夕張(炭鉱から観光へ)


恥ずかしながら、初めてナビを使った。 とても便利ではあるが、しばしば無視をした。 わざとではないと思うが、回り道というか、遠回りをするわけで、 これは許せないと思ったからだ。 何でも便利だからといって、信用するものではないといういい例だね。

北海道は道が広く、車も少ないので、快適に走ることができた。 誰もが、結構、スピードを出しているので、事故が多いというのも頷ける話である。 この時期はトンボが多いせいか、高速道路でも車に向かって激突するトンボが異常に多かった。 合掌。。




今回の旅行で必ず行ってみたかったところが、夕張である。 ツアーからはたいてい外されているのが残念である。 「石炭の歴史村」へ行って炭鉱について学び、石炭を手に入れたかったのである。 夕張メロンの本場でもあるからね。

「夕張」に満足である。 駐車場を間違えたことや説明が長かったこともあったし、 「ゆうばりメロン城」へ行ったり、帰りの道路沿いのお店でメロンを買ったりで、予定以上の時間を使ってしまった。 ちなみに、日高経由で2時間半かかったわけで、もう少し早く富良野を出た方が良かったかもしれない。 結論としては、焦らず、ここでゆっくりすることをお薦めする。

元々、微妙に時間が余るので、一度も行ったことのない支笏湖へ向かうことに決めていた。 千歳インターに着いたときには、車の返却まで残り1時間20分ほどだったが、行けるところまで行ってみようと考えた。 実際、支笏湖に着いたときには余り時間が残っていなくて、簡単な昼食だけで湖の写真を撮ったあと、すぐに引き返した。 もっとゆっくりしたかったと思いましたとも。次の機会に再度訪れるということで、いいんじゃないかな。。




北海道夕張市の転換は、かつて「町づくりの手本」とさえ言われた。 しかし、バブル経済の崩壊とともに、過大な投資が市の財政に重くのしかかった。

私たちがこの町を訪れたのが2004年夏でした。われわれを含めて、観光客が多かったとはいえません。 少々不便とはいえ、夕張を北海道観光のメインの一つにしていただきたいです。 微々たるものに過ぎませんが、再建の手助けとなればいいな、と思います。


1888年 石炭の鉱脈を発見
1943年 市制施行。人口は約7万4千人
1960年 人口、最多の約11万7千人に
1962年 原油の輸入自由化。以降、炭坑の閉山相次ぐ
1979年 中田鉄治市長が無投票で初当選
1980年 石炭の歴史村、石炭博物館オープン
1981年 北炭夕張新鉱ガス突出事故で93人死亡
1982年 新鉱が閉山。夕張炭坑病院を市に移管
1985年 めろん城オープン。三菱南大夕張炭鉱事故で62人死亡
1990年 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭開始。南大夕張炭鉱(最後の炭鉱)閉山
2001年 郷愁の丘ミュージアム完成
2002年 松下興産がスキー場やホテル経営から撤退。市が買い取り
2003年 後藤健二市長が初当選。中田前市長が死去
2006年 後藤市長が財政再建団体移行を表明。7月末の人口は約1万3千人に








夕張・石炭の歴史村


 47

駐車場付近





 48

青い空





 49

「石炭博物館」入り口

見てさわって体験して学べる夕張オリジナルの博物館。





 50

炭塊 約1,5トン(寄贈 北炭夕張炭鉱)





 51

ドラムカッターがまわる

地下1000mのつもりだが、実際は地下20m。それでも、とても寒かった。





 52

「まっくら探検」

キャップランプを付けてホンモノの坑道を見学している。





 53

初めに見つけた炭層





 54

いただいた石炭

元々手に入れたいと思っていて、博物館で売っていたのだが
坑道を出たところ(生活博物館)には売っていなかったので、
専門の説明員に申し出たところ、タダでいただいたというわけ。