大阪あそ歩×中之島図書館  2017年4月8日


本日の「あそ歩」のタイトルは「蜆川・堂島川・土佐堀川」でした。 中之島図書館とのコラボということで、先ず図書館のスタッフによる案内と解説がありました。

そのあと、図書館の一室をお借りして、茶谷さんの講義が約1時間。 そのあと町歩きになりましたから、これは時間がかかるな‥と思い、途中でリタイアしました。

それでも3時間半でしたから、J1のことも気になるし、わたしの到らないところでございます。




市役所回りのツツジもいいですね。目指したのは中之島図書館です。近ごろウォーキングのスタート&ゴール地点にもなる場所(市役所南・中之島公園)に近く、冬場はマッピングのスクリーンにもなったりしたところです。




正面玄関です。外から眺めることは多いのですが、実は一度も中に入ったことがありませんでした。




ここもウォーキングでしばしば歩く中之島遊歩道の一部です。堂島川沿いのさくらがいいですね。




「大阪あそ歩委員会」の代表理事、茶谷幸治さん直々の講義です。その中に出てきた写真をゲット。左が大阪図書館(現在の大阪府立中之島図書館)、右が初代の中央公会堂です。真ん中に怪しげな木造の建物有り。




図書館の中央部にあった展示なり。住友吉左衛門の寄付によって建てられました。設計者は中央部が野口孫市氏、左右の両翼が日高胖(ゆたか)氏によるものです。市民の寄付によって建てられたのは、あとには中央公会堂や綿業会館がありますが、その先駆けとなったわけです。

棟札には、工事顧問として辰野金吾氏の名がありました。




「淀屋の碑」: 残念ながら、この碑が建てられたのは昭和62年と、随分新しいことなり。淀屋を創業した岡本家によるものを前期淀屋、闕所後に牧田家により再興されたものを後期淀屋と呼んでいます。

闕所前に倉吉に暖簾分けした牧田家の淀家が、幕末に大阪の淀家を再興し、薩長側に資金援助して倒幕に全力を注いだ話は痛快以上の怨念を感じました。

近ごろ倉吉に行く機会がありましたが、淀家の存在を地図で確かめました。ツアー故、そこを訪れるチャンスがなかったことが残念なり。





「北新地」(新地本通)のほぼ真ん中に建てられた碑です。小春、治兵衛が登場する「心中天網島」のことが書かれているそうです。もともと読みづらく、雨のせいもあって、お手上げです。




「堂島新地」及び「北新地=曾根崎新地」の地図です。「蜆川」の川筋がよく分かるものです。「蜆川」のいわれですが、蜆が採れたからではなく、次第に川幅が縮んでいったことからきたという一説を語ったのは茶谷氏でございます。