大阪あそ歩  2016年4月1日


エイプリル・フールの日やけど‥これはほんまやで。

天下一の花街・大坂新町を歩く〜夕霧太夫の面影を求めて〜

雨の降る冷たい一日でした。お客さん3人のためにガイドさんが2人も付いて、根気よく説明して戴きました。後のコーヒーが美味しかったこと。。

新町1丁目のお店で、「夕霧もなか」を(お土産に)買って帰りました。。




新町北公園のサクラ(今日が満開の日。花は散らずに、踏ん張っています)花見の席取りが(雨の中でも)すでに始まっています。




新町九軒桜堤の跡碑&千代女の句碑

この碑のあたりから吉田屋のある九軒町まで、桜堤が続いていました。遊女たちも、夜桜を楽しんでいたようです。

なお、戦時中に所在不明となり、その後、碑の上部が破損した状態で発見されました。上が欠けてしまった句碑は加賀千代女(俳人)の作品で ↓

「(だま)されて来て (誠)なり はつ桜」




初世中村鴈治郎生誕の地碑。瓜実顔の、「紙治」で有名な人。 「頬かむりの中に日本一の顔」(岸本水府)の人なり。三代目中村翫雀と扇屋のひとり娘、妙(たえ)との間にできた子が花形役者になったようです。 もと扇屋のあったところにこの碑が建てられました。 その扇屋の夕霧太夫が歴史上もっとも有名な太夫として名をはせています。京都から引っ越しをしてきたときは19歳。 わずか6年後の25歳のとき、病に倒れました。大変な美人のうえ、芸事も達者。

西鶴「好色一代男」によれば「物ねだりせず、人に惜しまず、手管に長けて、浮き名が立つと止めさせ、のぼせ上がると理をつめて遠ざかり、身を思ふ者には世間のことを意見し、女房のある者には合点し、魚屋、八百屋まで喜ばせた」とあります。 お初や小春のような、平気で心中するような下っ端の遊女とはわけが違うようです。