大阪あそ歩「守口」  2019年6月9日


京街道(旧淀川の堤防跡)をたどり、守口へ
〜かつての地形に思いをはせる(その2)〜

「守口」は2度目なり。今日もしっかり歩きました。午前中に5q、駅との往復等3q、あそ歩6qでいいかも。。




中高野街道のスタート地点としたところ





日吉公園の紫陽花





文禄堤に上がっていく道です。





いきなり「京街道」





守居橋(神社と同じ名前なり)




守口宿は「五十七次」

五十四次:伏見
五十五次:淀
五十六次:枚方
五十七次:守口
終点:高麗橋




文禄堤は秀吉の命令で造られたもの

毛利、吉川、小早川家が請け負い、完成しました。





本町橋(京阪守口市駅前)





洒落たTea Room「BUNROKU」は、古民家を再利用しています。




京街道から、なら、のざきみちへの分岐点。





大塩平八郎の門弟:白井孝右衛門宅で、しばしば講義が行われた模様。



明治天皇の行宮となった難宗寺。樹齢500年になるでっかい銀杏の木が目印。




一里塚跡(上の見附)




前回よりも少しだけ上流の淀川堤防に登った。





淀川のスーパー堤防の下に「三箇桶跡碑(桶=水門)」&「御野立所跡」あり

「五箇樋跡」とは五ケ庄(守口庄、小瀬庄,橋波庄、寺方庄、稗島庄) への 淀川からの飲料水を引いていた跡のことを意味する。 現代では近くに庭窪浄水場があるのは興味深い。

検索してみました。

「御野立所」とは大正天皇が明治43年にこの地で工兵隊の架橋訓練を 視察された記念を残している碑である。

https://www.officequattro.com/jpn/moriguchi/index.html

「野立」であって「野点」ではありません。軍の演習をみながら茶を飲んだなどと失礼なことを考えました。何人か頷いていましたから、訂正の必要がありますね。




彼の居住地については記憶が残っていました。




守口大根