環濠自治都市・平野郷めぐり  2013年9月29日

わたしが初めの2校に14年も勤めたところであり、いわば故郷である。
自宅からもさほど遠くなく、何度も訪れたところである。

平野で4km、その他で4km、計8kmのウォークを楽しんだことになる。
秋の青い空が気にかかる今日この頃なり。

平安時代の初め、桓武天皇の時代まで遡ると、蝦夷(えみし)征伐で活躍した坂上田村麻呂という武将が現れる。 その子、広野麻呂が治めたのが「平野」であり、広野麻呂の名が地名の元となったという説もある。 再び登場するのは、戦国から江戸初期のことで、平野は当時の堺と並ぶ自治都市として名を挙げた。 朱印状を受けて末吉船が活躍したのもこの時代であり、秀吉および家康の時代に「大坂」(あるいは船場)の町づくりを担当したのも 末吉氏をはじめとした平野商人の力であった。末吉橋、勘四郎町、東平(東平野町)などの地名が大阪市の中心部に残っているのも無縁ではない。 そういえば、道頓堀を掘作した安井道頓(改め、成安道頓)も平野七名家(坂上氏の末裔)の一員であることも明記しておきたい。

坂上広野麻呂屋敷跡
坂上広野麻呂墓所(坂上公園)
長寳寺(坂上田村麻呂の娘、春子妃が開山)
春子妃墓所(長寳寺・全興寺・末吉家 墓所)
杭全神社(広野麻呂の子、当道が創建)
(西)末吉家邸宅(国の重要文化財)

あとは、古い町屋の残る町を、ごゆるりと散策していただきたいと思う。




平野郷の環濠。面倒なのは、地図の左が北。慣れれば、困ることはない。




環濠跡が残っている場所は杭全神社の北東側である。




正面に見えるのは杭全神社の鳥居。右は「かうや」(高野)とある。中高野街道である。




長寳寺は尼寺。坂上田村麻呂の娘、春子妃(桓武天皇の妃)が開山した。




坂上氏の末裔は今も健在である。末吉勘四郎の名を継ぐ平野の名士なり。




全興寺の 真上に青い 秋の空