のんびり温泉ミステリー 2015年12月4日 こんなところに来ました。きっちり当たったところあり、ちょっとガッカリしたところもあり。明日の朝は自分で選べるわけで、予定にはないウォークに決めました。天候がおかしくならないことを祈ります。 「のんびり温泉ミステリー2日間」のバスツアーでした。温泉があって、のんびりできれば、本当に行き先はどこでもいいんです。 ![]() 京都東ICで降りて、湖西道路を通り、京都に向かう道に入りました。謎です。 ![]() いつの間にか鯖街道に入りました。若狭に向かう道だと分かりました。とすると、行くところの予測が付き、それは当たりました。 ![]() 熊川宿です。その昔には、若狭と近江の境にある宿場でした。2015年に日本遺産に認定された名所、重要伝統的建造物群保存地区などというと、山ほどあるんですが、近場で想像してみました。その通り、大当たりにびっくりした次第です。修復され、小ぎれいな街道になっています。右のお店が、若狭塗りの箸を買ったところなり。 ![]() 熊川陣屋跡には何も残っていませんでした。なお、正面のお店で買い物をしました。 ![]() 美方五湖近くの、とある寺を訪ねた際に撮ったものです。雪が降る前の最後のあがきなんでしょうね。 |
3つの中から1つを選択 2015年12月5日 朝から、こんな道を歩いたのは我々だけかと思いましたが、そうでもなく、気に入りました。 次に行ったところも我々だけでした。 いずれ、お知らせするかも? ![]() なーんだ、こんなところだったんだ‥と不満でしたが、実際に行ってみると、これまでと違う体験ができてよかったです。 松の匂いがぷーんとする並木道を歩きました。 ![]() ときどき、紅葉に出会うこともあります。 ![]() かくして、このあとオイル・サーディンを買うことになりました。実は、おくさんが買ってきたお土産になったこともあります。 とても美味でした。ついでですが、金太郎いわし、って聞いたことがあります。 ![]() お店によって値段が違います。若狭土産としてあちこちで売られていました。残念ながら、2番目に安いお店で買うことになりました。 ![]() パワースポットのある神社を訪ねた際に発見しました。その帰り‥回り道になりますが、元の道に戻って撮影しました。 「ひものみち」と勝手に名付けました。 |
ミステリーではなくなってしまいました 2015年12月5日![]() この橋(小天橋)は「回旋橋」です。船が通るときは、ぐるりと回転して、船の通行を優先します。 ![]() ![]() 次に行った観光場所も、われわれ夫婦だけで選んだ場所でした。赤レンガ倉庫を巡るというのもありましたが、近ごろ世界記憶遺産に選ばれたばかりの「舞鶴引揚記念館」に行くことにしました。なかなか見所があったし、個人が特定できるような資料を除けば撮影可能だったので、バシバシ撮ることができました。 ![]() ![]() 舞鶴に入港した船の出発地を示しています。ナオトカ(ソ連)からの引き揚げが最も多いことが分かります。 ![]() シベリア抑留にあった人たちが最も引き揚げが遅れたのですが、シベリアはとてつもなく広いところですが、そこだけではなかったようです。 ヨーロッパ=ロシア、中央アジアを含む全ソ連地域に収容され、それ故に墓地も広がっていることが分かります。 ![]() 予想通り、京都縦貫自動車道を通って帰りました。 途中立ち寄ったのが「京丹波市 味夢の里」でした。このあと、大山崎JCTから京滋バイパスに入り、第2京阪を通って、近畿、阪神高速とつなぐコースを辿りました。なかなかいい選択でした。 ソ連により厳寒のシベリアに送られた人たちの苦労を思うと、あの国(スターリン)のひどさを思います。無抵抗の捕虜を、シベリア開発のために過酷な労働を強いるのは国際法違反ですから。その中で命を失う人が山ほど出たことは許されることではありませんが、意識的に命を奪われることはなかったのが救いでした。 それを思うと、戦時下でありながらも、虫けらのごとく虐殺された南京の人たちのことが思い浮かんでなりませんでした。同じく世界記憶遺産になった「南京大虐殺」の方が断然ひどかったと思われてなりません。たとえ武器を捨て、抵抗することがなくなったとしても、もと兵士だったというだけで引き立てられ、疑わしいからと言って民間人までが無秩序に犠牲になった事件です。女性はさらにひどい仕打ちを受けました。捕虜は要らない、皆殺しにせよという軍司令部の指導の下、虫けらのように殺されました。およそ人間のやることではありません。 戦争中だから多少の犠牲は仕方ないとか、そもそも虐殺などなかった、中国のでっち上げだとか、30万人も殺していないから納得できないとか、今後ユネスコに分担金を払うななど、ユネスコに対する日本政府の横柄な態度には目に余るものがあります。ここのところ、日本政府はごく一部の御用学者の口を借りて、平気で歴史の修正をしています。東京裁判は認められないとか、南京事件は中国政府のプロパガンダ(宣伝)だから認められないというのが、その最たるものです。 実は、当時の軍部の上層部でさえ、南京における日本軍のあまりのひどさに、困ってしまったものです。これはやばいと思い、上層部の首のすげ替えをして(責任者は退役させる、余所へ移動させるなど)隠そうとした次第です。当然のごとく、この事件の詳細は国民には隠されましたし、東京裁判で初めて知ったというのが実情でした。今なお、日本人は意識的に事実を知ろうとしていないような気がします。それをあおっているのが現在の日本政府とそれに追随する輩です。 中国の指導者が日本たたきの材料として「南京大虐殺」を利用するのはけしからん‥としても、事実は事実として認めなければなりません。中国及び日本のまともな学者さんが協力して、この事件の解明を行うことは今後の課題だと思います。日本の軍部が持つ資料も全てが公開されてしかるべきだと思います。 かくいうわたしも勉強し始めたのはごく最近のことです。ふつーの学者さんが書いたものを2冊ほど読んでみた次第です。 |