広岡浅子と船場、その光景を訪ねて  

2015年11月4日


大阪あそ歩・特別編「広岡浅子と船場、その光景を訪ねて」に参加しました。

つい先日、大同生命ビルを訪ねて、そのの展示を見たことだし、浅子さんがらみの新たな情報は、特にありませんでした。

いつの間にか、船場の古い建築をめぐるコースに切り替わっていたようです。これまた、復習になった次第で、全く文句はございませんでした。

なお、ガイドさんは先日「中津」の際にお世話になったお二人でした。 そのときに「お目にかかるのは初めてですね?」と聞かれたばかりでしたが、あっという間に2度目となった次第です。




京阪中之島線「中之島」駅の行き止まりには、シールドマシンが設置されている。中之島線がさらに延伸するという話もあるそうだ。




柱の上部に傘のような絞り。下部を絞って通路を確保するという構想が素晴らしいと思う。




特別展示のメモリアルホールは撮影禁止なので、同じ階のロビーを撮ってみた。 旧大同生命ビルはヴォーリズが設計したが、その名残はあちこちに見られる。なお、浅子の一人娘の婿養子が恵三で、その妹と結婚したのがヴォーリズという極めて近い関係にあった。





旧ビルで使われていた大金庫室の扉を展示してある。





秀吉ゆかりの井戸

加島屋の屋敷内にあった(千利休の)茶屋の片隅に置かれていた。




淀屋橋三井ビルディング(odona)西側に、愛日小学校跡を示す碑<校歌など3つ>が建っている。ビルの中にも、同小の展示室が設けられている。




神宗で、まことに小さな、おにぎり&昆布、お茶を戴いた。




田辺三菱製薬資料館

初代田邉屋五兵衛、「たなべや薬」が評価され、朝廷から「黒川大和大掾(ダイジョウ)藤原金永」の称号を授かる。




扶桑道修町ビル1階ロビーに、大坂城下町跡の遺跡コーナーがある。





岡三証券のあるところが、天王寺屋五兵衛宅だったところ。





大阪市立開平小学校は、平野屋五兵衛宅のあったところ。

今橋通(今橋1丁目)である。「天五に平五、十兵衛横町」(五+五=十というわけ)と呼ばれるところなり。田邉屋も五兵衛だし、当時の名前ランキングの上位だったかもしれない。