モダン大阪発祥の地・川口居留地をゆく

 2013年5月3日



ざこばはし [雑喉場橋]

百間堀川に架かる橋で、江之子島と雑喉場を結んだ。明治8年に架けられ、昭和38年に百間堀川が埋め立てられ、橋も消えた。





昭和橋。木津川橋から北をみると、すぐ前に架かっている。





川口居留地跡。北に川口基督教会、南に本田(ほんでん)小学校がある。





信愛女学校やプール女学校、バルナバ病院、川口基督教会などが登場している。





銅板に刻まれた川口居留地の全貌。対岸の江之子島には、川口(西)に向かって大阪府庁が建っている。





大坂船出会所跡。江戸幕府が官船の管理、民間商船の検査のために置いたものだが、1864年に廃止され、その業務を引き継いだのが神戸海軍操練所である。





教会の玄関。現在改修中とのことで、屋根部分に幕が貼られてあった。

「日本聖公会とは」(川口基督教会のあんないパンフ):

16世紀の宗教改革の影響を受け、ローマカトリック教会から英国独自の改革を行い、英国国教会が成立した。それが「聖公会」の始まりである。 「聖公会」はカトリックの伝統を大切に守りながら、カトリック教会とプロテスタント教会との中道を歩む「橋渡し教会」としての役割を担っている。 「日本聖公会」には、現在300の教会、それに聖路加国際病院、立教大学(東京)、桃山学院、プール学院(大阪)など、多くの学校、病院、福祉施設がある。





大阪教会に続いて、ここでも内部見学ができた。窓からの外光が眩しいくらいに、内部は明るかった。





ステンドグラス1(川口基督教会・横面3つのうちの1つ)





ステンドグラス2(川口基督教会・正面)





ステンドグラス3(川口基督教会・二階)





教会内部を二階から見下ろしたもの





この天主堂跡(現在は幼稚園)も、税関も「富島」にあった。





明治天皇聖しょく・大阪開港の地・大阪電信発祥の地‥3つ並んで建っていた。安治川を挟んだ対岸にあるのが「中央卸売市場」である。安治川橋は(今は)ない。





川口居留地付近(明治18年以前の状況)





松島公園そばの竹林寺





竹林寺の門





昭和20年(1945)3月13日から14日にかけての第1回大阪大空襲でこの付近一帯は全焼、松島新地のたくさんの遊女が亡くなっている。地蔵さんも黒焦げのままであるのが痛々しい。





竹林寺は朝鮮通信使の定宿であった。明和元(1764)年、この寺で病気で亡くなった金漢重(キムハンジュン)の墓がある。