新島襄・八重ゆかりの地を歩く
(中之島・土佐堀)

「大阪あそ歩」 2013.4.27




京阪「中之島」に集合。不覚にも約25分前に到着してしまい、 おまけに未着のメンバーを待つために、10分くらいは(余分に)改札前に留まっていた。 おかげで資料を、ほぼ読み終えることができた。





玉江橋を渡ると「ほたるまち」だが、そこまでは入らなかった。





中津藩蔵屋敷跡地に立つ「福沢諭吉誕生地」のモニュメント。まさかと思うが、裏に回ってみると形を成していた。何の形かは秘密にしておきたいと思う。





薩摩藩蔵屋敷跡には、薩摩藩上屋敷があった模様。鳥羽伏見の戦いの際に、大阪に逃れた幕府方に攻められるのを恐れて、藩士らが自ら火を放ったようである。





大村益次郎先生寓地址。適塾の時代、雑魚寝を嫌って、ここに住んだらしい。偏屈というが、寝るときくらい、わがままに寝たいものだと感じた。





薩摩藩蔵屋敷の東、常安橋南詰近くに長州萩藩蔵屋敷跡があった。地元の「長州大師 三蔵院 高野寺」が引っ越してきたあたりは、別段変わったことではない。





「日本キリスト教団 大阪教会」(プロテスタント教会)は、ロマネスク様式の建物で、壁の煉瓦はフランドル積み(フランス積み)である。 その内部に入るのは初めてのことで、これが今回の「あそ歩」の一番の収穫である。





西隣の門が開いていて中まで入ることができた。阪神大震災のときには大幅に崩れたらしい。長方形の塔を撮る。





教会内部の西側は修理が整い、以前のままに復元されたという。東側にだけ、エアコンが設置されている。 バラ窓は外光を取り入れるための飾り窓だが、外光の反射が眩しすぎて、映りづらいものとなったようである。





主任牧師の岡村恒さん。終始にこやかに話すところは、さすがだと思った。ヴォーリズの奥様にまでお会いすることができた最後の世代ということである。





教会内部を後ろから撮ったもの。わたしは、牧師さんのお話を一晩前の席で聴きましたので、お間違えなく。





リーガ中之島インの南側に「梅花女学校発祥の地」創立者である澤山保羅(さわやまぽうろ)のレリーフがある。 1878(明治11)年11月 大阪市土佐堀裏町に梅花女学校として設立される。 川口居留地近くの梅本町教会(今の大阪教会)と浪花教会の信徒が共同で出資したため、両教会の頭文字をとって梅花女学校と名付けられた。





大同生命ビルの前身は加島屋である。この加島屋から4万両を巻き上げた新選組の借用書が歴史博物館に残っており、 その写しを見せていただいた。わたし的には、新選組が会津藩のために借金したというガイドさんの話に納得はいかなかったが、反対する証拠もないもので、仕方なかった。





肥後橋で解散となったが、歩き足りないせいもあり、かねての希望に従い、堺筋に近い伏見町2丁目の青山ビルまで歩いた。 「丸福珈琲店」で、まったりとエスプレッソを飲み、資料の整理をした次第である。