龍田古道part.2  2020年10月31日

日本遺産 龍田古道を歩こう part.2

JR河内堅上〜近鉄河内国分 4km

+おまけ (5km)


農道でありながら舗装された細い道にあった道標

右 ほうり (法隆寺)
左 し き (信貴山)



天皇が利用した竹原井離宮跡




本日のメインは青谷吊り橋(88m)を渡ること




気にせず、先頭を歩きました。




大和川を渡ったあと振り返る。




結構揺れますが、せっせと歩くことが肝心です。

吊り橋を渡ったところに「夏目茶屋の渡し」の案内版があり、江戸時代の大和街道の一部として、今の吊り橋がある場所に、かつて夏目茶屋の渡しと呼ばれた舟運があったようです。

聖武天皇のころに、大和川を渡らない別の道が利用されたことがあるとガイドさんが説明されました。ただし、近世’(江戸時代)には、大和川を渡る道がメインだったと説明されました。大和街道=亀の瀬越え奈良街道=龍田古道なり。




芝山があり、大和川は蛇行せざるを得なかったようです。




國分神社




拝殿:たまには参拝なし。




神社の上に松岳山古墳あり。長さ130mの立派な前方後円墳。4世紀後半のものです。



後円部に登りました。伊吹山より、はるかに楽チンです。



組み合せ型の長持形石棺が露出。蓋と底板は硬い花崗岩、側面は讃岐産の凝灰岩で造られています。隙間から中を覗いてみましたが、ただ土が埋まっているだけでした。

正式な調査で勾玉、管玉、ガラス小玉、銅鏃などが見つかっていますが、調査前にかなり盗掘されていたようです。



長尾街道と奈良街道の分岐点に道標あり。

左 たつ多
右 なら○○山

他は全く読めませんが、北面の一部がかろうじて読めたかな?



奈良街道(古代の龍田道、渋川道、のちには大和街道、大坂街道とも呼ばれた)に「駒つなぎ」(馬をつなぐ鉄環)あり。



「駒つなぎ」のあった古民家。