吉兆もろて、めでた顔なる、えべっさん  2015年11月28日


副タイトルは「今宮戎神社から戎橋商店街まで」となっていました。

木津市場(現在は、民営の大阪木津地方卸売市場が正式な言い方です)

天満の青物市場があって、この市場がなかなか認められなかったというガイドさんの説明のときに、ふと「最近読んだな‥何やったか思い出せないな」と言ってみると、 同行の参加者が、朝井まかてのすかたんでしょうと教えてくれました。そうなんです。近ごろは、入るよりも抜けていく方が多いのです。 ただ、思い出すきっかけが与えられたら、思い出す努力はします。でも、たいていは他力本願ですが‥。

ガイドさんの案内で地下鉄難波駅に向かいましたが、途中でお別れしました。

戎橋商店街を進み、戎橋まで行くのが今回のテーマに沿ったものということで、 土曜日の午後、人混みの中をこじ開けて行って参りました。 なお、最後に法善寺横町にも行きましたが、この件についてはテーマから外れるので、カットします。




初めて降りた駅





今宮戎神社

遠い昔に訪れたことがあると記憶していますが、こんなに狭い境内だとは思いませんでしたね。もちろん、十日戎の時でした。



久保田権四郎が創った学校

たまたまだと思いますが、直ぐ近くの大倉組製革所で働いていたのが新田長次郎で、彼も私立夜学校である有隣尋常小学校を創っています。なお、故郷松山に、松山高等商業学校(松山商科大学、現在の松山大学)を建てています。また、彼の甥が建てた私立高等学校が新田高等学校ですが、なんと現在は共学校になっているようです。女子校だった済美高等学校が同じく共学校となり、甲子園常連校になっているわけですから、いつまでも昔のままでいるわけではないですね。




Kubota(←久保田鉄工所)





噂のうどん屋に行列

訪れる機会があるかどうか?大食家ではないだけに、尻込みしてしまいますね。でも、このお店のカレーうどんは食べてみたいと思います。




浪芳庵のみたらし団子

1858(安政5)年7月23日創業。お店の名前の「なみよし」は、難波新川(難波入堀川)に架かっていた「波吉橋」からつけたものと聞きました。




鼬川で使われていた木造船(くり船)のモニュメント

くり船とは、大木の幹をくりぬいてつくる船のこと。丸木船とも言う。「明治11(1878)年、この付近にあった難波新川といたち川との連絡工事中に、くり船が発見された。長さ約8m、幅約1.2mの楠材で複材式であった。6世紀ころのものと思われ、大阪城天守閣近くに保存していたが戦災で失った」(大阪市イベント・観光62)




難波御蔵・難波新川跡の碑(なんばパークス)





大阪球場跡地(なんばパークス)

9階には、南海ホークス関連の展示室があります。なぜか、野村さん(捕手・三冠王・監督)関連のものが見つかりません。でも、探せばあるわけで、背番号入りの背中だけが写真の一部に写っていました。




ここは千日前ですが、さらに戎橋商店街を進みます。





戎橋に立ってグリコの看板を眺めるのが務めだと思います。この日はふつーでした。




戎橋北詰の銘板を読むのがわたしの務めです。

「戎橋 白粉紙を散らす恋」(岸本水府)
谷崎潤一郎「蓼食う虫」小出楢重・画
2008年3月 寄贈ライオンズクラブ




「頬かむりの 中に 日本一の 顔」(岸本水府)

初代 中村 鴈治郎のことを句にしました。手拭いで頬(ほお)かむりをした紙屋治兵衛(心中天網島)を演じた初代 中村 鴈治郎はまことに格好良かったみたいです。

道頓堀今井の店先です。