読書ノート 2022

 
風烈廻り与力 青柳剣一郎シリーズ(小杉健治、祥伝社文庫)続
 「恩がえし 55」
 「 隠し絵 56」
 「一目惚れ 57」
 「約束の月(上)58」
 「約束の月(下)59」
 「ひたむきに 60」

長編時代小説 / 吉原裏同心シリーズ(佐伯泰英、光文社文庫)続
 「流離 吉原裏同心 (一)」
 「足抜 吉原裏同心 (二)」
 「見番 吉原裏同心(三)」
 「清掻 吉原裏同心(四)」
 「初花 吉原裏同心(五)」
 「遣手 吉原裏同心(六)」
 「枕絵 吉原裏同心(七)」
 「炎上 吉原裏同心(八)」
 「仮宅 吉原裏同心(九)」
 「沽券 吉原裏同心 (十)」
 「異館 吉原裏同心(十一)」
 「再建 吉原裏同心(十二)」
 「布石 吉原裏同心(十三)」
 「決着 吉原裏同心(十四)」
 「愛憎 吉原裏同心(十五)」
 「仇討 吉原裏同心(十六)」
 「夜桜 吉原裏同心(十七)」
 「無宿 吉原裏同心(十八)」
 「未決 吉原裏同心(十九)」
 「髪結 吉原裏同心(二十)」
 「遺文 吉原裏同心(二十一)」
 「夢幻 吉原裏同心(二十二)」
 「狐舞 吉原裏同心(二十三)」
 「始末 吉原裏同心(二十四)」
 「流鶯 吉原裏同心(二十五)」

 「旅立ちぬ : 吉原裏同心抄(一) (光文社時代小説文庫) 」26
 「浅き夢みし: 吉原裏同心抄(二) (光文社時代小説文庫) 」27
 「秋霖やまず: 吉原裏同心抄(三) (光文社時代小説文庫) 」28
 「木枯らしの: 吉原裏同心抄(四) (光文社時代小説文庫) 」29
 「夢を釣る : 吉原裏同心抄(五) (光文社時代小説文庫) 」30
 「春淡し  : 吉原裏同心抄(六) (光文社時代小説文庫) 」31
 「まよい道 : 新・吉原裏同心抄(一) (光文社時代小説文庫) 」32
 「赤 い 雨 : 新・吉原裏同心抄(二) (光文社時代小説文庫) 」33
 「乱癒えず : 新・吉原裏同心抄(三) (光文社時代小説文庫) 」34
 「祇 園 会 : 新・吉原裏同心抄(四) (光文社時代小説文庫) 」35

 「影 の 人 吉原裏同心(三十六)」 (光文社文庫) 」36
 「独り立ち 吉原裏同心(三十七)」 (光文社文庫) 」37
 「一人二役 吉原裏同心(三十八)」 (光文社文庫) 」38


長編時代小説 / 居眠り磐音シリーズ決定版(佐伯泰英、文春文庫)続
 「陽炎ノ辻 (一)」
 「寒雷ノ坂 (二)」
 「花芒ノ海 (三)」
 「雪花ノ里 (四)」
 「龍天ノ門 (五)」
 「雨降ノ山 (六)」
 「狐火ノ杜 (七)」
 「朔楓ノ岸 (八)」
 「遠霞ノ峠 (九)」
 「朝虹ノ島 (十)」
 「無月ノ橋 (十一)」
 「探梅ノ家 (十二)」
 「残花ノ庭 (十三)」
 「夏燕ノ道 (十四)」
 「霧雨ノ町 (十五)」
 「蛍火ノ宿 (十六)」
 「紅椿ノ谷 (十七)」
 「捨離ノ川 (十八)」
 「梅雨ノ蝶 (十九)」
 「野分ノ灘 (二十)」



 「氏真、寂たり」(秋山香乃、徳間文庫)

 「美少女一番乗り」(山本周五郎、角川文庫)
 「春いくたび」(山本周五郎、角川文庫)
 「日本婦道記」(山本周五郎、新潮文庫)
 「マスカレード・ゲーム」(東野圭吾、集英社)
 「ふるさと銀河線」(高田郁 双葉文庫)
 「聖女の救済」(東野圭吾、文春文庫)
 「マリアビートル」(伊坂幸太郎、角川文庫)
 「流浪の月」(凪良ゆう、創元文芸文庫)

 「新疆ウイグル自治区」(熊倉潤、中公新書)
 
 「大坂城」(北川央、新潮新書)
 「大阪の教科書 地元再発見シリーズ」(情報メディア編集部 JTBパブリッシング)
 「大阪のことば学」(尾上圭介、岩波現代文庫)
 「大阪の文化と笑い」(井上宏、関西大学出版部)
 「上方演芸大全」(大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)編 創元社)


 
 


秋山香乃「氏真、寂たり」(徳間文庫)

桶狭間の戦いで留守将として駿府にとどまっていた今川義元の嫡男・氏真は、 父の死と自軍の敗退を知る。敵の織田信長と同盟を結んだ徳川家康の裏切り、 国人領主たちの離反。ついに武田、徳川の駿河侵攻により今川家は滅亡、 氏真は流転の日々を送る。六年後、家康の仲介で武田との戦に加わるため、 氏真は仇敵信長に対峙する――。(裏表紙・記事)

歴史学者・小和田哲男氏(静岡大学教授)推薦! 「戦国史を見直す意欲的な作品が生まれた」
戦国一の愚将≠ニ称されても、したたかに乱世を生き抜く道を選んだ今川氏真。 その生涯を新視点で描いた歴史長篇

