2009.9.28

愛媛県の東部を「東予」といいます。その中心都市である新居浜市を初めて訪れました。 新居浜といえば、住友の企業城下町と呼ばれ、その出発点は別子銅山の開発からです。

産業遺産の町 新居浜 ECOLOGY PARK 「マイントピア別子」 の  端出場(はでば)ゾーン と  東平(とうなる)ゾーン へ 行ってきました。




かつて日本一の銅鉱山であった別子銅山も1968(昭和43)年には廃坑となりました。 その歴史は1691(元禄4)年の住友家による開抗に始まります。世界でもまれに見る 大鉱床は海抜1,300mの山岳部から海面下1,000mに至りました。江戸時代の長崎貿易の決済用に供給され、 明治以降は住友グループの礎となりました。







「端出場(はでば)」ゾーンにある「マイントピア本館」です。 1F:お土産・売店、2F:レストラン、3F:温泉があり、また鉱山鉄道が復活し、その駅があります。






「はでば駅」ですね。添乗員さんはお若いです。






蒸気機関車「別子1号」を一回り小さくして復元しました。風鈴がとても五月蠅く感じられました。 時速10km、5分で「うちよけ駅」に到着します。






橋を渡った向こう側にあるのが「観光坑道」です。旧火薬庫を観光用に整備したようです。






女性でも、30kgの鉱石を背負ったとのことで、その体験ができます。わたしは遠慮しました。






第四通洞。まっすぐ伸びて、ほんものの鉱床まで繋がっています。






「端出場(はでば)」ゾーンから「東平(とうなる)」ゾーンへはマイクロバス・観光タクシーを利用して行きます。 山を登っていく道は幅が狭く、普通の観光バスが通ることはできません。「東平(とうなる)」には、 伝承と未来の鉱山遊トピア あかがねの里というキャッチフレーズがついていました。

また、 天空の歴史遺産とか、東洋のマチュピチュとも宣伝していましたね。 標高750m前後の山の中に、(T5年〜S5年の間)別子銅山の採鉱本部が置かれ、約3,800人の銅山関係者とその家族が住んだ山の町 で、小学校や中学校もありました。






狭い土地を有効に利用するために、山の斜面を階段状に区切っています。下から2段目が東平選鉱場、3段目が東平貯鉱庫です。 そのまた上の3段目が駐車場、東平歴史資料館のある広場です。 こんな風に見上げるところが、なにはともあれ、マチュピチュですよね?






下の1段目が東平索道停車場の遺構です。索道とは「ロープウエー」のことです。