おどろきの鶴橋今昔ばなし  2014年10月19日


〜経営の神様・松下幸之助起業の地をたずねて〜

昨日淡路島を14.4kmも歩いたわけで、今日は距離が短いとはいえ、町歩き特有の立ちっぱなしですから、さすがに疲れました。
ポカポカ陽気の日向を避けて、影を求めて歩いた次第です。




鶴橋国際マーケットは初めてではありませんが、一人で歩いてみないことには道を覚えることはできません。チマチョゴリのお店で、説明を聞いているところです。どこをどう歩いたのか、分からないまま、東成区から生野区、天王寺区を歩き、元の東成区に戻ったようです。



鶴橋本通りと軌道が交差する辺りが、元の鶴橋停留所だったそうです。その当時は大阪電気軌道(大軌)と呼ばれていました。現在の鶴橋駅はこの西150mのところに移転しています。



「つるのはし」の上流に「かめのはし」があったようで、つまりこの辺りを旧平野川が南北に流れていたわけです。



「血と骨」の作家、梁石日の実家だった住宅が見えます。現在は、他のお方が住んでいるようなので、お邪魔してはいけませんね。



あの緑色の見える辺りが、松下幸之助の住宅兼作業場です。妻むめの、義弟井植歳男(三洋電機の創業者)とともにソケット造りを始めたところです。



元住宅兼作業場と離れたところに、この碑が建てられています。住所は、「東成区鶴橋町大字猪飼野」でしたが、ご存じの通り、現在「猪飼野」は地名表示から消えています。



ただし、平野川沿いに「猪飼野変電所」を発見しました。少し南には平野川に架かる「猪飼野橋」があるはずです。



東成区役所前にある「四代目桂米団治顕彰碑」です。この地で落語「代書」が生まれたそうです。弟子に当たる桂米朝(人間国宝)の息子が六代目桂米団治を継ぎましたが、いつの日か、「代書」を復活させると聞きました。