まずは腹ごしらえ(昼食)。向かった「北極星」心斎橋本店は、こじんまりとした和風建築である。 「オムライス発祥の店」で昼食。靴を脱ぎ、畳のある大部屋で特製オムライスを戴いた。昔から馴染みのある味だと思った。 スポーツタカハシを覗いたあと、14:00に地下鉄なんば駅北東改札口に向かった。 「戎橋松竹演芸場跡」(近鉄難波駅のあるビル) 大阪に50軒ほどあった寄席が、度重なる空襲で灰燼となったあと、 昭和22(1947)年に映画館・戎橋松竹が演芸場に改装された。大阪唯一の寄席として君臨したが、新歌舞伎座の建設資金捻出のために昭和 32(1957)年に閉鎖された。 「新歌舞伎座跡」:買い手がないらしい。 「昭和の興行師」こと松尾国三が大阪歌舞伎座の後継劇場として、1958年に建設した。 建築家・村野藤吾の設計で、波打つ瓦屋根が連続し、桃山時代を思わせる独特の外観が大阪・ミナミのランドマークとして親しまれてきたが、建物の老朽化を理由に 2009年6月に閉幕。2010年に上本町6丁目に移転した。 南街会館跡。平成18(1959)年に「なんばマルイ」8〜11階に「TOHOシネマズナンバ」が開業している。 「なんばマルイ」1階エレベーター横に「映画興行発祥の地碑」(小林一三) 自由軒「トラは死んで皮を残す。織田作死んでカレーライスをのこす」 楽天地跡(現在はビッグカメラ) 大正3年に地上3階建ての一大レジャーセンター「楽天地」が建てられたが、昭和3年に閉鎖。 昭和7年に地上7階建ての大阪歌舞伎座が建てられたが、昭和33(1958)年に閉鎖。そのあと千日デパートが開業したが、昭和47(1947)年5月13日の火災により 死者118名・重軽傷者78名、沖縄の復帰を間近に控えた日本のビル火災史上最悪の大惨事となった。 ビッグカメラの東側は芦辺劇場跡(現在はアムザ1000)で、その隣は三津寺墓地。アムザ1000はサウナ&カプセル。 安井道頓・道トの墓(三津寺墓地)。安井道頓の出自には諸説あり。 まことに立派な相合橋を渡り、宗右衛門町に向かう。 相合橋北詰に食満南北の句碑 「盛り場を むかしにもどす はしひとつ」 食満南北の句碑は、元は、この太左衛門橋にあったという。南に進み、道頓堀へ。浪花百景「太左衛門橋」で有名。 橋を渡ったところに角座があった。 道頓堀「角座跡」:ここも買い手がないらしい。 道頓堀今井。出汁が美味しい。岸本水府の有名な句碑を見逃したようだ。 狭い路地が浮世小路 浮世小路にある。一寸法師は住吉の生まれで、道頓堀川から淀川に入り、京都に向かったとのこと。 浮世小路に、開高健の通ったお店「路」がある。 法善寺横町の看板は藤山寛美が書いた。「一」が抜けているのが、寛美らしい。これにも諸説あり。 お不動さん(法善寺) 竹林寺跡(現在はラウンドワン) 自安寺跡(現在は焼肉のアジヨシなど) なんばグランド花月。吉本興業の本拠地で、昭和62(1987)年に新築開業した。まだ入ったことがない。 大阪府立上方演芸資料館。平成8(1996)年に開設され、通称「ワッハ上方」と呼ばれている。 NMB48シアターもあり。 南海通りに、織田作も通ったという「波屋書房」がある。文芸書と料理本で有名らしい。 |