模擬原爆投下跡地を訪ねる 

東住吉区田辺 2005年8月





とても暑い夏の日でした。 何度か車で通ったことはありましたが、いざ、目的の碑を探すのは初めてでした。 自転車で出かけたのですが、詳しいことを調べないまま、とりあえず田辺小学校にたどり着きました。 小学校を一周しましたが、見当たりません。








いつもならこれで諦めるのですが、また出直すのはこの暑さの中では辛いものです。 ふと、反対側の道に渡り、地下鉄「田辺駅」方向に進んだところに隠れるような感じで碑が建っていました。 「田辺駅」南約200mということになります。








碑文です↓

模擬原子爆弾投下跡地
1945年7月26日9時26分広島・長崎への原爆投下を想定してこの田辺の地に模擬原爆が投下され、 村田繁太郎(当時55歳)他6名が死亡、多数の方が罹災しました。ここに犠牲者の冥福をお祈りし、 戦争のない世界の実現と全人類の共存と繁栄を願い、碑を建立します。

2001年3月吉日
建立者
 大阪市中央区谷町6丁目9番18号
       株式会社 村田商会
       代表取締役 村田 保春(84歳)








長崎原爆(プルトニウム爆弾)と同じ形、重さの模擬原爆のようです。 長崎の資料館で実物大のものを見たことがあります。 長崎のものは、ファットマンというニックネームでした。


直径1.52m、長さ3.25m、重さ1万ポンド、カボチャのような形と いうのでパンプキン爆弾と呼ばれていたそうです。 通常爆弾の中では最大の1万ポンド(5トン)爆弾でした。


全国各地に投下された模擬爆弾のことが気になります。どこに投下されたのか?なぜ投下されたのか? また、リトルボーイとファットマンに関することをさらに調べてみました。失われた多くの命を考えると、 人類史上初めての原子爆弾が余りにも小さいことに驚いてしまいます。ひたすら、無念というほかありません。