破天荒! 直木三十五文学の原点を知る  2016年5月21日


副題は〜藝術は短く 貧乏は長し〜でした。

@生家跡の住所は安堂寺町2丁目ですが、現・谷町6丁目交差点になってしまったようです。
Aプラトン社跡はありません。谷町5丁目乙20番地ですが、パーキングとなっています。
B直木三十五寓居跡は安堂寺町2-3ですが、榎大明神の近くで、このあたり‥てな具合です。
C薄病院跡もこのあたり、でした。元の姿は消えています。
D彼が通った桃園尋常小学校は廃校となり、現在は桃園公園となっています。
E彼が通った育英第一高等小学校は、大阪市立南高等学校(国語科と英語科)となっています。
F確実に分かるのは、榎大明神そばの文学碑、「萌」に入っている直木三十五記念館だけなり。

そういうわけで、直木さんに関わらず、のんびりとまとめてみることにします。
ぐうたらで奔放であった本人に対し、「直木賞」を残してくれた菊池寛氏に感謝すべきです。




長屋再生プロジェクト「練」です。





「練」の中庭が涼しげでした。





屋根に草が生えている「惣」です。





空堀商店街のすぐ南にある惣構跡





昆布あめをガイドさんから戴いた「土居」





参加者が選んだお店(全部で3つ)の1つ





上に、観音さんがあったそうです。





萌(「もえ」とちがう、「めぐみ」やで)(「ほう」ではなく、「ほ」と読む)





直木三十五記念館に初の入館





三十台はモテ期





榎大明神(イメージとしては、プリンセス・トヨトミですね)





「南国太平記」(「青空文庫」で読みましょう)






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