玉造稲荷神社ほか  2015年7月15日


タイトルは「食べて、笑って、夏祭りー玉造稲荷神社、大坂城鎮守神」

「大阪あそ歩」夏の特番でした。16:30集合、最終解散は19:30くらいだったと思います。 三光神社も、心眼寺も、実は玉造稲荷神社もお馴染みのところでした。

黒門しろうり寿司と夏祭りの寄席だけが狙いでした。

ガイドさんから頂戴した九度山のお土産も大変気に入りました。 下手をすれば、九度山には自分で出かけていたかも知れませんが、これで諦めがつきました。 めっちゃ、軽い希望だったことになります。

追記

まったくの私見ですが(篠山の位置に触れた文章を読んだことがないので‥)

真田丸の南に、池(味原池)があり、さらにその南に篠山(笹山)があったようです。 真田軍が引き上げたあとに、前田利常軍がノコノコと出かけて占領したつもりでしたが、真田丸から小馬鹿にされたというような話があります。 地図の上では、味原池の南にあった産湯稲荷神社(元桃山と呼ばれたそうな‥)がぴったりする気がします。 その地のさらに南に前田利常の陣地があったので、三光神社あたりの現在の宰相山界隈は、前田利常の陣地があったわけではないと結論づけることができそうです。 ただ、歴史は常に移ろい、いついかなる時に「宰相山」という地名ができたのか、その範囲は結構広かったのではないかとも思えます。




三光神社の鳥居は戦災にあって崩れ落ちたようです。





まいどの真田左衛門佐信繁(幸村)のお墓です。「さなだ さえもんのすけ とよとみの のぶしげ」暗唱してくださいませ。




あの「宰相山」のいわれが曖昧すぎます。 真田丸を攻めた徳川方の前田利常<前田宰相>が陣を構えた(あるいは松平忠直<越前宰相>が陣を構えたという説もあり)ところを指すそうですが、よく分かりません。 三光神社はこの宰相山の中にあり、そこに「真田の抜け穴」もあるようで、辻褄(つじつま)が合わないような気がします。 宰相山と真田丸が別物だったなら、話がうまく繋がるのですがね。 ただし、「真田の抜け穴」はなかったものと考えることになります。

そういえば、真田丸の戦いの際に、もう一つの山が登場したような気がします。。その山かも??




牧村史陽氏の文章です。





いつのまにか、行列の先頭にいたガイドさんの傍にいます。





シロウリのお寿司です。夏の風物詩ということにしておきましょう。シロウリの畑は、境内の片隅にありました。いえ、東側から上る階段の途中にあり、とても目立つ場所です。




建物の中ではなくて外でしたから、座るところはなく、立ちっ放しだったので疲れました。このあと演芸の部に移行しました。一応解散したので、最後まで居残った2名中の1人となりました。




ガイドさんからいただいた九度山のお土産です。真田の六文銭がうれしいです。