史跡守口宿と文禄堤  2015年5月17日


史跡守口宿「京街道・守口宿に残る先達者たちの足跡/秀吉も大塩も明治天皇も!」 〜名探偵・明智小五郎は守口生まれ?!〜

大塩平八郎ゆかりの書院、江戸川乱歩寓居跡(名探偵 明智小五郎誕生の地)、 司馬遼太郎居住跡(「梟の城」執筆の地)、豊臣秀吉ゆかりの地(文禄堤、日吉町、豊秀町)などが 網羅されていましたが、肝心なのは「東海道57次」(江戸品川宿−大坂守口)だったように思います。

大津53次のあと、伏見宿54次、淀宿55次、枚方宿56次、守口宿57次となるようですが、 「京街道四宿」の方が一般的なのかもしれません。




京街道の標識あり。徐々に堤に登っていく感がある。





ガイドは長谷吉治さん。松が街道の目印のようである。





程よい場所に文禄堤の標識あり。





秀吉の命により、淀屋と毛利三家が淀川左岸の堤を修築した。本町に700mが現存している。




このあたりに司馬遼太郎が住んでいて「梟の城」を執筆したという。





守口町の豪農であった大塩の門弟、白井孝右衛門の屋敷跡。大塩平八郎はここでも講義を行ったという。




明治天皇が宿泊した難宗寺。屋根瓦は「五七の霧」「菊」の紋。





江戸川乱歩の居住跡。来迎町にも2つの居住跡あり。





元の住宅は既にない。この銘板が住宅内に取り込まれてしまい、塀で囲まれてしまったので、上手に覗き込まない限り分からない。