池田の公園と花菖蒲観賞  2022年6月4日

関西w (12km)

地下鉄「東梅田」駅からJR「大阪」駅まで歩くのが面倒なとき、地下鉄「南森町」駅‥徒歩‥JR「大阪天満宮」駅から東西線を利用します。そのほうが乗り換えが楽になるからです。

28℃まで上がるという予報でしたが、どうだったんでしょうか? 池田城跡公園に向かう坂道をぐいぐい登ったことが印象的でした。


東西線或いは学研都市線への乗り換え駅なり。




北伊丹駅に近い県立西猪名公園が集合場所でした。伊丹空港を飛び立った飛行機が左旋回するのがよく分かる場所なり。



伊丹市→池田市→川西市




エア フロント オアシス 下河原

離陸する飛行機写真をゲットできる所です。何度も訪れています。


飛行機のモニュメント




飛行機A




飛行機A




飛行機B




水月公園(池田市)の花菖蒲まつり




花菖蒲 1 (初霜)




花菖蒲 2(長井小紫)




花菖蒲 3(日の出鶴)




花菖蒲 4(春の小川)




花菖蒲 5(向こう側=小町娘)




池田城跡公園:展望休憩舎と池

残念ながら、ここの花菖蒲園は写す時間がありませんでした。



池田 呉服座(くれはざ)

池田呉服座 - 大衆演劇場ガイドによると「もともとは藤山寛美などが舞台に立った芝居小屋「呉服座」でしたが、2010年11月に大衆演芸場として生まれ変わりました。」



猪名川に架かる呉服橋(巡礼橋)

西国三十三所の勝尾寺(23番)と中山寺(24番)を繋ぐ巡礼街道のための橋なり。



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千里は緑がいっぱい!  2022年6月8日

リーダーと歩こう!楽しいウォーキング 10km
+おまけ(4km)

思いっ切り暑くはないんだけれど、まさか、涼しいわけではありません。


阪急千里線「南千里」駅すぐの千里南公園が集合場所でした。お馴染みの場所なり。



初めの休憩場所は千里緑地

プラタナスの緑に加え、すくすくと伸びているのが、憎らしいところなり。長居公園通では電線の高さで止められています。



千里緑地

新緑は過ぎましたが、緑の洪水と言っていいでしょうか。



2番目の休憩場所は山田西公園




昼食休憩の場所は千里南公園の北側:吹田のクワイ(慈姑) はサトイモ風。めでたいものだそうですが、わたしは食べません。



中国自動車道から北に広がる千里中央公園の展望台は使用不可なるも、(展望台の下からでも)万博公園の太陽の塔やエキスポシティの観覧車は見えます。急な坂道を登ってきただけのことはあります。



展望台に登れたら、その値打ちが分かることでしょう。




左回りにまわったあと、北に向かいます。初めての道です。



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梅雨入り宣言の翌日  2022年6月15日

リーダーと歩こう!楽しいウォーキング
「堺環濠と御陵・史跡散策」 11km+おまけ(4km)

昨日梅雨入り宣言、今日も午前中は雨という予報でした。ただし、予報が変わって午前 9時頃には雨が止みそうだったので、勇んて出かけることになりました。

今日のコースはほとんど何度も歩いているところでしたが、しばしば雨絡みで歩けないことが多くなるのを避けたいと思ったので望むところでした。参加者はいつもより少なく、69人でした。微妙な天気のせいということにしておきましょう。


堺市駅から長尾街道を西へ歩きましたが、その途中で方違神社から反正天皇陵を一周したわけです。



府立泉陽高等学校




北花田口、ザビエル公園が長尾街道の終点(始点)です。




お洒落な遊具なり。




内川あるいは土居川なる環濠跡




吾妻橋の向こうに、南海「堺」駅あり。




橋の名前は不明




さかい利晶の杜

たいていは休憩場所となるところですが、少し前に個人的に訪問したばかりなのでカットしました。



御陵前から大仙公園に向かう長い長い道を歩きます。いつものことですから慣れてはいます。



旧堺の南端の土居川沿いを東に歩きましたが、そろそろ南宗寺かなと思う辺りかも。



大仙公園の平和塔前広場が昼食休憩の場所でした。ここまで7.4kmだそうで、残りわずかです。理想的なプランだと思いました。



仁徳天皇陵・拝所まで来ました。この濠は一番外側の濠です。



無事に地元まで戻って参りました。雨が止んだあとの渦紫陽花たちなり。



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郡山城から語り部の里へ  2022年6月22日

【関西w】 10km+おまけ(2km) 郡山を訪ねるのは初めてです。お城も金魚も知らないままでした。雨上がりながら、にわか雨の心配もあり、傘の用意は欠かせないものでした。 源九郎稲荷神社を出て稗田環濠集落に向かったところで、雨が降り出しました。すぐに止んだので助かりました。 そのあと、昼食後に「首掛け扇風機」が電源切れとなり、いきなり暑くなって困りました。


郡山城天守台の石垣を復旧するために、大きな石を修羅で運んだそうです。「修羅と石」展示場が整備されました。



金魚ストリートの看板が目立つが、肝心の金魚の姿はなし。




カラーのマンホール




追手門から入りました。よくみると、豊臣家の紋章がありました。水野、松平、本多に続けて柳沢と徳川方の有力大名が続いたのに、何で?

秀吉の弟にして、力量と人望があり、秀吉の信頼も厚く、彼が生きておれば豊臣家の天下は守られたはず。。豊臣秀長が (大和、和泉、紀伊を治める) 100万石の大名として、郡山城の追手門を造った人だったようです。



天守台石垣の修理と展望施設の整備が行われたのは2013年度から2016年度の4か年にわたり、2017年3月に完成しました。



展望施設ですが、空は雲ばかりで遠望は無理です。




真下の柳沢神社はくっきり見えました。




郡山城主だった豊臣秀長が、郡山城の鎮守のために、源九郎稲荷神社を建てました。源九郎とは、「義経千本桜」に出てくる源九郎狐のこと。



神社で目に付いたのは紫陽花なり。




同じく、目に付いた紫陽花なり。




古事記は稗田阿礼が暗誦していた話を太安万呂が書き記したもの。稗田氏族が住んでいたことから稗田の地名が残ったようです。

中世争乱の世に自衛を図り、水利の便も兼ねたのが (稗田) 環濠集落です。



賣太(めた)神社の主祭神に稗田阿礼がいます。記憶力、理解力に優れた知恵の神様、学問の神様に当たるようです。語り部とは、稗田阿礼のこと。






ゴールがJR桜井線 (万葉まほろば線) の帯解 (おびとけ) 駅で、1時間に1本しか走らなくて、約30分待たされたのはなにげに辛いものでした。