いも当然なんだな。思わぬ掘り出し物もあっていいんじゃないかな。何でこんなのを買ってしまったんだという少しの後悔も許されるかな。

 買い物をしながら、1香港ドルが約15円だからと計算をして吟味をしていく。不景気でありながらそれが見えていないおとぼけの国の観光客であっても、生活レベルの差ぐらいはわかる。しばしば、国民所得の差とか物価の違いぐらいは気がつくわけで、われわれにとって安く感じても、相手側にとってはとても大きな収入源ということもある。元々貧富の差が大きな香港で、ここに流入する難民たちの1か月の収入が日本円で約10,000円と聞かされると、あるいはシェンチェン(中国領)だって安く買える分、収入が少ないと知ってしまうと、われわれだってお金を無駄にしたくない。われわれの無駄遣いが彼らの収入源としても、1,000円、2,000円の買い物だって大事にしなきゃ。値切りながら1,500円で手に入れたマイ・ハンコ(印鑑)はしかるべくして買ったものだ。大事にしなくちゃ。漢字の国のちょっと変わったフォントの文字を見る度に、この国の歴史と文化の懐の深さを感じていたい。

 21世紀はこの国の大躍進の時代となるかも知れない。活気と熱気、逞しいエネルギーについていけるだろうか‥わが、引きこもりの国は? お上がダメなら庶民レベルで賢くならなければ、と思う今日この頃‥なんてところで、ひとまずおしまいおしまい。

 ↑ 写真は、アバディーンの水上タクシー(香港島南部) 船賃はひとり50香港ドル 
  つまり日本円で約750円。この船のオーナーは、すごい収入を稼ぐわけだ。
  ましてや、豪華クルーザーをもつなど、大金持ちの特権でしかないと実感。


  

平常モード ver.3 へ 8/26

 夏休みが始まった途端に腰が痛み出し、お腹も痛くなってしまいました。しかし、持病の腎臓結石とは関係なかったようで、長らく放置していた腰や肩の治療に専念できるいい機会だと考えました。去年のようなひどい病気にはならなかったわけで、快適な日々を送ることができました。整骨院へ通う日々は楽しいものでした。 

 日記もほぼ予定通り書きました。短いものがお気に入りでした。好きな本も読むことができました。途中までで読み残しているものがあり、新たに買ったものもありますが、読書の秋に残しておけますから、この点でも満足しています。頭の中身をもう一度、鎌倉末期の楠木正成あたりまで戻すとします。河内の悪党、いいなあ!

 香港への旅の記録もここで閉じようと思います。普通に生活していてもときどき思うんです。いつも旅をしているようなものなんです。持ち前の好奇心だけは失いたくありません。数々の失敗も、旅の恥のかきすての続きですから。

 gaiax の仲間の皆様には随分お世話になりました。身勝手に書き上げてネットに流すだけという思い上がりは避けられそうな気がしました。双方向のコミュニケーションというインターネット本来の値打ちを教えていただき、まことにまことにありがとうございました。このコミュニティで知り合った多くの方々にはご迷惑のかけっぱなしでしたが、これからもよろしくお願いいたします。本務に戻るため、平常モード ver.3 に移行します。もちろん、これからも仲間の一人です。末永くご指導下さいませ。

 とても充実した夏休みでした。体も元気だし、まだ脳味噌も狂っていません。久しぶりにわがクラスの卒業生と会える今晩の同窓会と28日からの修学旅行の下見を経て、いよいよ本務に戻ります。季節の変わり目はいつも戸惑ってしまいますが、ファイト!です。いつも思います。自分が前向きに生きていない限り、メッセージは送れません。もし、沈黙を守ってしまうことが続いたときには、お声を掛けて下さいませ。

 9月のカレンダーが完成しました。職場から完成品を持って帰るのを忘れてしまったので、UPは9月1日になると思います。絵はすばらしいですが、書き添えた言葉はパソコンクラブの生徒に言わせると「クサイ」そうです。私もそう思います。ちなみに、カレンダー内の M&N は 親愛なる makisan & nekoman の略ではなくて、私とわが同僚の名からとったものです。偶然です。ではまた!

 ↑ 写真は、名も知らぬ花 (ホテル) ボケ具合だけで選んだ

  

曇りときどき晴れ、雨が好き 8/31

 いつものようにメールを読んで、BBSを確認して、一日が始まる。ただし、今日は特別な日だ。夏休み最後の丸ごとの休日である。

 肌にお湿りを与えてくれるほどの雨が降っている。JAFを呼んで、愛車を始動させる。すぐにいつものガソリンスタンドへ行き、必要以上に長持ちさせたバッテリーを交換して、ガソリンも満タンだ。そうした途端に行くところは特にない。

 久しぶりに整骨院へ行く。3日間の旅があったからだ。もう一つの病院へ行ったら、お休みだった。このあたりは、自転車で移動である。「ヤフー・ジャパン」と新書を2冊、手に入れた。「ことばの道草」を読んでいるから、次ぎに回すことになる。

 ボクの心は、曇りときどき晴れ、雨が好き‥である。今日の「キツネの嫁入り」もいいが、土砂降りの雨も好きだし、しとしとと降る雨もいい。降りそうで降らない思わせぶりな雨もいい。適度の暴風と思わせぶりな雨が一緒だとさらにいい。

 他人のBBSが日記代わりにならないのであれば、ボチボチ書いていくしかあるまい。いつも、アドリブ‥これもいいかな? 沸き起こるものを抑えて賞味しないまま、消費する。無駄な消費とはおさらばしたいのだが、しばらく居眠りのマネをするしかないようだ。そのまま眠りこけてしまってもいいかもしれない。

 ↑ 写真は、黒姫高原で見た、いちめんのコスモス (長野県) 8月28日撮影