祈りのまち・住吉を歩く  2014年4月5日


いつになく寒い一日でした。
肝心のことはさておき、枝葉末節にこだわります。




なんで「神ノ木」やね? 昔々、このあたりが海岸だった頃、ひときわ大きく古い松があり、神木と呼ばれたとか‥。そう書いてある。




その昔、このチン電で通勤していた。ようやくIT対応になったようだが、乗るときと降りるときにカードを差し出すそうで、それを怠ったために、 結局現金(200円)を支払うハメになった。消費税アップにも関わらず、運賃は据え置きだが、次の10%のトキには上げるのだろうね。 小銭(1円玉)を払わなくて済むと思われるからである。たまに訪れているのだが、未だトラムに出会っていないのが残念である。




明治天皇の側室、若菜局(津守好子)が住吉に帰郷して住んだ住吉別邸を(所縁あって)藤沢桓夫が譲り受けることになったようだが、 やがて取り壊されることになり、その門がこの一運寺の山門になったという。このあと、藤沢桓夫は(墨江2丁目の)石濱邸の離れにご厄介の身となった。 多くの文人たちのたまり場となったようだ。のち、上住吉に引っ越した。




熊野街道と住吉街道(しはつみち)の交差点に建つ池田屋本舗は明治25(1892)年の建築で、国指定登録有形文化財である。 屋根の上の灯籠に小さな灯籠がぶら下がっているのが面白い。




この日の参加者で、ここまで見に来たのはわたしだけである。 後醍醐天皇ゆかりの「車返しの櫻」なんだが、ここまで生き残っているはずもなく、平成11年に京都嵯峨野から移植された紅八重枝垂れ桜である。