南宗寺は本来、三好家一門の菩提寺である。千家一門の墓や武野紹?の墓もあるが、なんと驚いたことに「徳川家康の墓」もある。
秀忠や家光も参ったことがあるという。 有吊なお話がある。大阪夏の陣のとき、真田信繁(幸村)の奮戦により恐慌状態に陥った家康は自害すると叫んで部下に誡められ、 駕籠に乗せられ逃亡中に後藤基次(又兵衛)が家康の駕籠を槍で突き刺し、重傷を負った家康は堺の寺に運ばれてそこで死亡したとするものである。 その後の家康は影武者という。1年後には亡くなっているから、たいして罪はないと思うが、歴史を書き替えなければならないとは思わない。 |
真新しい「徳川家康の墓」には、寄贈者のところに松下幸之助の名前も刻まれている。これは明治百年記念で建てられたものだから、そんなものでしょう。 |