大大阪時代のモダン建築を求めて

〜 淀屋橋・肥後橋界隈を歩く 〜




淀屋橋南詰角地に立つ石原ビルディング

1,2階は黒い石張りで足元を固めておいて、中層部は垂直線を強調し、仕上げとして右肩に四角いボックスを載せる。 角地の一等地のせいで看板ばかりが目立つ建物だが、もう一度訪ねてみたい気もしてくる。1939(昭和14)年建築。





三井住友銀行大阪本店営業部

周りの高いビルデングに挟まれているにもかかわらず、その存在感は圧倒的である。建設の構想から30年かけて完成した「住友の夢」。 「川辺に聳える大大阪の巨人」はどっしりと構えて揺るがない。1926(大正15)年、第1期建築。





西側から撮ってみた。





北側玄関は閉鎖されている。 大阪では「SUMITOMO MITSUI」の方が分かりやすい。





玄関の天井を覗いてみた。





南西側からみた大阪倶楽部。会員制の社交場を守り続けている。 初代会館が火事で消失し、安井武雄の設計で1924(大正13)年に建築される。 ちなみに、安井武雄は高麗橋野村ビルや大阪ガスビルも建てている。





玄関のある南側





アーチの植物風レリーフとトーテムポール





窓の装飾。





「日建設計」はすぐそばの三井住友銀行大阪本店営業部の設計を担当した長谷部鋭吉と竹腰健造が独立するに当たって、 住友の援助を受けて、「長谷部竹腰建築事務所」を設立。これが、のちに「日建設計」となる。三井住友銀行大阪本店営業部のすぐ南にあるので、分かりやすい。





ウィリアム・メレル・ヴォーリズの建てた日本基督教団大阪教会。1922(大正11)年建築。 日本基督教団浪花教会、大丸大阪心斎橋店もヴォーリズの作品である。肥後橋の南西、西区江戸堀1丁目まで来た。「大阪で一番短い商店街」である肥後橋商店街の南出入口を、少しだけ西に進んだところである。





正面に近づいた。帰宅してから分かったことだが、側面の写真も撮れたはずである。





「ウィキペディア」(フリー百科事典)によると

1941年(昭和16年)に日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と 名乗った。「米来留」とは米国より来りて留まるという洒落である。





芝川ビル。御堂筋の一つ東の筋、中央区伏見町3丁目まで戻って来た。周りの建物がシンプルな分、かなり目立つ建物である。





角地が玄関になっている。今は会計事務所などが入居するテナントビルだが、元は花嫁学校だったらしい。





「マヤ・インカ風の」独特な装飾は四代目当主・芝川又四郎が「わたしの趣味」で決めたという。