氏真は、権力者の前に立つ敗者ではなく、運命の変転に翻弄されながらも、 自ら封印した「天下静謐」という夢、しかもそれは図らずも父義元とも共有していた 夢に向けて、懸命に生き抜こうとする挑戦者として描かれることになった。 作者の筆の冴えと、ストーリーテラーとしての巧みさに、読者は大きく 心を揺さぶられるに違いない。
――歴史学者・平山優氏(解説より)



 最後には、今川家(氏真の子孫)は将軍家の旗本となる。
 ・氏真の次男高久が高家品川家を興す
 ・高久の次男が興す分家旗本品川家
 ・高家今川家(今川の旧領近江国野洲郡の五百石分を知行地とする)




小田原北条氏、滅びず ← 氏規の功績による

令和元年度歴史文化セミナー簡修館
第1回:9月7日(土)橋上 猛雄 氏(大阪狭山市教育委員会) 「 狭山藩による武家文化と北条氏朝」  

■小田原城開城から高野山追放

 狭山藩北条氏の先祖は、天正 18 年(1590)に 豊臣秀吉によって居城小田原城を攻められ、3 カ月 に及ぶ攻防の末敗北し、開城した小田原北条氏であ る。4 代氏政は切腹、5 代氏直は高野山へ追放され た。この時、4 代氏政の弟である氏規は、氏直同様 高野山での謹慎処分となったが、後に秀吉から許さ れ、知行を得ることで後の狭山藩の礎を築くことになる。 氏規は、小田原北条氏にあっては、領地の西側の 要である韮山城を守り、小田原攻撃においてもその猛攻に耐え、徳川家康や豊臣秀吉との交渉役を務め、 両者からも認められていた人物である。そして秀吉の旗本として取り立てられ、河内国丹南郡に 2千石をあてがわれ、初めて南河内地域と北条氏が結び ついた。そして以降も秀吉に従い、肥前名護屋城にも出陣している。

■関ヶ原の戦い、そして大名昇格

 氏規の子氏盛は、小田原北条 5 代氏直の養子となり、6代を継ぐ 宿命であったが、戦国時代の終わ りを告げる小田原開城によって、 運命が一転した。秀吉による天下統一がなされ、氏盛は父氏規、養父氏直とともに高野山に入った。氏直は秀吉から大名復帰を許されたが、急死したため、氏盛は氏直の遺領のうち4千石を相続し、 父氏規が慶長5年(1600)に没し、父の遺領7千石も相続 して、1 万 1千石の大名に昇格した。  氏盛は家康に従い、下野小山へ従軍し、関ヶ原の戦いでは、 家康側近の西尾吉次に属し、東軍の家康本陣を守った。氏盛 は慶長 13 年(1608)に大坂久宝寺町の屋敷で亡くなった。

■大坂落城と河内狭山への陣屋構築

 8 歳 で 家督 を 継いだ 2代 氏信は、 慶 長20年 (1615)5月の大坂夏の陣の際には 15 歳であり、 江戸城警備中であった。夏の陣後に初めて氏信は狭山の地に入った。しかし陣屋がまだなかったので、 池尻村の孫左衛門のもとに仮住いした。そして翌元和 2年(1616)から狭山(池尻村)で陣屋の構築 を始めた。これによって、名実ともに狭山藩が誕生する。

 
 


「大阪のことば学」(尾上圭介、岩波現代文庫)

第一章 なんなと言わな、おもしろない‥「みんな親身になって心配してくれて、ありがたい思てます、はい。二日目には京都と大阪から親類がとんで来てくれて、『今何が一番欲しい』ゆうて尋ねるから、『家が欲しい』言うたら、『そら、わしらも欲しい』て‥‥」

第二章 せっかくものを言うてくれてるのやから‥「黒のカーフの札入れで、マチがなくて、カードが二枚ほどはいって、キラキラした金具がなんにもついていないやつで、ごく薄くてやわらかあい、手ざわりのええのん、無いやろか」「惜しいなあ、きのうまであってん」

第三章 ネンが足らんは念が足らん‥「これぐらいの大きさのベッコウのくしおくれ」「おまへん」→ 「そういう時は『おまへんねん』と『ねん』をつけなはれ。『ことばにネンが足らんのは気持ちに念が足らんのや』と教えられると、なるほどそうかと思う。」

第四章 言うて、言うてや、言うてんか

第五章 理づめで動くが理くつ言いはきらい

第六章 よう言わんわ‥「君、結婚したんやてな、おめでとう」「いや、ありがとう」「ところで、君、ポケットに大きなふろしき入れて、何のつもりや」「今日、あんたに会うから、結婚祝いの置き時計なんかくれるやろ思て、それをこのふろしきで包んで帰るねん」「よう言わんわ」

第七章 ぼちぼち行こか・・「そろそろはじめようか」にちかい。今までは黙ってやらせておいたが、もういいだろう、このへんでそろそろ本気を出そうかという意味であり、余裕を持った者がようやく腰を上げるという風情である。

第八章 待ってられへんがな




「大阪の文化と笑い」(井上宏、関西大学出版部)

 赤ちゃんが最初に示す笑顔を私たちは、エンジェル・スマイルと呼んでいます。すやすやと眠っているときに、何とも言えない微笑がフーッと浮かんでは、スーッと 消えて、また暫くすると見られるんです。生後何日目に見られるのかは、個人差があると思います。

 私は、自分の孫が生まれたときに、確かめてみたく思って、と言ってもじっとついていたわけではありませんが、四日目に見ることができました。























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