文芸の郷にある「安土城天主 信長の館」内の画像がUP出来ないので、次に移動したところの画像を紹介します。








左側がJR安土駅の東西を結ぶ地下道の入口です。 上り・下りのためのケーブルも完備してあります。わたしたちは階段を利用しました。 右側が、目的の「安土町 城郭資料館」です。 駅の東側は人通りも少なく、ひっそりとしていました。 それは望むところです。







安土城1/20のひな型。城全体が2つに分かれて、内部を見ることが出来ます。 中央部の吹き抜けがとてもユニークです。







屏風絵風陶板壁画(安土南蛮図)のうち「リスボン・ローマの図」。 画面中央がリスボン市街で、左上がローマに向かう少年使節一行です。







「リスボン・ローマの図」の一部です。 病気で倒れた中浦ジュリアンを除く原マルチノ・伊藤マンショ・千々石ミゲルの3人が ローマ法王グレゴリオ13世に謁見しているところです。







JR安土駅です。雨が降っています。 何もない田舎風の駅で、新快速などは止まりません。







駅前にある織田信長像です。 決して、屋根の上に立っているわけではありません。







ちょっと角度を変えてみました。 なお、この像は安土築城の指揮をとる織田信長像です。




本能寺の変のときに安土城は焼失し、やがて、廃城となってしまいました。 廃城となるということは、武家が去り、場合によっては、商人まで消えてしまいます。 あっという間に、城下町安土は寂れてしまいました。

代わりに、すぐ隣の近江八幡が、豊臣秀次の城下町として栄えます。 その際、楽市楽座などで有名な安土の商人は近江八幡に引っ越しを命じられたようです。

やがて、秀次の死とともに(近江八幡の)八幡城も廃城となったようですが、 この町にとどまった商人たちは、近江商人の名で全国的に有名になるくらいに奮闘しました。 町の盛衰を握っているのは、商人たちということがよくわかりますね。