水の底に消えた蕪村のふるさと(毛馬) 2016年5月24日


〜春風や 堤長うして 家遠し〜  

何度もウォーキングで通っている場所なんですが、詳しいことは分からず仕舞いだったので、このイベントに参加しました。 ガイドは大御所の茶谷さんと井川さんでした。 暑い中、蕪村の句の細かい説明までして頂いたこと、毛馬の閘門に丁度船が入っていたことなど、幸運だったと思います。 イベントは4kmくらいだったので、その終了後、天満橋まで歩きました。プラス4kmなり。曇ってきたのが幸いでした。




春風橋(城北川に架かる橋)「春風橋」の名が入ったところが、どう見ても馬蹄形に見えるのは何故でしょう?特に、説明はありませんでした。




淀川神社に、今年出来たばかりの与謝蕪村銅像。生誕300年を記念して造られたようです。つまり、1716年生まれですから、丁度、吉宗の享保の改革が始まった年に生まれたことになります。




これが「春風馬堤曲」の説明です。故郷に帰る娘さんに託して、故郷を詠んだものなり。口語訳もあり、助かりました。




毛馬閘門が見えてきました。右は予備の閘門で使われていないようです。2つ目の閘門の中に、丁度、大川に向かう船が入っています。




ちゃんと真横から見学することが出来ました。右上の淀川から入ってきた後、水門が閉じられたわけです。




川下である大川(旧淀川)に向かう水門は閉じられています。現在、閘門の水が抜かれているところで、時間がかかります。




閘門内と大川(旧淀川)の高さが同じになったので、水門が開かれました。船が移動しています。パナマ運河も、東横堀川も同様に閘門を開け閉めして、船が行き交うことになります。




淀川の堤の上に建てられた蕪村生誕地の石碑。「春風や 堤長うして 家遠し」の句が堂々としています。「春風馬堤曲」に入っている有名な句です。




向こうに見えるのが淀川大堰。右が「毛馬閘門」に通じている。左は「毛馬洗堰」に向かう水路です。どちらも淀川大堰の上流なり。




これは「毛馬排水機場」(ポンプ場)に通じる水路:淀川大堰の下流 高潮のときなど、安治川・尻無川・木津川の水門が閉じられたとき(寝屋川や平野川から大川に水が入り込むわけですから)大川の水量が増した際、洪水対策として、大川の水を淀川に返すためのポンプ場というわけです。




最初に毛馬閘門を造り上げた工学博士、沖野忠雄氏。内務省の技監として、大阪港や大阪市上水道の建設にも携わったようである。




階段を下りて、第一閘門の重厚な扉に圧倒されました。両側からハンドルを回して開閉したそうです。




第一閘門の中です。両側は煉瓦造りなり。イギリス積みと思っていましたが、オランダ積みなんでしょうか?

2008(平成20)年6月に旧毛馬洗堰とともに国の重要文化財に指定されました。 水路長さ:約80m  水路幅員:約10m  側壁高さ:約8m




新淀川を造るために出た土砂を運ぶために造られたのが長柄運河(現在は埋められて、無い)に架かる眼鏡橋。




その眼鏡橋を渡っています。





左に第二閘門の跡。右に排水機場があります。





(大きな排水機場をどけて‥)

左に洗堰。真ん中に毛馬閘門(第三の閘門)。右に予備の閘門。