文人、学者が集まり、日本一の夜店もあった南船場  

2016年10月1日




大阪を代表する天文学者が麻田剛立で、その弟子が間重富(称号は長涯)なり。幕府に招かれ、高橋至時とともに寛政の改暦を行った。やがて大阪に戻り、富田屋橋で天文観測をするときは、彼のために通行止めになったというが、堀江の住民で文句を言うものは一人もいなかったとか。

超一流の学者は、麻田剛立である。月のクレーターの中に「アサダ」というのがあるという。日食の予言、ケプラーの第3原則の発見など‥すっかり忘れたが、彼の偉業は世界的に有名だそうだ。それを讃え、国際天文学連合により、月のクレーターの一つが「ASADA」と命名されたようである。


高橋至時はとくに大先輩である伊能忠敬が師と仰いだ人で、お墓は江戸にあるが、二人は隣りに並んでいる。

なお、間重富は裕福な質屋を継いだ人で、傘職人の橋本宗吉を後援し、江戸へ遊学させるという繋がりがあった。



小倉屋山本は、作家の山崎豊子さんの生まれた昆布屋さんです。この日お休みでした。彼女は3代目山本利助の実妹にあたります。

そんなことよりも、看板の上の「しんまちばし」は本物ですかとガイドさんに聞いたところ、本物の橋が撤去されたときに譲り受けたそうな。



大阪を代表する蘭学塾を開きました。間重富らの援助で江戸に学び、やがて大阪に戻りました。医者をしながら、蘭学塾を開いたわけです。その弟子に中天游(なかてんゆう)がおり、緒方洪庵−福沢諭吉へと繋がって行きます。




オーガニックビル

「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」(2015年2月18日大阪市が発表)に入った50件の1つです。昨年、その一部を2度にわたって、見て歩きましたが、ここまでは足を伸ばしていません。目立つ建物ですから、この界隈を歩く際に何度か見ていますが、詳しいことは知らないままです。

設計:ガエターノ・ペッシェ UDコンサルタンツ
建設は1993年
外壁に植木鉢が132個

オーガニックは「有機的な」の意。水や肥料はコンピュータ制御のようです。1階エントランスホールもみてみたいものです。


↓ 解散後のおまけです




長堀通というと「末吉橋」 でしょう。平野郷の末吉家と関係あるはずです。やがて徳川家の旗本となり、平野を出て行った末吉孫左右衛門が橋を架けたという風に理解しています。北船場(本町橋以北)と比べると、ひどい状態で放置されているような気がします。