こっぽり(おこぼ)の音カランコロン

〜木屋町、先斗町(ぽんとちょう)から祇園(ぎおん)新橋へ〜

(関西あそ歩) 2010年11月8日



土佐藩邸跡:木屋町通にあります。藩邸跡は旧立誠小学校となり、それも閉鎖された現在は、 いろいろな催しに利用されているようです。





高瀬川:慶長16(1611)年に完成した運河で、水深30cm、幅8m程度の非常に浅い川でした。 大阪−伏見−京を舟で結ぶ輸送路として活躍しましたが、大正9(120)年に廃止されました。





角倉了以翁顕彰碑:朱印船貿易でも有名な豪商で、日本国内の河川開発にも力を注ぎました。 豊臣秀頼の命で方広寺の大仏殿造営のために鴨川の改修工事を行い、その後、高瀬川も開削しました。





土佐稲荷神社:土佐藩邸のすぐそばにこの神社あり、というところは大阪と同じです。





近江屋跡:河原町通にある坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地です。現在はコンビニが建っています。





坂本龍馬寓居の址。享保6年より280年材木商として現存しています。 龍馬は酢屋の二階の一室で寝泊まりし、海援隊京都本部を置いたとのこと。海援隊メンバーの「その後」が紹介されています。





先斗町歌舞練場:先斗町の「ポント」とは、「先」を意味するポルトガル語のPONTまたは英語のPOINTからきたもの と言われています。





瑞泉寺:高野山で自害させられた豊臣秀次の首と、三条河原で処刑させられた秀次の幼児、妻妾ら39人の遺骸が葬られています。 角倉了以の実弟がかつて秀次に仕え、その弟の一周忌に角倉了以によって建立されました。





池田屋騒動の址:新撰組が勤王の志士を襲って多くの犠牲者が出た事件で有名なところです。 三条小橋商店街では、7月15日を「殉難者供養の日」と定めて、倒幕派12名、新撰組・佐幕派3名の別なく、供養しています。





大和大路通から西を眺めたところに、紅葉した桜並木が見えました。





歌人吉田勇の歌碑:白川南道は桜の名所でも有名です。春には桜のライトアップも行われ、隠れた名所のようです。 「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる」となっています。所詮は庶民には関係のないものです。





説明の立て札:われわれがここを訪ねたその日(11月8日)の午前中に「かにかく祭」があり、芸舞妓らが吉井の歌碑の前に白菊の花を手向けたとの (新聞)記事がありました。それによると、碑には「勇」としか書いていないので、近藤勇と勘違いする人もいるので、京都市はこの歌が 詠まれてちょうど100年になることにあわせて、説明の立て札を設けたそうです。





祇園新橋通:この辺り一帯は「伝統的建造物群保存地区」に指定されています。





辰巳大明神:サスペンスの舞台として、よく使われているそうです。芸事の神様として、舞妓さんたちの信仰を集めています。





白川巽橋からみた白川とその両岸です。





巽橋を渡った小路の犬矢来(犬除け)です。竹を組んだ立派なものです。





花見小路通:四条通からの入口付近です。左側の赤ぽい建物が「一力亭」です。





仲源寺・目疾(めやみ)地蔵:四条通。目が悪いので、とりあえず賽銭を入れ、お祈りしました。





出雲の阿国像:ここで解散しました。