現代にも生き続ける太子信仰
〜愛染さんから四天王寺へ〜

2012.11.7




眞光院

聖徳太子が父・用明天皇の冥福を祈るために阿弥陀如来を安置したのが起こりといいます。境内に六地蔵や六万体地蔵が奉安 されていますが、眞光院の界隈には「その昔、聖徳太子が六万体の地蔵を作った」という伝承があり、「六万体町」という地名も残っているとか。 ちなみに、六万というのは実数ではなく、たくさんという意味のようです。





眞光院の地蔵さん

真っ黒で、頭が欠けているのは地下から発見されたものらしいです。




縁結び、夫婦和合、商売繁盛の愛染さんで知られる愛染堂勝鬘院の入口、藥医門(やくいもん)です。 寄進したらしい学校や企業の名がずらりと載っていました。清風高校や清風南海高校は大阪の仏教学校なので、納得できます。 福壽堂秀信とか、鴻池運輸などは近ごろ縁があり、珍しく感じられました。





多宝塔は秀吉が再建したもので、大阪市最古の木造建造物として国の重要文化財に指定されています。 蛙股(かえるまた)には、十二支の彫刻があることを初めて知りました。





愛染坂ではなく、大江神社の階段を降りてきました。





101段あるそうです。今回は、降りてきたんだけれど、ご利益はあるのでしょうか?





清水坂をちらりと眺めただけです。





初めて、大阪の清水寺の中に入りました。京都の清水寺から譲り受けた十一面千手観世音菩薩を本尊としています。





京都の清水寺の音羽の滝にそっくりな大阪市内唯一の天然の滝「玉出の滝」もあります。





極め付きは「清水の舞台」ですが、元々大阪の街や大阪湾がもっと間近に眺められたところです。





世界で一番古い企業として、よく紹介されます。四天王寺を建てた宮大工さんのひとり、百済からやってきた金剛重光によって創業しました。 四天王寺は戦火や天災などで7度消失しましたが、代々の金剛組が再建に務めたようです。





西向きの石鳥居です。向こうに見えるのが極楽門です。ちょうど、四天王寺学園の生徒たちの下校時にぶつかってしまいました。





石鳥居の扁額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあります。四天王寺の西門が極楽浄土の東門に当たるわけです。





五重塔の全体を見たことはありませんが、西重門側から見た五重塔が一番マシだと思います。





番匠堂という建物(祠)です。番匠とは大工さんのことで、金剛組の職人さんたちが聖徳太子を建築の神様として信仰してきました。 手に曲(かね)尺をもった小さな聖徳太子が祀られているそうですが、その姿を見たことはありません。





大工道具を組み合わせてつくられた「南無阿弥陀仏」の幟です。





石舞台です。毎年4月22日(聖徳太子の命日)に、この石舞台で行われるのが聖霊会舞楽大法要です。 インド・中国からの音楽様式による左舞や朝鮮半島やシベリア系の右舞とがあるとのことですが、全くお目にかかったことがないので、 ガイドさんの説明にふんふんと頷くばかりでした。





極楽門の中から石鳥居を眺めたものです。春と秋の彼岸には石鳥居の中に夕日が重なるように設計されていて、中日には夕日を拝んで西方極楽浄土を 観想する「日想観(じっそうかん)」が執り行われるとのことです。





このお店で「田辺大根」のお漬物を買って帰りました。思いのほか値段が高く、おまけに葉っぱの部分が多くて、食べるのに苦労しそうです。