九年庵特別公開と秋彩九州くつろぎの旅3日間

2014年11月18日(火)

筑後国 柳川に藩庁をおいた外様藩。藩主は田中吉政32万5000石(筑後一国)でしたが、2代で断絶となり、1620年より立花宗茂10万9000石に変わりました。 筑後中部・北部の21万石が久留米藩となったわけです。立花氏は(以後明治維新まで)11代にわたって支配しました。 「水郷柳川」のイメージが狂いました。「川下り」の場所は、町に張り巡らされたクリークというよりは、フツーにある「城の掘割」でした。 名勝・立花氏庭園(御花、松涛園)近くに「私立柳川高校」があり、テニスの松岡修造や野球の真弓明信・若菜嘉晴の出身校であることを教えてもらいました。

秋月といえば、「秋月の乱」(不平士族の反乱)を思い出してしまうのですが、黒田家5万石の城下町であったことを知りました。 長政の跡を継いで福岡藩主となったのが忠之、その弟、長興が(長政の遺言により)秋月藩5万石(支藩)を分知されたようです。 秋月城跡のほとんどは、秋月中学校の敷地になっています。 この前の台風のせいで「桜の名所 杉の馬場」の桜が散ってしまったことで、紅葉(桜)が台無しになったとのことでしたが、紅葉の少なさにがっかりしたのは確かです。




西洋館(明治43年に立花家の迎賓館として建てられた)





松濤園(座敷からの眺望を楽しむ観賞式の庭園)





うなぎのせいろ蒸し(御花、レストラン対月館):確かに甘すぎた





掘割めぐり(川下り)1





掘割めぐり(川下り)2





掘割めぐり(川下り)3





掘割めぐり(川下り)4





黒門(「筑前の小京都」秋月)





垂裕神社まで登る(「筑前の小京都」秋月)





黒門下に紅葉が集まる(「筑前の小京都」秋月)



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