北九州の旅「歴史を訪ねて」 2005年3月


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Special version




平成13年4月に開園したばかりの、憧れの吉野ヶ里遺跡です。 
今回の「たび」の第一の目的地はここだったのですよ。

弥生時代の巨大遺跡で

「魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の集落と同じつくり」

ということらしいです。
あはは‥なんか、パンフレットの表現が後退しているようです。

40haを超す国内最大クラスの環濠集落に成長したわけで
「クニ」の中心集落に違いないですね。


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吉野ヶ里遺跡公園に入ったところ



東背振インターから南に行ったところに吉野ヶ里遺跡公園があります。 正面から入ったところにある「天の浮橋」から見た「歴史公園センター」の建物です。



利用したのはわれわれ2人だけでした



一度入ってから引き返したわけです。  どうせならガイドさんの説明は受けたいですね。 ガイドさんは大阪のUSJに行ったばかりと言っていました。 「わたしは未だ行っていません‥」



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南内郭



4月1日に公開されて、いろいろな催しもあるそうです。  あはは‥あと2日早めてくれたらな‥とつくづく思いました。



南内郭の内部



ならば、覗く他ないでしょう。。  ここは高い階層の人々の居住区ということです。



北内郭



大型の祭殿を持つ首長の居住や祭祀の場と考えられているそうです。 



内壕



内壕が二重に設けられています。 



竪穴住居



地面を掘り下げて作った半地下式の住居です。  これまで見たことのある、どの竪穴よりも 床の位置が深いと感じました。



高床住居



穀物倉庫も同じ形です。
 


物見櫓



敵を見張るための櫓が建っています。  戦いのある時代のシンボルのようです。



主祭殿



神聖なる場所で、まつりごとが行われていたわけです。 



甕棺



棺おけを2つくっつける格好になっています。  それでも屈葬になっていることが多いようです。 かなり大きいと思ったのですが‥。



外壕



総延長が2.5km、囲んである範囲は40ha、 野球のグランドが30面もとれる広大なもの。 さらに城柵で防御されています。 



銅鉾と銅か



青銅器だけでは使い方がわかりにくいと思っていましたから  何の変哲もないようですが、これはとても貴重です。



銅鏡のうら・おもて



あはは‥裏ばかりではなくて、表も見たいと思ったのは  わたしだけでしょうか?



頭部のない人骨(展示室)



これは写真を展示したもので、 本物は長崎大学にあるそうです。 がっかりです。 「吉野ヶ里で管理すべきです」




番外編