野崎観音と深北緑地 2021年11月24日 リーダーと歩こう 楽しいウオーキング 「野崎観音と深北緑地」10q+おまけ(2q) 今年初めのころに東高野街道を北から南に歩いた際と同じ道を南から歩いた次第です。正式名称は「福聚山 慈眼寺」と言いますが、江戸時代に野崎参りが流行ったことから「野崎観音」と呼ぶ方が分かりやすくなっています。随分前に行ったことがあり、今日が2回目だと思います。深北緑地は別のウオークで何度か昼食場所になって来たところですが、今日は昼食後に訪れました。 正面にある丸い建物には記憶があります。なにかの折りに、講演を聴きに行ったことがあるような‥。 古堤街道のことが少し分かったような気になっています。 京都だけではなく、大阪のあちこちにも山茶花が咲いているようです。山茶花のあるところを訪れていないだけでした。 赤い色をした道は、東高野街道です。国道から離れたところで、安心して歩くことができます。 野崎観音 心中した「お染久松の塚」ですが、近松半二作「新版歌祭文」〜野崎村の段〜では心中することなく、二人は恋を遂げることになります。身を引くことで、泣き崩れたのは野崎村のお光(おみつ)ということになります。 ここから階段を上るのは大変です。われわれはわき道を通って上り、この階段を下りてきました。 野崎まいり公園前にある東高野街道の説明板には見覚えあり。過去に2回は見ているはずです。 北条公園で昼食休憩。向こうの山が飯盛山に違いありません。 たぶん、個人で作った飯森城と思われます。昼間ですが、イルミネーションのサービスが小憎いところです。 深北緑池(ふかきたりょくち) その昔、深野池(ふこのいけ、ふこうのいけ)があったところで、元は河内湾の一番奥まったところにあたるはずです。 石柵の間から撮りました。楠木正行(まさつら)公の墓。 ここから真っ直ぐ東にある四条畷神社は、四條畷の戦いで敗死した楠木正行を主祭神としている。父の楠木正成が大楠公(だいなんこう)と呼ばれるのに対して、嫡男の楠木正行は小楠公(しょうなんこう)と呼ばれています。 |
嵐山・嵯峨野 2021年11月21日 のびのび例会 嵐山・嵯峨野紅葉ウォーク 12km+おまけ(2km) 何度も歩いた道です。これまで重宝してきた私的な公園(広場)が、コロナ絡みで2年連続利用できませんでした。仕方なく、こじんまりした広沢公園を利用しています。困るのは男女ともトイレが1つずつしかないことです。とりわけ男性の方が長い行列をつくることに。。 説明&準備運動のあとスタートします。西に真っ直ぐ進むと嵐山ですが、われわれは右(北)に向かいました。 「千代の古道」は平安時代に嵯峨天皇が京の都から大覚寺に通った道ということが分かりましたが、その道については諸説あるようです。この和歌を読み取ろうとしましたが、結局、無理でした。ネットで探しても、出てきませんでした。 われわれの集団が、公園を独り占めした次第です。(これからお弁当タイムになります) 實に心地よく、田園の中を歩きます。例年感じることですが、この辺りでは既に山茶花が咲いています。(大阪はまだですね) 嵯峨野に入りました。(個人的に) 二尊院の入口まで行って、写真を撮ったはずですが、その痕跡が残っていませんでした。 その代わりに、落柿舎の手前辺りでWC休憩したときに少し戻って紅葉をゲットしました。 今年も常寂光寺に入ることはなく、お気に入りの紅葉にはお目見えできず。。 竹林の道の横を素通りしました。この辺り、人がうようよしていました。 二つ目の展望台からの眺め。保津川の紅葉もなかなかのものでございます。 桂川 (保津川) まで降りる道の紅葉も好きです。赤、黄、緑が混じる方がいいと思います。ただし、上手く写っているかどうかは保証できません。 天龍寺手前で本隊と別れて、渡月橋を渡りました。山の紅葉より、人出の多さに参りました。 阪急で帰阪します。桂川駅、淡路駅、南森町駅を経由して帰るのが定番になっています。 |
高槻〜茨木の公園巡り 2021年11月17日 すいよう例会 かつて知りたる道でした。街中ではあるけれど、芥川や安威川はもちろんのこと、見知らぬ小さな川や跡地を巡ったような次第です。 しかし、13kmって長いなぁ‥と感じました。パワー不足に陥っています。 13km+おまけ(4km) 皇帝ダリアは他を圧倒しています。わが家の近所から消え去ったので、余計に好印象を持っています。 玉川の里にある芭蕉の句碑。ゴテゴテと飾ってあるのが気に入らない。当地で詠んだのは↓ 昼食後に訪れた若園公園の秋バラ。元々秋バラは好きではありませんが、1つだけ選びました。なお、バラの名前は↓ ( For Your Home ) |
2021年11月17日 |