ざこばはし [雑喉場橋] 百間堀川に架かる橋で、江之子島と雑喉場を結んだ。明治8年に架けられ、昭和38年に百間堀川が埋め立てられ、橋も消えた。 |
昭和橋。木津川橋から北をみると、すぐ前に架かっている。 |
川口居留地跡。北に川口基督教会、南に本田(ほんでん)小学校がある。 |
信愛女学校やプール女学校、バルナバ病院、川口基督教会などが登場している。 |
銅板に刻まれた川口居留地の全貌。対岸の江之子島には、川口(西)に向かって大阪府庁が建っている。 |
大坂船出会所跡。江戸幕府が官船の管理、民間商船の検査のために置いたものだが、1864年に廃止され、その業務を引き継いだのが神戸海軍操練所である。 |
教会の玄関。現在改修中とのことで、屋根部分に幕が貼られてあった。 「日本聖公会とは」(川口基督教会のあんないパンフ): 16世紀の宗教改革の影響を受け、ローマカトリック教会から英国独自の改革を行い、英国国教会が成立した。それが「聖公会」の始まりである。 「聖公会」はカトリックの伝統を大切に守りながら、カトリック教会とプロテスタント教会との中道を歩む「橋渡し教会」としての役割を担っている。 「日本聖公会」には、現在300の教会、それに聖路加国際病院、立教大学(東京)、桃山学院、プール学院(大阪)など、多くの学校、病院、福祉施設がある。 |
大阪教会に続いて、ここでも内部見学ができた。窓からの外光が眩しいくらいに、内部は明るかった。 |
ステンドグラス1(川口基督教会・横面3つのうちの1つ) |
ステンドグラス2(川口基督教会・正面) |
ステンドグラス3(川口基督教会・二階) |
教会内部を二階から見下ろしたもの |
この天主堂跡(現在は幼稚園)も、税関も「富島」にあった。 |
明治天皇聖しょく・大阪開港の地・大阪電信発祥の地‥3つ並んで建っていた。安治川を挟んだ対岸にあるのが「中央卸売市場」である。安治川橋は(今は)ない。 |
川口居留地付近(明治18年以前の状況) |
松島公園そばの竹林寺 |
竹林寺の門 |
昭和20年(1945)3月13日から14日にかけての第1回大阪大空襲でこの付近一帯は全焼、松島新地のたくさんの遊女が亡くなっている。地蔵さんも黒焦げのままであるのが痛々しい。 |
竹林寺は朝鮮通信使の定宿であった。明和元(1764)年、この寺で病気で亡くなった金漢重(キムハンジュン)の墓がある。 |