皇都・難波長柄豊崎宮の謎を追う(中津)  

2015年11月1日


タイトルは「皇都・難波長柄豊崎宮の謎を追う〜豊崎神社から我が国初の火葬所・南浜墓地まで〜」でした。

バスツアーの集合場所となっているところ(駐車場)以外は全く知らないところなので、 下町としての賑わいなどを期待していましたが、割りとひっそりとした住宅地のたたずまいでした。

にぎやかなところに行ってないせいだと思われます。




阪急電車ガード下の壁画は、チャップリンです。この前には、下呂温泉でお目にかかったのですが、こちらの方が気に入りました。




このピエロハーバーは、カフェ、小劇場を併設する「文化と芸術の地域テーマパーク」のランドマークとなっていたそうです。高架下の倉庫群などは撤去されたようで、残念なり。チャップリンの壁画と向かい合わせです。



狭くて結構長い商店街ですが、この日はお休みでした。





「カンテ・グランデ」という名のカフェです。ここでバイトをしていたウルフルケイスケとトータス松本の出会いが「ウルフルズ」誕生に繋がりました。是非、入ってみたかったですね。今では南は難波まで、大阪府内に約10店舗をかまえているようです。

なお、アルバム『Banzai』に収録された『大阪ストラット』の歌詞の中に、“カンテGでやっぱチャイとケーキ♪” とカンテが紹介されているそうです。あとで、聴いてみようと思います。



光徳寺善隣館「中津学園」という学校があり、その学校の先生と思われる方が入口の扉を開けてくれました。洋画家「佐伯祐三生誕の地」碑が建っていました。パリで、30歳の若さで亡くなった方です。「郵便配達夫」などたくさんの絵を大阪市立近代美術館建設準備室が持っており、その絵を特別公開で拝見したことがあります。美術館が建つものかどうか‥心配しています。




中津公園にある森本薫文学碑。杉村春子の名演で知られる「女の一生」のなかの文章です。わたしには、杉村春子と森光子と水戸光子の区別が付きません。このあと調べてみます。ただし、森光子さんは「タケヤ味噌」のCM、「放浪記」のでんぐり返り、「時間ですよ」‥くらいは分かります。




豊崎神社。少々境内は広いのですが、何の他愛もない普通の神社です。七五三の催しでしょうか、神主さんが写真撮影などに興じておられました。ここが孝徳天皇の「難波長柄豊崎宮」という説もあったようですが、ガイドさんは「難波宮」に軍配を上げておられました。それらしきものは地名だけですからねぇ。。




南浜墓地。行基がつくったわが国初の墓所であり、火葬所の始まりとも言われています。江戸時代に「大阪七墓」と呼ばれた中の一つに当たります。「大坂三郷大火」が気になって調べてみたところ、享保9年の「妙知焼」でした。

「南堀江橘通、金屋治兵衛の祖母妙知の家から出た火が船場、島之内、天満、上町にかけて市中のおよそ2/3にあたる広域を焼失させた。これに匹敵する大火は以前にも以後にも記録されていない。」(「大阪の教科書」より)